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ざっとシャワーを浴びて、部屋に戻ってくると、蛍子は、デスクの上のノートパソコンのスイッチを入れた。さっそく沢地逸子のホームページにアクセスするためである。
この八畳ほどの洋室を、蛍子は火呂と共有していた。二人で共有するには少し手狭すぎたが、部屋は豪に与えた洋室とここの二つしかなかったし、蛍子の方は、昼は会社、火呂の方も、昼は大学、夜は飲食店でのバイトと飛び回っていたので、二人がかちあうことは少なく、それほど不自由な思いはしていなかった。
時刻は午後十時になろうとしていたが、まだ火呂は帰宅していなかった。バイトをはじめるようになってから、帰りが遅くなったようだ。時々、外泊することもある。どこに泊まったのかと後で聞くと、「バイトで遅くなったので、そのままサッチンのとこに泊まった」と火呂は答えた。
サッチンこと知名祥代《ちなさちよ》は、やはり玉城村出身で、火呂とは同い年である。家が近かったこともあって、幼稚園の頃から高校までずっと一緒で、友人というより姉妹のように育ってきた大親友だった。
大学は違ったが、上京してからも付き合いは続いているようだ。祥代は、ワンルームマンションを借りて一人暮らしをしていた。バイト先が、この親友のマンションに近いということもあって、火呂は、遅くなると、そのまま彼女のところに泊まることもあるらしかった。
リビングの方から、テレビゲームに飽きたらしい豪がギターのチューニングをするような音が聞こえてきた。
勉学にはさっぱり身が入らないらしく、豪が机に向かっている姿を見たことがなかった。机の上には触ったこともないのではないかと思えるような参考書の類いがうっすらと埃《ほこり》を被《かぶ》ったままになっている。
優等生の姉とは裏腹に、成績はびりから数えた方が早い少年は、自らの青春を専ら、部活のボクシングをはじめとする運動関係に捧《ささ》げていたようだが、最近は、同級生たちとバンドとやらを組んで、音楽活動にも没頭しはじめていた。
チューニングが済んだらしく、お世辞にも巧《うま》いとは言えないギターの音色がたどたどしく聞こえてきた。
蛍子はそのいかにも稚ない音色に苦笑した。豪はただの趣味でギターをはじめたわけではないらしく、高校を出たら、大学には行かず、ミュージシャンかボクサーになるなどと夢のようなことを言っている。
理由は、「ただのサラリーマンより金がもうかるから」だそうである。それは成功すればの話だと言うことを、このきわめて単細胞の少年には思い及ばないようだった。
ボクサーの方は、勉強はからきしだめでも、運動神経だけは人並み外れて良いらしいから、鍛練次第では、多少は脈があるのかもしれないが、ミュージシャンの方はあきらめた方がよさそうだと蛍子は思っていた。素人が聞いても、とてもプロになれるレベルではないことは明らかだったからだ。
かなり耳障りだったが、「うるさい」と一喝するのも可哀想《かわいそう》な気がしたので、いつものようにヘッドホンを耳栓がわりに頭につけて「雑音」を遮断すると、インターネットに接続し、まずメールが来ていないかチェックした。案の定、沢地逸子からメールが来ていた。それを開いて、署名のところに書かれていたURLをクリックすると、直接、彼女のホームページに飛んだ。
ホームページはすぐに開かれた。以前、デスクトップ型の古いパソコンを使っていたときは、画像の開きが遅くて閉口したが、最新のノートパソコンに替えてからは、画像の開きも段違いに早く、蛍子のインターネットライフはだいぶ快適になっていた。
沢地逸子のホームページのタイトルは、「太母神《たいぼしん》の神殿」というものだった。アクセスした人数を知らせるカウンターも、「太母神の神殿へようこそ。あなたは*人目の参拝者です」という、まさに「神殿」作りになっている。
そのカウンターの数字は、既に数万人を超えていた。去年開いたという個人ホームページとしては、良い数字の方だろう。彼女の知名度を反映しているようだった。
目次を見ると、コラム、日記、著作リスト、プロフィール、掲示板の五項目で成り立っており、それぞれ、五つの黄色いりんごのマークをクリックすれば読めるようになっている。コラムは、そのままオンラインで読むこともできるが、これまで書かれたものが圧縮ファイルになっていて、俗に言う「お持ち帰り」ができるようにもなっていた。解凍ソフトさえもっていれば、この方が回線を切ってからゆっくり読める。蛍子は、その圧縮ファイルを迷わずダウンロードした。
そうこうしているうちに、背景になっていた画像が次々と開いていく。中央の画像は、頭髪が全て蛇の姿をした女の彫像の写真のようで、どうやら、あのギリシャ神話に出てくるメドゥサらしかった。
その右手の画像は、赤く長い舌をべろりと出し、手には血まみれの包丁を持って、地に横たわる男を踏みつけている青黒い肌の女の不気味な絵姿で、さらに左手の画像は、沢山の乳房をつけた女神の像らしき写真で、おそらく、アルテミスの像だろう。
肝心のコラムは後で読むことにして、日記、著作リスト、プロフィール、掲示板の項目を次々とクリックしてみた。
日記といっても、プライベートなものではなく、沢地逸子のテレビ出演や、雑誌週刊誌等での対談、地方で行われた講演会の様子など、彼女の公的活動のあれこれが、デジタル写真付きで紹介されていた。
著作リストには、沢地がこれまで手掛けた数冊の翻訳小説とエッセイ集のタイトルがずらりと並んでいる。
プロフィールの項目には、沢地本人の略歴と、このホームページを作成するにあたって、手伝ってもらったという、「沢地ゼミ」の教え子らしき数人の女子学生たちの名前と略歴が、「プレアディスの乙女たち」と命名されて、簡単に紹介されていた。
「プレアディスの乙女たち」というのは、蛍子の記憶では、確か、ギリシャ神話の中で、女神ヘラが所有するという黄金のりんごの木を守っている乙女たちのことだった。
掲示板には、アクセスした人たちが気楽に、このホームページの感想や、自分が興味を持っているテーマについて書き込むことができるようになっていた。
ざっと読んでみると、二十三歳になる若い母親の投稿がきっかけとなって、「母親による幼児虐待」が最新の話題として盛り上がっているようだった。
その投稿というのは、「八カ月になる女の子の母親だが、自分が産んだ子供なのにちっとも愛情がわかない。可愛《かわい》くない。泣くと憎らしくなる。泣いている赤ん坊の首を手で絞めかけたことも何度かある。時々、自分の中には鬼が住んでいるのではないかと思うことがある」というものだった。
その投稿に対する、ネット用語で「レス」(レスポンスの意)といわれる返事の書き込みがその後に堰《せき》を切ったように続けられていた。
蛍子が少し驚いたのは、その反応の殆《ほとん》どが、「自分にも似たような経験がある」という共感の声であり、一人として、この若い母親を非難するような声はなかったことだった。
それどころか、「あたしは、一歳半になる男の子(実子)を毎日サンドバッグがわりに苛《いじ》めてます。子供が原因でためこんだストレスなら子供を叩《たた》いて発散させればいい」などと、本気で書いているのかと目を疑うような書き込みすらあった。さすがにこの書き込みに対しては非難するような意見が見られたが、それでも、その非難のトーンは意外なほど低い。
過去にさかのぼって読めば読むほど、まだ独身である蛍子の度肝を抜くような、若い母親たちの生々しい告白がそこにはあった。それは、これまで蛍子自身が漠然と抱いていた「母性」というものへの概念を容易にくつがえすほどの衝撃的な内容だった。
沢地逸子のホームページということもあってか、アクセスする人は、女性、それも比較的若い女性が多いようだった。掲示板に書き込むには、一応、名前、年齢、性別、メールアドレスをも書き込むようになっていたので、そこから判断できるのである。
そうした女ばかりの中に、時々、男性らしき意見がいかにも肩身が狭そうに混じっていた。たとえば、
「ネットサーフをしていて、うっかりこのサイトに足を踏みいれてしまいました。まさに女の魔窟《まくつ》って感じですね、ここは。どんなホラー系のサイトよりも怖いです。毒気にあてられないうちに退散します」という、三十五歳の男性の書き込みがあって、似たような感想を抱きつつあった蛍子の苦笑を誘った。
この男性の書き込みの後には、間髪をいれずという素早さで、「出て行け。ボケ!」とか「消えろ。二度とくるな」という女性たちの書き込みがあった。
女たちに石をぶつけられながら、尻《しり》に帆掛けて逃げ出す気の毒な男の姿が目に浮かぶようだった。
ただ、こうした書き込みの中に、一つだけポツンと孤立しているように見える奇妙な書き込みがあった。それは、漢字とカタカナ交じりの短い投稿で、タイトルの後に自動的に記された時刻によると、昨日の午後十一時十分十三秒にアップされたものだった。
「生理ガハジマリマシタ。ヨッテ、明日、母ナル神ニ生キ贄《ニエ》ヲ捧ゲル儀式ヲ行イマス。コンドハ人間デス」
投稿者の名前は、「真女子」となっていた。名前といっても、こうした投稿の場合、必ずしも本名を名乗る必要はなかった。通信世界では、「ハンドル」と呼ばれている、いわばペンネームを名乗ってもいいことになっている。
ちなみに、「ハンドル」とは、英語のhandleのことで、「敬称」あるいは「肩書」の意味がある。
「真女子」というのは、「まなご」と読むのだろうか。確か、上田秋成の「雨月物語」の中の「蛇性の婬《いん》」に登場する人物の名前と同じだった。「真女児」とも書く。豊雄という若い男を誘惑する美女として登場するのだが、実は蛇の化身であったという物語である。
この意味不明の奇妙な投稿には、名前の「真女子」以外には、性別も年齢もメールアドレスも書き込まれてはいなかった。
ふつう、こうした掲示板に書き込んでくる人たちは、他者とのコミュニケーションを目的にしているから、他人の発言への返事であったり、あるいは、他人に意見を求める問いかけであったりすることが多いのだが、時々、こうした、他人の書き込みを全く無視したような、独りよがりの意味不明のことを書き込む者がいた。そして、この手の投稿者は、全くの匿名か、せいぜいハンドルとおぼしき名前しか名乗らず、自分の正体を明かしたがらないのが特徴だった。
これが罵詈雑言《ばりぞうごん》の類いであったりすれば、それなりに他の投稿者の反応があるのだが、こうした意味不明の発言の場合は、「触らぬ神にたたりなし」とばかりに、他の投稿者も無視することが多い。実際、この書き込みだけがポツンと離れ小島のように、掲示板全体から浮き上がっているように見えた。
さらに過去にさかのぼって読んでいくと、「真女子」名の投稿が二つあった。一つは一カ月ほど前にアップされたもので、「母ナル神ニ生キ贄ヲ捧ゲタノデスガ、母ナル神ハ喜ンデハクレマセンデシタ。ヤッパリ犬デハ駄目カシラ」とあった。もう一つは、さらに二カ月ほどさかのぼって、「私ノ身体ニハ蛇ノウロコガアリマス。私ハ、オソラク、蛇ノ生マレ変ワリデショウ」とあった。
どちらも、前の人の投稿や話題を無視して、ポツンと書かれている。この文から察するところ、ハンドルの「真女子」は、やはり上田秋成の小説から取ったものであることは間違いないだろう。
それにしても、「私の身体《からだ》には蛇の鱗《うろこ》がある」とはどういう意味だろう。「蛇の鱗《うろこ》」という言葉から、蛍子の頭にふっとある連想がよぎったが、すぐにそれを否定した。そんなことがあるはずがない。まさか、これを投稿したのが……。
自分の頭を一瞬よぎった疑惑を笑って打ち消すと、蛍子は、掲示板を出て、次のページをクリックした。
一匹の大蛇を身体に巻き付けた女神らしきイラストの画像が現れた。片手に金色の宝珠のようなもの(りんごのようにも見えた)を持っている。その画像の下に、「生き贄」と書かれたボタンがあり、「太母神に生き贄を捧げたい人はこのボタンを押してください」と説明書きがついていた。
蛍子は、タッチパッドのポインタ(指マーク)をその「生き贄」のボタンに載せ、何げなくクリックしてみた。
すると……。
それまで、優しげにほほ笑んでいた女神の顔が一変した。豊かな頭髪は全て蛇に変わり、口が耳までくわっと裂けて開いたかと思うと、その口から溢《あふ》れ出た鮮血が見る間に女神の白い喉《のど》を伝わって全身を赤く染めていく……。
それは、ちょうど文楽人形の口がぱかっと開いて、清らかな娘から恐ろしい鬼女の面貌《めんぼう》に豹変《ひようへん》するような具合だった。
ちょっとした悪戯《いたずら》のつもりだろうが、その女神のイラストというのが、あのホラー漫画の巨匠、楳図《うめず》かずおの絵にも似て、妙にリアルで生々しく描かれているために、蛍子は、思わずぎょっとして軽くのけぞりそうになった。いささか悪趣味な趣向だった。
沢地逸子のホームページを見て回ってから、ブックマークに登録すると、ようやく接続を切った。
そして、ハードディスクに落としてきたコラムの圧縮ファイルを解凍してみた。コラムは、十一個の項目から成り立っている。蛍子は、それを読み始めた……。