5
大日女と話があるという聖二を残して、一足先に一人で宮司宅に戻ってきた日登美は、部屋に置いてきた春菜の姿が見えないのに気がついた。
うろうろと探していると、廊下を夕餉《ゆうげ》の膳のようなものを抱えて、足早にやってきた信江にでくわした。
「あの、春菜は……?」
そう尋ねると、
「春菜様なら、さきほどから郁馬たちと一緒に耀子様のお部屋にいらっしゃいます」
信江はそう答えた。
ああ、あの方の……。
日登美は、さきほどちらりと見かけた耀子の臈《ろう》たけた白い横顔を思い出した。
さっそく、耀子の部屋まで行ってみると、開け放したままの襖《ふすま》の向こうから、子供たちのきゃっきゃっという賑《にぎ》やかな笑い声が聞こえてきた。
「失礼します」
そう声をかけて、覗《のぞ》いてみると、そこには、紫の袴《はかま》姿の耀子を取り囲むようにして小さな子供たちが集まっていた。その中には春菜の姿もあった。
トランプをして遊んでいたらしい。
「あ、ママだ……」
日登美に気が付いた春菜が歓声をあげた。うつむいていた耀子が顔をあげ、日登美にむかって軽く頭をさげた。
「お邪魔してすみません……」
そう言うと、耀子は微笑した。
聖二の姉というのだから、年は、少なくとも聖二よりは上のはずなのだが、白衣と紫の袴姿のほっそりとした姿は、まるで少女のような印象だった。
病《や》み上がりということもあってか、顔色は白いというよりも青白い。その静脈が透けて見えるような青白さが、まるで蜉蝣《かげろう》のようなはかない美しさをその姿に与えていた。
「あの、倉橋日登美です」
耀子にはまだ挨拶《あいさつ》していなかったことに気づいた日登美は、慌てて畳に膝《ひざ》をつき、頭をさげた。
「耀子です」
耀子の方も言葉すくなにそう言った。
そのとき、廊下の方から足音がして、一人の青年が現れた。その顔を見て、一瞬、参道で出会った聖二の弟の雅彦かと思ったが、よく見ると違う。似ていたが、こちらの方が幾分若い。それに、Tシャツにジーンズという今どきの若者らしい格好をしていた。
「弟の光彦です」
耀子がそう紹介した。
光彦と呼ばれた青年は、日登美に向かって一礼すると、
「さあ、今度お風呂にはいるのは誰だ」と子供たちに向かって陽気な声で言った。
「ぼく、ぼく」
翔太郎と郁馬が争うように手をあげる。春菜まで一緒になって手をあげていた。
「よおし、それじゃ、まとめてみんな面倒みてやろう」
光彦はそう言うと、三人の子供をひきつれて部屋を出て行った。郁馬と春菜は仲良く手をつないでいた。二人ともさきほどの騒動のことなどけろりと忘れたような顔をしていた。
それを見て、日登美はほっとした。
あんな理不尽な叱《しか》られ方をして、幼い郁馬の心に傷でもつかないかと少なからず心配していたからだ。
今の郁馬の様子を見ると、その心配は杞憂《きゆう》に終わったようだ。
「ご兄弟が多いと賑やかで楽しそうですね」
日登美は微笑しながら耀子に言った。
「ええ……」
耀子も子供たちの去った方を名残りおしそうに見やりながら微笑んだ。
幼い弟たちが可愛《かわい》くてたまらないという表情だった。
日登美は、なんとなくこの従姉《いとこ》になつかしさのようなものを感じた。そのたおやかな姿形が、前に聖二に見せて貰《もら》った写真に写っていた母の若い頃にどことなく似ていたせいかもしれなかった。
「さきほど、大日女様にお目にかかってきました……」
思い切ってそう言うと、耀子の口元から微笑が消えた。
「あの……耀子さんは、わたしの母のことを何かご存じですか?」
そう尋ねると、耀子は小首をかしげ、
「緋佐子様のことはおぼろげにしかおぼえていないのよ。あの方がここからいなくなったのは、わたしがまだ三つかそこらのときだったから。でも、あなたが生まれたときのことは、かすかにおぼえているわ……」
と言った。
「わたしはこの家で生まれたのですか」
日登美は重ねて聞いた。
「もちろんそうよ。日女はこの家で出産するのよ。お産婆さんの手を借りて……」
そう答えた耀子の表情が心なしか曇った。
日登美は、耀子の病名が子宮ガンであったことを思い出した。聖二の話では、手術は成功したということだったが、その手術というのは、もしかしたら、子宮の摘出ではなかったのかと思い当たった。
この人は、一人も子供を生まないままに子宮を失ってしまったのだ……。
同性として、痛ましい気持ちで耀子を見つめながら、日登美はさらに尋ねた。
「母は……どうして生まれたばかりのわたしを連れて、この村を出たのでしょうか」
「それは……」
耀子は言葉を探すように、しばらく視線をあたりに漂わせていたが、やがてこう言った。
「あなたを救《たす》けたかったからではないかしら」