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五月六日から再開された国会は、専ら政府の不手際に対する攻撃に終始した。野党議員ばかりでなく、与党議員も遠慮しなかった。現実の日本経済と国民生活が破滅状態にある以上、政府の責任を追及してゆく方が、国民の人気は得やすいに決まっている。実際、政府攻撃の材料はいくらでもあった。鳴り物入りで始めた無料給食所が、一ヵ月後のいまでは半分以上閉鎖されている。政府売り渡し予約米の引き渡しと交換に農民に給付された燃料や肥料の配給券が一向に現物と引き換えられない。物価は上がるし、対策は不十分だ。そして何よりもいまでは、政府の法令さえもほとんど守られていない。
だが、いまとなっては、現在の政府のやり方を責めても仕方のないことだった。今日の大災難の原因は、はるかに前から用意されていた、という認識が広まったのはこのためだ。
従来の政策などを総点検しその責任を追及する臨時調査特別委員会が、設けられた。まず、委員たちが、現在の担当官僚たちに問題点を質し、その原因を追及した。それが、石油危機発生以前の対策不備にあることが明らかになると、その当時の責任者を喚問して責任を追及する、という形になった。
ある新聞は、これを「新しい東京裁判」と名付けた。
この責任者捜しの「裁判」は、一般大衆の喝采を博した。人びとは、今日の困苦の吐け口として具体的な憎悪の対象を欲していたのだ。
この臨時調査特別委員会の一人に、かつての公害告発議員吉崎公造がいた。彼は、食糧自給を目指した農業政策が、肝心の石油備蓄を怠っていたことを追及したりして、大いに活躍していた。
五月十五日、吉崎公造議員の通産省エネルギー庁に対する質問が行われることになった。
午後二時半、A紙記者の本村英人は国会議事堂南翼二階の臨時調査特別委員会室に入った。吉崎の質問は三時からの予定だが、委員会室の左端に設けられた記者席は超満員だった。久し振りにテレビカメラが配置されていた。石油に詳しい吉崎が、いよいよ問題の核心をつくというので、この日の委員会は注目されていたからだ。
吉崎自身もわざわざ記者席まで来て、自信に満ちた笑顔を見せた。
記者席と向かい合った右端にいる政府側の陣容は心細く思えた。そこには、今泉エネルギー庁長官と寺木石油第一課長、それに課長補佐の小宮幸治の三人が、小さくかたまって腰掛けていた。
今泉長官は、この石油危機がなければいま頃は通産事務次官に昇進しているはずの人物だが、黒沢前長官の辞任で急遽産業政策局長からエネルギー庁長官に横すべりしたのである。通産省は、目下のエネルギー庁の重要性に鑑み、次期次官の俊英を長官に据えたわけだが、就任以来まだ二ヵ月、しかもこの間当面の問題に追われてきたため、過去の石油政策について勉強不足は否めない。
長官の不慣れを補うべき西松石油部長は、いままた、世界石油消費国会議に出席のためヨーロッパへ出張中だった。
政府側に不利と見られたのは、尾村通産大臣も、海津内閣の政策立案の中心人物として攻撃目標にされやすい立場にあったことだ。もし吉崎議員に倒閣の意図があれば、通産大臣を責めたてるのは効果的だし、逆に尾村の立場からすれば責任を過去の政策にかぶせた方が楽になる。すでに国民的人気の衰えた海津内閣を守るには、それしかないという意見も記者席には強かった。
今泉長官の小さな顔は常よりもしわが深かったし、寺木鉄太郎の広い額も心なしか青白さが目立った。
「今日、わが国が西欧諸国に比べて、はるかに深刻な影響を被っているのはなぜか」
フラッシュとテレビカメラの照明の中で、吉崎議員は切り出した。
これに対し、尾村通産大臣は、主として石油への依存度が高過ぎたことと石油備蓄が著しく少なかったことの二つのためだ、とあっさり認めてしまった。
吉崎議員は、詳細な事実関係を事務当局に問い質し、今泉長官と寺木課長が交互に答えた。
吉崎議員は、静かに質問を続けた。
「石油供給が削減された場合、全エネルギー源に占める輸入石油の割合が一番高い日本は、他のどこの国よりも甚大な影響を被ることはわかっていた。しかるに石油備蓄量は、どこの国よりも少なかった。それも実質的には西欧諸国の半分乃至三分の一しかなかった。そのため、昨年末以来の中東動乱によって石油輸入が大幅に減少するや、たちまち日本は西欧諸国とは比較にならぬ被害を受けた。こう理解してよろしいですな」
「いろいろ細かい事情はありますが、大筋においては、ただいまのお説の通りかと存じます」
今泉長官は低い声で答えた。
委員会室は静まり返っていた。
「委員長」
吉崎議員が発言を求めた。
「吉崎公造君」
美津川委員長が機械的な声で吉崎議員を指名した。
「いま、長官が確認した通りなら、政府・通産当局は今日見るような深刻な事態が生じることを知っていた。少なくとも予測できたはずだと思うが、その点はどうですか」
議場にざわめきが起こった。政府委員席で、今泉長官と寺木課長が額を寄せ合った。
「委員長」
数秒後、寺木が発言を求めた。
「寺木参考人」
委員長の顔にも緊張の色が浮かんだ。
「石油輸入が大幅に減少する事態が起こるか、それがどの程度のもので、どれほど続くか、といった点は非常にむずかしく予測しえなかった面も多々ありますが、ただいま吉崎委員の申されたような場合、つまり石油輸入の大幅かつ長期にわたる減少があればという仮定を置けば、程度の差はあっても、相当深刻な事態になることは、十分予測しておりました」
議場は騒がしくなった。委員の国会議員たちも、記者たちも、こう率直に通産当局が認めようとは思っていなかった。
「これは驚いた」
質問者の席に立った吉崎議員は、声を高めた。
「それでは通産省は、今日のような事態、即ち経済は崩壊し、国民は塗炭の苦しみに陥り、さらに何十万人もの人命が失われることを予想していながら、なお安閑としていたというわけですか。そうなんですか」
「先ほども申し上げた通り……」
再度答弁に立った寺木が、乾いた声で答えた。
「石油輸入の減少の程度や期間など予測できなかった面がありましたので、現在のような事態にまで発展するとは考えていなかったわけで、その点当局の不明を認めざるをえないと思います。しかし、われわれは決して安閑としていたわけではなく、石油備蓄の拡充には最大限の努力をして参ったつもりであります」
「委員長」
寺木の答弁が終わると同時に、吉崎の怒声が議場に響いた。
「いま、最大限の努力をしたつもりだ、といったが、全く人を馬鹿にしたいい方だ」
吉崎議員の顔が真赤になった。
「日本の石油備蓄はここ数年間、ずっと六十日分前後だったじゃないか。これで最大限の努力をしたつもりなどというのはおこがましい。もしそんな努力をしてたんなら、なぜ増加しなかったのかいってもらいたい」
寺木は、冷やかな声で、過去数年間にわたる石油備蓄増強のために採られた、税制、財政投融資から民間企業への備蓄義務付けや官民共同出資の共同石油備蓄会社の設立までを淡々と説明した。
「君、そんなことが最大限の努力かね。私の質問しているのは、実際に石油備蓄を阻んだのは何か、日本の石油産業の態度が悪かったのか、企業エゴイズムに阻まれたのか、それを改善しようとしなかった政府の怠慢か、あるいは政府と企業の癒着のせいか、そういうことをはっきり述べて欲しいんだ。どれですか」
吉崎議員は、大きく拳を振り回した。
これに対し、寺木は、冷たいよく透る声で答えた。
「最大の原因は、一部地域住民とそれを支援する団体等のために、石油基地の建設が阻止されたことです」
吉崎の紅潮した顔が黒く歪んだ。
「そんなことじゃないはずだ。本当の原因は違う」
吉崎議員は指名を待たずに坐ったままで叫んだ。
「吉崎公造君」
委員長が慌てて指名した。
だが吉崎は十秒あまりもの間立たなかった。明らかに寺木の答弁は彼の意表を衝いたのだ。
「住民運動が石油基地の建設を阻んだのが最大の原因というのは納得できない」
ようやく体勢を立て直した吉崎議員の声には、先刻の元気さがなかった。
「いまの答弁は問題のすり変えだ。真の問題は石油産業の体制と政府の政策にあったのではないですか」
「もちろん、すべてがすべて、一つの原因とは申し上げられません」
寺木は答弁に立った。
「資金問題、金利負担の問題など経済問題も重要な原因であったと思います。しかし最大の問題といわれると、石油基地の建設が阻まれた点にあります。ここにこの三年間に石油会社および共同備蓄会社などが建設を申請した石油基地の一覧表がありますが……」
寺木は一枚の資料を取り上げた。
「これらの基地は、すべて実施主体も決定し、資金目途もついていたもので、一部の反対運動さえなければ確実に建設されたと考えられるものです。もしこれだけの石油基地が完成しておれば、わが国の石油備蓄は三千万キロリットルほど増加しており、ゆうに西欧諸国並みの、九十日分の備蓄は可能だったわけです。もしそうなっておれば、今日なおわが国は平常の七〇%程度の供給は続けられたでしょう」
議場はまた騒がしくなった。
「こりゃ予想はずれだな」
隣りの記者のつぶやきが本村に聞こえた。
だが本村は石油危機が始まって以来、はじめて真実が語られたのだ、と考えていた。
このあとすぐ、与党議員が関連質問に立ち、海底油槽問題を取り上げた。
その議員は、昨年夏の完成時点で、海底油槽が供用されていたならば、石油危機発生時点までに少なくとも六百万キロリットルの原油をこれに貯えられていたばかりでなく、年間一千数百万キロリットルの南米原油が長期契約によっていまも輸入されていたであろうことを明らかにしたうえ、この海底油槽の供用を阻止した中心人物の一人が、他ならぬ吉崎公造自身であったことを暴露した。
このことは、吉崎議員にとって決定的なダメージになった。質疑応答は直接テレビで中継されていたし、翌朝の新聞も大きく書き立てた。
五月の最後の週、臨時調査特別委員会は、これまでと違った種類の「被告」たちを喚問しはじめた。かつてはマスコミの寵児であり、住民運動の英雄であった学者、医師、宗教家、教師、地方政治家らが、次々と糾弾され、その見通しの悪さと科学技術知識の稀薄さを、苦しみに満ちた口調で告白させられた。新聞は、彼らを経済開発の阻害者であったばかりでなく、国民生活の安全に対する加害者でもあった、と書いた。
そんなある日の昼過ぎ、本村英人は国会内の食堂で、吉崎公造の姿を見かけた。
彼はただ一人、隅のテーブルで持参の弁当をひろげていた。
「先生、同席させていただいてよろしいでしょうか」
本村はていねいに声をかけた。
「ああ、どうぞどうぞ」
吉崎は意外なほどに陽気な声で答え、大きな顔に笑いを浮かべた。
彼は臨時調査特別委員の席を、数日前に失った。形は自発的な辞退だったが、同僚議員や選挙区からの圧力があったことは明らかだった。
「むずかしいもんだねえ」
本村の記者バッジを認めて、吉崎は問わず語りにいった。
「いいと思ってしたことが、時代の変化で悪くなるんだからねえ」
本村は小さくうなずいた。
「時代によって正邪は変わる。そしてそれに伴って自分の考えも変わっている。本人も気づかぬうちにね」
吉崎は本村の方に身を寄せた。
「こういうことはいつも起こるんだ。公害反対とか自然保護とかだけじゃないよ。高度成長に酔いしれた時期にも、大東亜共栄圈にのぼせ上がった時代にも、明治洋化運動の時にも、幕末の攘夷論が横行した時分にもあったんだ。日本の世論はいつも極端から極端に変わる。そのなかを運と頭に恵まれた利口者は、自ら極端から極端に流れながら成功していくんだなあ。その意味では、日本の歴史は裏切り者の天国だったんだよ。だけど、だからといって、そういう連中が私利私欲で動いていたと思っちゃ間違いなんだよ、君。彼らも時流のなかで自分が変わったのに気がつかなかったんだからね。僕自身がもう少しのところで、そうした偉大な裏切りの成功者になりそうだったんだから、よくわかるんだ」
「なるほど」
本村は、この率直な述懐にうなずいた。
「時流に乗って騒いでいるのは楽なんだ。自分で考える必要もないし、決断する勇気もいらないからね。そういった連中が多いから、日本の世論は極端になるんだ。そして行くところまで行くんだ。つまり物理的な破壊とか圧倒的な外圧とかいったもので目を覚まされるまでね。その意味じゃ、黒船の大砲もB29の爆弾も、亜硫酸ガスの煙もこんどの石油危機も同じなんだ。みな、それぞれの時代の人が本当にいいと思ってやったことの結果なんだからねえ」
本村はその時はじめて、吉崎の弁当を見てその粗末さに驚いた。駅弁の古い木箱に飯とわずかばかりの小魚の煮しめに漬物だけが入っていた。
「うちには弁当箱がなくってね……」
本村の視線を意識した吉崎は、照れ臭そうに笑った。