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その夜。
夕食が済んだあと、日美香は神聖二に呼びとめられ、「大事な話があるので、あとで茶室の方に来て欲しい」と言われた。
神家の母屋から独立するような形で、庭の中にぽつんと、小さな茶室が建てられている。そこへ行くと、聖二は既に来ていて、手慣れた手つきで茶をたててくれた。
話があると言っておきながら、黙って茶をたてるだけで、なかなかその話というのを切り出さない伯父に、日美香はやや苛立《いらだ》ちを覚えながら言った。
「あの、お話というのは……?」
「あなたは……」
聖二は茶器をかたわらに置くと、ようやく日美香の方を見て、おもむろに口を開いた。
「これからどうされるつもりですか」
「どうって……?」
「将来のことですよ。確か、大学に在学中ということでしたね」
「そうです」
「大学は続けるつもりですか」
「もちろん……」
「不躾《ぶしつけ》なことを伺うようですが、経済的にはどうなのですか。学費のこととか……」
「そのことなら」
大丈夫だと日美香は答えた。
「養母がわたしを受取人にして何口かの生命保険に入っていてくれましたので……」
それが総額にして数千万にも及び、大学を卒業するまでの学費や生活費くらいならなんとかなりそうだった。
「それで、大学を卒業されたあとは?」
聖二はなおも言った。
「就職するつもりでいますが……」
そう言いかけた日美香の脳裏に、新田佑介のことがさっとよぎった。
しかし、神聖二の前で、佑介のことをあえて口にする気はなかった。
達川の忠告のこともあったが、日美香の中で、佑介との結婚話をもう一度考え直したいという気持ちが日増しに強くなっていたからでもあった。
「就職するとしたら、今のままでは何かと不都合なのではありませんか」
ややあって、聖二はそんな意味ありげな言い方をした。
「不都合……?」
「名の通った大企業であればあるほど、両親の揃《そろ》った身元のしっかりした人を採用するということです」
「…………」
それは聖二の言う通りだった。日美香もそのことを考えたことがないわけではなかった。
だから、養母が生きていたときから、いわゆる大企業は就職先としては半ばあきらめていたのである。私生児というだけで、書類審査の段階ではねられることは目に見えていたからだ。
「それで考えたのですが……」
聖二は日美香の目を見ながら言った。
「此の際、あなたには神家の籍に入って戴《いただ》いた方がいいと思うのです」
「神家の籍に入る……とは?」
日美香は驚いて聖二の顔を見つめた。
「養子縁組をして、私の養女になって戴きたいということです。そもそも、あなたがこの村で生まれていれば、神家の籍に入っていたはずなのです。先代の宮司である父の籍に……。
それに、私生児というレッテルを貼《は》られたままでいるよりは、あなたの将来にとっても、その方が良いような気がするのです。たとえば、就職もそうですが、いずれ結婚ということになっても……」
「日女《ひるめ》には結婚は許されていないのではないですか」
日美香がすかさずそう言うと、聖二の口元に苦笑のような皺《しわ》が寄った。
「それはこの村でのことです。この村で暮らすのであれば、たとえ、表向きだけであっても、日女に結婚は許されませんが……。それとも、あなたには、日女として村に戻る気がおありですか」
「ありません」
日美香はきっぱりと答えた。
「私としても、あなたに日女としてここに戻って来て欲しいとは思っていません。あなたがふつうの日女であれば、そう願ったかもしれませんが……」
「母のときのように?」
「…………」
「そのためには手段は選ばない。そういうことだったのでしょう?」
「それはどういう意味ですか」
聖二は静かな声で聞き返した。
「昭和五十二年の夏に母の一家を襲った事件。あれは、最初から仕組まれた計画殺人だったということです。日女の血を引く母と姉を村に取り戻すために、矢部稔はあなたがたの手先として倉橋家に送り込まれたのです。最初から倉橋徹三と秀雄を殺害する目的で……」
日美香は挑むように伯父の目を見た。
もはや、達川正輝から聞いた話を荒唐無稽《こうとうむけい》とも妄想とも思っていなかった。達川はあの村に行けば分かると言っていたが、そのとおりだった。
「矢部稔は今では村会議員までつとめているそうですね。村長の片腕のような存在になっていると聞きました。彼が刑期を終えてこの村に戻ってきたときも、まるで村の功労者を迎えるように歓迎されたとも……」
神聖二は何も答えなかった。否定も肯定もせず、ただ黙って、日美香の顔を見ているだけだった。
「神家の籍に入れとおっしゃるならば、その前に、すべてを話してください。何も知らないで、このまま、あなたの養女になることはできません。この村で密《ひそ》かに何が行われてきたのか。二十年前、母の身に何が起きたのか。そして、わたしの父親は誰なのか……。
昭和五十二年の大神祭で、太田久信の代わりに三人衆をつとめたのは一体誰だったんですか?」
能面のようだった聖二の顔に僅《わず》かに表情が動いた。そこまで知ってしまったのかというような……。
「わたしの血液型はAB型です。ご存じかと思いますが、O型の親からAB型の子供は生まれてこないんです。でも、三人衆のうち、船木さんと海部さんはO型でした。残る太田さんは三人衆をつとめてはいなかった。そう考えると、わたしの父親として考えられるのは、太田さんの代わりに三人衆をつとめた人だけなんです。それは誰だったんですか。あなたならご存じのはずです」
狭い茶室で向かい合って座っている二人に重く長い沈黙があった。
「何を聞いても……」
聖二はようやく口を開いた。その顔にはある決心のようなものが現れていた。
「後悔しませんか」
「しません」
日美香はきっぱりと答えた。
「私から聞いたことを絶対に他言しないと約束できますか」
「……できます」
「それならば、すべてお話しましょう。あの年、太田さんの代わりに三人衆をつとめたのは……」
聖二は静かな声で言った。
「私の兄です」