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聖二は中学の頃まで、自分が男なのか女なのかよく分からなかった。
生物学的には完全に男なのに、自分の中に、男だという自覚がまるで育っていなかった。
大神のお印をもって生まれた男児は、日女と同じように育てるという奇習が古くからあったせいで、女児のように育てられたせいかもしれない。
物心ついたときから、日女のように髪を伸ばし、小学校を卒業するときには、その長さは腰までに達していた。
東京の中学に入学が決まったときに、校風に従って髪は切ったものの、骨細の華奢《きやしや》な身体に制服を重たげに着た聖二は、どう見ても男装した美少女にしか見えなかった。
中学に入ると、すぐにクラスの悪がき連中の格好のいじめの対象にされた。少女のような外見が、同じ年頃の少年たちの歪《ゆが》んだ性的好奇心を呼び覚ましたらしかった。
慣れない都会生活の上に、毎日のように繰り返される級友たちの執拗《しつよう》なからかいや苛《いじ》め。
大神の申し子ということで、宮司夫妻にかしずかれ、まさに乳母日傘《おんばひがさ》で育った聖二にとって、それは天国から地獄に突き落とされたような日々だった。
そんななかで、聖二の唯一の心のよりどころは、一足先に上京して、一人でアパート暮らしをしていた兄、貴明だけだった。
しかし、貴明は、最初から聖二の味方ではなかった。同居をはじめた頃は、学校での弟の窮状を知りながら、なんら手助けすることもなく冷淡に傍観していた。
それどころか、貴明自身が、「相撲《すもう》だ、プロレスだ」などと何かと口実をもうけては、聖二を膝《ひざ》の下に組み敷き、気を失う寸前まで首を締め続けたり、後で青|痣《あざ》ができるほど殴ったりすることさえあった。
ただ、なぜ、兄が自分にこんな仕打ちをするのか、その理由には薄々気が付いていた。
親の目の届かないところで、胸のうちにたまっていた鬱憤《うつぷん》を密《ひそ》かに晴らそうとしているのだろうということは。
神家の長男として生まれ、しかも宮司夫妻の実子でありながら、村に伝わる因習のために、日女の子である弟や妹たちよりも下の存在として扱われてきたことは、プライドの高い兄には我慢のならないことだったに違いない。
とりわけ、一つ年下の弟と自分とのあまりの待遇の違いに、父の前ではけぶりにも見せなかったが、内心では不満と反感を募らせていたようだった。
子供心にも、聖二は兄のそんな心情を察していた。
そのせいかどうかは分からなかったが、級友にされれば憎悪と嫌悪しか感じないことでも、相手が兄だと、さほどの不快感も屈辱感もおぼえなかった。
だから、夏期休暇などで村へ帰ったときも、東京での兄の行状などについて、その奔放な女性関係をも含めて、父には一切告げ口めいたことはしなかった。
そうしたことが、やがて、兄の信頼を勝ち取ったのか、貴明の態度は次第に変化を見せていった。学校でも、弟を守るような姿勢を見せ始めたのだ。級友たちの執拗な苛めもある日を境にふっつりとなくなった。どうやら、貴明が陰で何かしたようだった。いじめっ子たちは聖二を見ると、脅えたような目をしてこそこそと逃げ出すようになった。
兄との間に単なる兄弟以上の強い絆《きずな》のようなものが生まれたのは、まさにあの頃からだった。
東京での生活が丸一年を過ぎる頃には、聖二は自分が生まれ育った村がいかに閉塞《へいそく》的で特殊なものであるか思い知らされていた。村での常識が外の世界では非常識とされていることも、村で今もなお祭りのときに行われていることを、うっかり外の人間に話そうものなら、とんでもない反応を呼び起こすだろうということも……。
うかつに級友と軽口もたたけなかった。おまけに持って生まれた性格もてつだって、外の世界にうまく順応できず、当然、友人は一人もできなかった。学校ではひたすら仮面を被《かぶ》り続けていた。胸襟《きようきん》を開いて話ができるのは、同じ環境で育った兄だけだった。
これは貴明の方も同じだった。弟よりは外の環境に順応する能力が高かった貴明は、それなりに都会での生活になじんでいるように見えたが、その心の奥底には、やはり外の世界に対する根強い違和感、その違和感が生み出す孤独感のようなものが潜んでいたようだった。
こんな二人が次第に身も心も寄せ合うようになったのはごく自然なことかもしれなかった。
二人が互いの将来のことを真剣に語り合うようになったのもこの頃だった。そして、二人で力を合わせて、いつか、遠い昔に失われた覇王の印である剣を大神の手に取り戻そうと誓いあったのも。
聖二にとって、貴明は、兄である以上にかけがえのない友人であり、同じ物部の血を引く頼もしい同志でもあった。そして、同時に……。
この頃、聖二は兄に対して恋にも似た奇妙な感情を密かに抱いていた。
普通なら異性に抱くべき感情を、クラスメートを含めた身近かな女性には全く感じることができず、こともあろうに、同性の兄に密かに抱いてしまった自分に、戸惑い悩んでもいた。
ただ、これは聖二の「片思い」ではなかった。むしろ、それはひょっとしたら、早熟な貴明の方が先に感じ、その思いがやがて聖二にも伝染したものだったのかもしれなかった。
それに気づいたのは、中学二年の冬だった。真夜中、隣に寝ていた兄が「寒くて眠れない」と言って起き出し、突然、聖二の布団《ふとん》の中にもぐりこんできたことがあった。
ストーブをつけるのはもったいないし危ないから、朝までこうして一緒に寝ようなどと言い出して、抱きすくめられたときにはさすがに驚き、困惑した。
それまでも、貴明は、「苛《いじ》められないために柔道の技を教えてやる」などと言っては、すぐに寝技にもちこんで、長いこと自分の身体の下に押さえこんだりすることはたびたびあった。
この頃、貴明は既に女性を知っており、同性愛的な傾向は全くなかったにもかかわらず、なぜか、弟の身体にもっともらしい口実をつけては触りたがった。
しかし、それらの行為はどれも子犬同士がじゃれあうような域を出なかったのに、この夜ばかりは、貴明の態度に何かひどく緊迫したものを感じて、聖二はかすかな恐怖感すらおぼえた。
結局、貴明はそれ以上の行為に出ることもなかったが、夜が明けるまでの長い時間を、聖二は緊張のあまり一睡もせずに過ごさなければならなかった。
ただ、その体験は聖二にとってけっして不愉快なものではなかった。それどころか、まるで自分が女になったような倒錯した喜びすら感じていた。
もっとも、兄に対するこうした感情は、高校に入り、それまでやや遅れていた第二次性徴期というべきものが聖二の身体に訪れ、身も心も男のそれに急速に変わっていく中で、自然に薄れていったところをみると、あれは、長い人生の間に、ほんのつかの間、蜃気楼《しんきろう》のように現れては瞬時にして消えてしまう、青春のゆらめきのようなものにすぎなかったのかもしれない。
しかし、薄れはしたものの、完全に消えてしまったわけではなかった。
そして、それは貴明の方も同じようだった。
兄が異様なほど日登美に執着したのは、ひょっとすると、日登美が自分の妹だったからではないかと、聖二は気が付いていた。
だから……。
今目の前にいる、この娘は、日登美という女の肉体を媒介にして、兄と自分とが精神的に交わってこの世に生み出した子といってもよいのだ。
いつか、物部の力が現代に蘇《よみがえ》るために必要な戦力として……。