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しかも……。
あの娘は、何か感づいているようだ。昭和五十二年の事件のことも、この村でひそかに行われていることも……。
すべてではないにしても、何か感づいている。
聖二はそう見抜いていた。
大神祭の三人衆のことをしきりに聞きたがったのも、おそらく、あの三人の中に自分の実父がいると知っているからに違いない。
ただ、不思議なのは、彼女がなぜそこまで知ることができたのかということだった。
真鍋伊知郎の本は、以前に日の本寺の住職から借りて、ざっと目を通してはいた。だが、あの本には、日女と三人衆の関係について、それほど詳しくは書かれてはいなかったはずだ。
日美香が何か知っていたとしても、それは、少なくとも、あの本から得た情報ではあるまい。
おそらく……。
聖二は、ふいに一人の男のことを苦々しく思い出していた。
半年ほど前、兄のことで取材に来た三流週刊誌の記者。確か、達川とかいう男だった。
日美香は、あの男にも会って話を聞いたと言っていた。たぶん、情報源はあの男に違いない。
聖二はそう確信した。
最初、達川は、兄の子供の頃の話を聞きたいと言って取材を申し込んできた。聖二は心よく引き受けた。ここ数年、兄はまさに時の人であり、兄の出身地がこの村であることを知ったマスコミ関係者たちがどっと押しかけてくるようになっていたので、その類《たぐ》いかと思ったのである。
ところが、いざ取材を受けてみると、達川の質問は、兄の子供時代のことなどではなく、昭和五十二年のあの事件の事柄に専ら集中しており、しまいには、あの事件の犯人である矢部稔がここの出身であることまで調べてきたらしく、矢部に会わせろと言い出した。
どうやら、兄の子供の頃のエピソード云々というのは口実に過ぎなく、達川が調べたがっていたのは、あの事件の真相なのだとようやく気づいた聖二は慌てて記者を追い払ったのだが……。
あの男……。
まだ兄の過去を嗅《か》ぎ回っているのだろうか。
あのあと、なんとなく不安に思って、達川が置いて行った名刺に刷り込まれていた週刊誌をしばらく購読してみたが、幸い、兄とあの事件を結び付けたような不穏な記事は掲載されなかった。
それで、ほっとして、あの男のことも忘れかけていたのだが……。
もし、あの男がまだ兄の身辺を嗅ぎ回っているとしたら。日美香があの男から何か吹き込まれていたとしたら……。
兄の貴明にとって、今が一番大事な時だ。女性スキャンダルひとつでも場合によっては命取りになりかねないのだ。
まして、あんなことが今世間に知れ渡ったら、今までの苦労はすべて水の泡となりかねない。
危ない芽は今から摘んでおいた方がいいかもしれない……。
聖二の中に暗い決意がかたまりかけていた。
それはちょうど、二十年前、倉橋日登美の存在をはじめて知り、彼女を日女《ひるめ》として村に連れ戻す手段を模索していたときに、たどり着いたような暗い決意が……。
そのとき、廊下に足音がして、襖《ふすま》の向こうから、「郁馬です」という声がした。
「なんだ?」
そう聞き返すと、
「あれ。お呼びじゃなかったんですか。さっき、義姉《ねえ》さんから……」
郁馬の戸惑ったような声がした。
あ……。
聖二はようやく思い出した。
妻の美奈代が茶をもって入ってきたとき、郁馬にあとから自分の部屋に来るように伝えておけと言ったことを……。
あのときは、日美香の話から、どうやら郁馬がいらぬことをぺらぺらとしゃべったらしいと気が付いて、一言|釘《くぎ》をさしておこうと思ったのだ。
ところが、そのあとで、日美香の胸の痣を見せられて、ショックのあまり、妻に命じたことなどすっかり忘れてしまっていた。
「お呼びでないなら、僕は……」
郁馬がそう言って立ち去るような気配を見せたので、聖二は慌てて引き留めた。
ちょうどいい。
ふとひらめいたことがあった。
郁馬を部屋にいれると、棚の引き出しから、以前達川から貰《もら》って保管してあった名刺を出してきて、それを郁馬に渡した。
「これは……?」
怪訝《けげん》そうに名刺を見る弟に、聖二は囁《ささや》くような声で言った。
「この男のことを何でもいいから調べて来い……」