蛇女メドゥサとペルセウス
ギリシャ神話における、七大英雄の一人であるペルセウスとメドゥサの話をしよう。
ペルセウスは、大神ゼウスとダナエとの間に出来た息子で、ミュケナイの最初の王でもあった。彼は、義父にあたるポリュデクテス王から、メドゥサなる怪物を退治して、その首を持ち帰るよう命令され、知恵の女神アテナと伝令の神ヘルメスの守護を得て、見事、メドゥサを退治し、その首を奪取する。
そして、その顔を見る者をすべて石にしてしまうというメドゥサの首を使って、悪王でもあった義父のポリュデクテスを石に変えてしまう。
最後に、メドゥサの首は、ペルセウスの守護神となってくれた女神アテナに恭しく捧げられ、(一説には、その首は海に捨てられたともいうが)、戦いの女神でもあるアテナは、その首を誇らしげに自分の神盾《アンギス》に飾ったとある。
ところで、このメドゥサとは一体何者か?
一般に知られたギリシャ神話では、ゴルゴンの三姉妹の末娘であったメドゥサは、もともとは非常に美しい乙女だったのだが、うっかり、自分の美しい髪を自慢したばかりに、嫉妬《しつと》深い女神アテナの怒りを買い、女神によって、その髪をことごとく醜い蛇に変えられ、その顔(あるいは目)を見た者はたちどころに石になってしまうと伝えられるほど恐ろしい怪物にされてしまったとある。
しかし、メドゥサとは、もとをただせば、その名の語源は、「女性の知恵」を意味する、古代リビアのアマゾン女人族に信奉されていた大蛇女神(太母神)だったのである。メドゥサの顔(ないしは目)をまともに見た者はみな石になってしまうという伝説は、月経中の女性の顔をまともに見ると石になるという古代の言い伝えから来ているともいう。
こういったことを踏まえて読み直すと、この英雄神話は、実に興味深い多くの事柄を暗示しているように思える。
まず、アテナ女神と蛇女メドゥサの関係だが、神話ではひどく憎み合って対立しているように見えるが、実は、アテナとメドゥサは、共に太母神の一相(知恵と死)を表しており、言い換えれば、二人は、同一の太母神のダブルイメージにすぎないのである。
さらに突っ込んでいえば、メドゥサとは、古い母権制の社会で信奉されていた太母神の、とりわけ「知恵」を表す女神であったのに対して、大神ゼウスの頭から生まれたというアテナは、母権制にとって代わった父権制の社会で信奉されるようになった新しい「知恵」の女神であったということである。
つまり、この神話は、「知恵」の女神の新旧交替劇とも読めるのである。
なお、ペルセウスがメドゥサの首を掻《か》き切るときに使った金の新月刀(三日月型の曲刀)という武器にも、非常に興味深いものがある。
この金の新月刀というのは、神話によれば、ヘルメスが、「メドゥサの首を切ることができる世界で唯一の刀」として、ペルセウスに与えたものとあるが……。
太古、大地の豊饒《ほうじよう》を祈る儀式などで、太母神たる蛇女神に捧げられた生け贄(聖王と呼ばれる若い男)は、老巫女《ろうみこ》が振るう三日月型の曲刀で去勢されてから殺されたという。
つまり、蛇女メドゥサと英雄ペルセウスの関係は、そのルーツをたどれば、蛇女神と生け贄たる聖王の関係だったのではないか。
遠い昔、曲刀で「蛇の頭」を切り落とされて殺されたのは、聖王たるペルセウスの方だったのである。それが、神話の中では、全く逆転して、ペルセウスが蛇女メドゥサの首を新月刀で切り落として殺したことになってしまったのである。
ついでに言えば、水浴びする女神の裸身を盗み見た罪で、月の女神アルテミスの怒りを買い、鹿に姿を変えられ、自らの飼い犬にずたずたに引き裂かれて殺されたという哀れな青年アクタイオンの神話も、月の女神に捧げられた生き贄の話とも読めよう。
また、アドニスやヒアキュントス、ナルキッソスなどの美少年と女神たちの愛の神話は、彼らが花の神として、太母神に捧げられた生き贄だったことを物語っている。この「花」には、「血」(経血)の意味がこめられているという。
ところで、ヒアキュントスは、太陽神アポロンの「同性の恋人」としてギリシャ神話には登場しているが、もともとは、アポロンではなく、月の女神アルテミスの「恋人」であったらしい。さらに言えば、本来は小アジアないしはアマゾンの太母神であったアルテミス(アナヒタとも言われている)はたいそう生き贄を好んだ女神で、とりわけ雄牛の血を好み、祭りのときは、夥《おびただ》しい数の雄牛が殺され、その血が女神の像に注がれたという。
そして、この月と大地の女神アルテミスが、後に、男性化されて、あのゾロアスター教の太陽神ミトラになったとも言われている。ミトラがしばしば少年の姿で表されたり、両性具有的に見えるのは、もともとは豊饒の女神が男性化したものだったからなのだろう。
また、巨大な猪の牙《きば》に股間《こかん》を突かれて死んだという美少年アドニスの逸話も、彼が去勢された後に殺されたことを暗に表しているようだ。「巨大な猪の牙」とは、まさに、聖王たちが去勢されるときに使われたという三日月型の曲刀を容易に連想させるではないか。三日月の刀を振るう老巫女の恐ろしいイメージが、後に大鎌を振るう死に神の姿になったのだという説もある。
そもそも、「英雄」を表す、ヒーロー「hero」という言葉は、「大女神ヘラに捧げられた男たち」という意味のギリシャ語であった。むろん、この「ヘラ」とは、ギリシャ神話の中では、大神ゼウスの姉であり正妻でもあった、あの「異様に嫉妬深い」ことで悪名高い女神ヘラである。ギリシャ神話の英雄中の英雄ともいうべきヘラクレスの名前も、「ヘラの栄光」という意味がある。
ところで、女神ヘラが、なぜ、あれほどまでに嫉妬深かったのか、つまり、なぜあれほどまでに、夫ゼウスが浮気してよそに作った子供(後の英雄たち)やその母たちをしつこく付け狙《ねら》い殺そうとしたのか。
その隠された真の動機について少し探ってみよう。
女神ヘラは、もともとは、ゼウスの姉でも妻でもなく、古代ヨーロッパの原初から存在する太母神だった。「ヘラ」という名前には、「女主人」ないしは「大地」の意味があるという。
ヘラの本当の「夫」は、ゼウスなどではなく、後に太陽神アポロンに退治された、彼女の子供でもある黒蛇ピュトンである。
それが、太陽信仰をもつ民族に征服された結果、その民族が信奉する男神の姉にして妻という地位に落とされてしまった。ヘラが英雄たちに示した敵意や数々の残酷な仕打ちは、姉さん女房のやきもちなどによるものではなく、母権制民族と父権制民族の闘争を神話的に表現したものという見方もできるのである。
同様のことは、太陽神アポロンと月の女神アルテミスにもいえよう。
よく知られたギリシャ神話では、二人は双子の兄妹(夫婦という説もある)ということになっているが、前にも触れたように、アルテミスという女神は、ギリシャの産ではなく、ペルシャないしはアマゾンで信奉されていた大地の豊饒を司る太母神だった。それがどういうわけか、ギリシャ神話に組み込まれる過程で、太陽神の妹にされてしまったのである。ちなみに、アポロンの方もギリシャの神ではなく、一説には、太母神アルテミスの子という説もある。
またインド神話における、破壊と創造の神シヴァの妻の一人、カーリー女神にしても、本来は、前にも書いたように、インド土着の太母神的性格をもつ蛇女神だった。
さらに、中国神話に出てくる、人類の祖になったというフツキとジョカという兄妹にして夫婦という半人半蛇の神にしても、最初に存在して、世界の創造に深く関与していたのは大蛇女神としてのジョカの方で、男神であるフツキの方は、陰陽思想が定着した後に付け加えられたものにすぎない。
つまるところ、神話に見られる夫婦あるいは兄妹神の多くは、最初からそうだったのではなく、すべてを司る太母神が存在していたところに、後から、半ば強引に男神をペアにして、しかも、男神の方に「至高の神」としての威厳と権力をもたせてしまった結果の産物なのである。
これは、陰陽思想の普及も一因にあるだろうが、父性原理を掲げた民族が母性原理を掲げた民族を征服していく過程で、土着の女神信仰を一掃することができずに、自らの信仰に取り込んでいかざるをえなかったことを示しているともいえよう。