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「つまり、母は巫女《みこ》のような存在だったということですか?」
日登美は驚きながら言った。
「そうです。神に最も近い女性として非常に神聖視されているのです」
「そうだったんですか……」
日登美はため息のような声を漏らした。
自分の母親が巫女だったと聞かされて、少なからず驚いてはいたが、同時にほっともしていた。母がいわゆる不倫の末に父と結ばれたわけではなかったことが解ったからだ。
巫女として生まれついた母には、愛した男性と一緒になるためには、ああするしかなかったのだろう。
でも、だとすると……。
日登美の頭には新たな疑惑が生まれた。
わたしの父親は一体誰なのだろう?
巫女として生涯独身を貫き通さなければならなかったはずの母は、一体誰の子供を身ごもり生んだというのだろう?
そのことを聖二に聞こうかどうしようか迷っていたとき、
「それで……今日伺ったのは、実はそのことに関係があるのです」
聖二はようやく本題に入るというように改まった口調で言った。
「今の話でお分かり戴《いただ》けたと思うのですが、あなたのお母さんは村になくてはならない大切な人だったんです。日の本村には、毎年十一月に行われる大神祭という祭りがあるのですが、そのとき、日女が祭りの主催者となるのです。村では、一応宮司や何かは男性がやっていますが、それは所詮《しよせん》雑事を引き受けているにすぎません。祭りの最も神聖で重要な役目は神家の女、すなわち日女によって執り行われる慣習が千年以上も昔から連綿と続いているのです……」
聖二は話を続けた。
二十六年前、緋佐子が失踪《しつそう》したのちは、緋佐子の姉にあたる女性、つまり聖二の父親のもう一人の妹がずっとこの役目をやってきたのだという。しかし、日女はもともと短命であることが多く、この女性も、三十歳になる前に亡くなってしまった。
その後、聖二の姉がその役目を引き受けてきたのだが、この姉が五カ月ほど前に子宮ガンを患っていることが分ったのだという。幸い、発見が早かったことで手術によって大事には至らなかったが、術後の体調が思わしくなく、今でも寝たり起きたりの生活をしているらしい。
「……今の姉の体調では、とても十一月に予定されている大神祭に、日女として祭りを司《つかさど》ることは難しいのではないかと思われています。妹もいるのですが、まだ十二歳になったばかりで幼なすぎます。このままでは、大神祭を司る日女がいないことになってしまうのです。しかも、今年は七年に一度の大祭と重なってもいるのです。祭りをとりやめるわけにはいきません。それで……あなたにお願いがあるのです」
聖二は二重の美しい目をひたと日登美の顔に当てて言った。
「……なんですか?」
「村に帰ってきてほしいのです。そして、今度の祭りで、姉に代わって日女《ひるめ》として祭りを司ってほしいのです」
「わたしが?」
日登美はびっくり仰天したような声をあげた。
「そうです。あなたには日女だった緋佐子さんの血が流れています。ということは、あなたも立派な日女なんですよ。離れて暮らしてきたとはいえ、あなたも神家の女なんです。十分、資格があるんです」
「で、でも、そんな……。わたしにはそんな巫女《みこ》みたいなことはできません。それに、巫女になれるのは独身の人だけなんでしょう? わたしは結婚してましたし、子供もいるんですよ」
日登美は慌ててそう言った。
「それは問題にはなりません」
聖二はきっぱりと言った。
「問題にならないって……?」
「日女が独身でなければならないというのは、あくまでも建前にすぎないんですよ。形式的に独身でありさえすればいいんです。つまり、戸籍の上で結婚さえしていなければ、恋人がいようが、事実上の夫がいようがかまわないのです。子供を生んでいてもいっこうにかまいません。かまわないどころか、それは村にとっては有り難いことなんです。日女の血を絶やすわけにはいきませんから。
それに、あなたの場合、戸籍の上でも結婚していたとはいえ、そのご主人を亡くされている。いわば、今は事実上の独身というわけですからね。資格はあるんです。何よりも大切なのは、日女の血をひいているということなんです。これこそが何にもまして優先することなんですよ……」
「でも、やっぱり無理です。祭りの主催者になって神事のようなことをするなんて……」
「大丈夫です。あなたの役目そのものはそれほど難しいことではないんです。さきほどは祭りの主催者などという言い方をしましたが、もっと正確に言うと、祭りの本当の主催者は、大日女《おおひるめ》様なんです。あなたはその補佐的な役割をしてくれればいいのです。補佐的といっても、大神と村人を結ぶ、大変重要な役目ではありますが」
「大日女様……?」
日登美は思わず聞き返した。
「その……俗な言い方をすれば、日女の総元締めのようなお方です。村で最も力のある女性です。神職の頂点に立つお方です。この方は、正真正銘の独身を貫き通されてきた方で、真性の巫女なのです」
神家の女は、生まれ落ちるとすぐに、この大日女の託宣で、若日女とふつうの日女とに峻別《しゆんべつ》されるのだという。
若日女に選ばれた女児は、真性の巫女となるべく、家族から引き離され大日女のもとで育てられる。むろん、生涯、男性と交わることはできない。いずれは、この中から次代の大日女が選ばれるのだという。
しかし、ふつうの日女にはそこまでの厳しさは要求されてはいない。親元で暮らすことができるし、生涯独身でいるというのもうわべだけのものにすぎない。祭りでの役割も、難しい祝詞《のりと》を読んだり、ややこしい作法のある神事をこなすわけではないという。
「……ですから、難しく考える必要はありません。何度も言うようですが、大切なのは血筋ということなんです。年々、日女が減ってきているのです。このままでは、いつか日女の血が絶えてしまうかもしれない。日女の血を引く女性がどうしても必要なのです。お願いです。どうか村に帰ってきてください」
聖二はそう言うと、何を思ったのか、ソファから立ち上がり、床に座り込んで両手をついた。
「神家の者だけではありません。日の本村の村人全員があなたの帰りを待っているんです。あなたは村にとって必要な人なんです」
「や、やめてください」
日登美は慌てふためいて、聖二に手をあげるように言った。しかし、聖二は床に手をついたまま、なかなか立ち上がろうとはしなかった。
「それに、日女の血があなたの中にも流れていることを、あなたは無意識のうちに自覚されているではありませんか」
神聖二はふいに勝ち誇ったような声でそんなことをいいだした。
「わたしが自覚? どういうことですか?」
日登美はぎょっとしたように言った。
「その髪の毛です」
聖二はそう言った。
「髪?」
日登美はぽかんとした。
「見たところ、とても長くて美しい髪をしていらっしゃる。もしかしたら、生まれてから一度も切ったことがないのではないですか」
たしかに、日登美の髪はたらせば腰の下あたりまで届きそうなほど長い。ふだんは丸めてアップにしたり、一本に編み込んだりしているが、今日は、無造作に後ろに流していた。
しかも、定期的に毛先を切り揃《そろ》えるだけで、もの心ついてからずっと伸ばし続けてきた。
「長い黒髪は、日女のシンボルであり条件なのです。髪は神にも通じ、神意が宿るとされています。ですから、神に仕える女は、子供の頃から髪を切ることを禁じられているのです。長く伸ばすことを半ば義務付けられているんです。あなたは誰に教えられるわけでもなく、そうして髪を伸ばしてきた。それは、まぎれもなく、あなたの血の中にある日女の誇りがさせたことなんですよ……」
「いえ、これは……」
日登美はそう言いかけ、黙ってしまった。日登美が髪を伸ばし続けてきたのには、それなりに理由があった。それは、小さい頃に、亡くなった母が髪の長い人だったと祖母から聞かされて、なんとなく自分も伸ばしてみようと思ったのである。
でも、そんな気まぐれも、ひょっとしたら、この男の言うように、自分の中に眠っていた、日女の血がそうさせたものだったのだろうか……。
日登美が反論しようとして黙ってしまったのには、そんな思いがふいに自分の中に湧《わ》いたせいだった。
「と、とにかく、もう少し考えさせてください……。いきなりそんなことを言われても、わたしにはすぐに決めかねます」
日登美はようやくそれだけ言った。このままだと、この一見おとなしそうだが、けっこう弁のたつ男に押し切られてしまいそうだった。
「……そうですね」
神聖二はようやく立ち上がると、
「あなたのお気持ちも分ります。突然押しかけてきて、すぐに決断せよというのも無茶な話ですよね。では、こうしましょう……」
神は、ショルダーの中から手帳とボールペンを取り出すと、それに何か書き込み、破いて日登美に手渡した。
「明後日までなら新宿のホテルに滞在しています。もし、その間に、決心がつかれたら、こちらに連絡して戴《いただ》けませんか」
見ると、メモには、ホテルの名前と部屋番号、それに電話番号が記されていた。