1
葬儀会社の人から、「遺影に使う写真がほしい」と言われ、日美香は、母の寝室に行った。
アルバムは寝室に保管してあったはずだった。
寝室の戸を開けると、六畳の和室の中は、ついさきほどまで八重がそこにいたとでもいうように、部屋の主の体温を残したまま散らかっていた。
洋服ダンスの戸は開け放したままになっており、色とりどりのスーツやワンピースが畳の上にほうり出されている。
おそらく、母は家を出る直前まで、着ていくものに悩んでいたのだろう。
八重が上京する前の晩、電話で、「派手で下品な服はやめてよ。なるべく地味めのものにして」と何度も念を押したことを日美香は思い出し、あらためて胸をつかれるような思いがした。
分厚いアルバムは小テーブルの上に出しっ放しになっていた。まるで、前の晩、八重がそれを取り出して眺めていたとでもいうように……。
日美香はそのアルバムを手に取った。ぺらぺらとめくると、日美香が赤ん坊のときからの写真が、ずぼらな母にしては、きちんと整理されて収められていた。
ああ、これは七五三のときの写真……。これは小学校の入学式の写真……。古い写真の一枚一枚に記憶があった。
それを見ているうちに、ふいに視界が曇ったかと思うと、また涙が溢《あふ》れ出てきた。それが頬《ほお》を伝う。涙が涸《か》れるほど泣いたはずなのに、まだ流す涙が残っているのが不思議だった。
二十年生きてきて、今まで日美香が泣いたのは数えるほどしかなかった。それも殆《ほとん》どは悔し涙だった。誰かを想《おも》って泣くことなど一度もなかった。
一生、自分はそんな暖かい涙など流すことはないのではないか。
そう思ってきた。
しかし、そうではなかった。自分の体内に、これほどまでに熱く豊富な涙が隠されていたとは。母の突然の事故死によって、そのことを日美香は思い知らされていた。
「写真、みつかった?」
足音とともに、背後からそんな声がした。振り向くと、戸口のところに新田佑介が立っていた。
あのあとも、佑介は、和歌山の実家まで一緒に来てくれて、放心状態の日美香に代わって、葬儀の手配などしてくれたのである。
「今、探しているところ……」
日美香は、慌てて涙で濡《ぬ》れた頬を手でこすった。
「……向こうで待ってるから」
佑介は日美香が泣いていたことを察すると、それだけ言って、遠慮するように部屋を出て行った。
めそめそ泣いている場合じゃない。
日美香は心の中で自分を叱《しか》り付けると、アルバムをひっくりかえして、遺影に使えそうな母の写真を選んだ。
それは、母が好きだった黄色いワンピースを着て笑っている写真だった。
それをアルバムから剥《は》がして、立ちあがろうとしたとき、日美香の目が、テーブルの上にある一冊の本に何げなく注がれた。
その本がそこにあることは気が付いていたが、アルバムの方に気をとられていたので、ちらと視界の隅に入れただけだった。
「奇祭百景」というタイトルのハードカヴァー本だった。見たところ、小説本の類《たぐ》いではなさそうだ。
著者の名前は、「真鍋伊知郎」とあった。
聞いたことのない名前だった。
最近の本のようにはみえない。角が擦《す》り切れて、カヴァーもだいぶくたびれ、あちこち破れている。
それはこの本の持ち主が何度もそれを手にしたことを物語っているようにも見えた。
母の本だろうか……。
日美香は首をかしげた。
八重はあまり本など読む方ではなかった。
たまに買って読んだとしても、それは有名タレントの暴露本や、流行作家のベストセラー本の類いだった。
その母がこんな地味な本を持っているということが、日美香にはなんとなくいぶかしく感じられた。
こうして、アルバムと一緒にテーブルに載っているところを見ると、母にとって、この古い本は思い出の品か何かなのだろうか。
日美香は、たいした理由もなく、その本を手に取った。
本の間に写真のようなものが挟まれていた。それが僅《わず》かにはみ出ている。何げなく、それを引き抜いて見た。
それは、男女の幼児が顔を寄せ合って写っている写真だった。顔が似ているところを見ると兄妹のようだ。写真の裏を返すと、鉛筆の走り書きのような筆跡で、「歩、五歳。春菜、三歳」と書かれていた。
カラーではあるが、古い写真のようだった。
誰だろう……。
日美香はいぶかしく思った。
親戚《しんせき》の子供かなにかだろうか。
そう思いながら、その写真をテーブルの上に置き、本の表紙をめくると、いきなり、「倉橋日登美様、真鍋伊知郎」という青いペン字のサインが目に飛び込んできた。
どうやら、これは、著者が、「倉橋日登美」という女性に贈呈した本のようだった。
それをどうして母が……。
日美香はいよいよ不思議に思い、さらにページをめくった。
そして、口絵の写真を見た瞬間、はっと息を呑《の》んだ。
そこには、一人の若い女性が写っていた。長いストレートの黒髪をうしろで一つに結び、白衣に濃い紫の袴《はかま》という巫女《みこ》のようないでたちをした女性だった。
日美香をはっとさせたのは、その女性の顔だった。
わたしに似ている……。
一瞬、そう思った。
その写真の女性がどことなく自分に似ているような気がした。
口絵の写真の簡単な説明が裏のページにしてあった。
日の本神社の日女《ひるめ》の衣装。
普通、巫女の衣装というと、白衣に緋《ひ》の袴と決まっているが、日の本神社の日女すなわち巫女の衣装は、このように白衣に濃色《こきいろ》と呼ばれる濃紫の袴である。ちなみに、金毘羅《こんぴら》様で親しまれている愛媛《えひめ》県の金刀比羅宮《ことひらぐう》の巫女の衣装も同様であるという。
目次を見ると、幾つかの祭りと神社名を記した中に、大神祭(日の本神社)という項があった。
日美香はその項を開けてみた。
そこには、数ページに亙《わた》って、長野県の日の本村に古来から伝わる大神祭という奇祭についての詳細な記事がまとめられていた。
あとがきを読むと、どうやら、著者はプロの作家でも学者でもなく、高校教師をしながら、十年間にわたってこつこつと、日本中の奇祭の研究を独自に行ってきた、市井の研究家であることが分かった。
本も自費で出したものらしかった。出版されたのは、奥付によると、昭和五十三年の三月となっている。
それは、日美香が生まれた年だった。
奇《く》しくも自分が生まれた年に出版された本、しかも、著者自らが他の女性に捧《ささ》げたらしいその本を、読書家でもない母がなぜ持っていたのか……。
口絵の写真の女性が自分に似ているように感じるのは、他人の空似か、あるいは日美香の気のせいにすぎないのか……。
しかし、そうは思えなかった。というのは、大神祭のことを書いた箇所に、日美香を少なからず驚かせた箇所があったからだ。
それは、日の本神社の祭神は大蛇の神で、その末裔《まつえい》を名乗る日の本神社の宮司の身体には、しばしば蛇の鱗《うろこ》にも似た薄紫色の痣《あざ》が出るということを記した箇所だった。
日の本村の人々は、その痣を、「大神のお印」と呼んで貴んでいるというのだ。
蛇の鱗にも似た薄紫の痣……。
同じような痣は日美香の身体にもある。
これはどういうことだろう……。
日美香は、奇妙な胸騒ぎのようなものをおぼえながら、その本を手にしたまま、新田佑介の足音が再び近づいてくるまで、ぼんやりと座りこんでいた。