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蛇神3-7-6
日期:2019-03-25 23:01  点击:329
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 八月三十日。
 伊達浩一は、炎天下、ハンカチで首筋を伝う汗を拭《ふ》きながら、「小池昭平・のぶ子」と書かれた表札を掲げる農家風の一軒家の前に佇《たたず》んでいた。
 週刊「スクープ」の編集部で聞いた話では、元編集長の小池は、定年退職後、栃木の古い農家を畑付きで買い取り、そこに妻と二人で引きこもって、今は自給自足の田舎生活を満喫しているということだった。
 訪ねてみると、あいにく、小池は近くの畑に行っていて留守だと妻は言った。しかし、昼時ということもあって、そのうち、昼飯を食べに戻ってくるだろうと言うので、縁側でしばらく待たせてもらうことにした。
 小池を待つ間、妻から聞いた話によれば、小池は東京生まれの東京育ちだったが、五十を過ぎた頃から、しきりに、老後は、田舎に引っ込んで、のんびり畑でも耕しながら暮らしたいと言うようになり、その念願かなって、廃屋同然になっていたこの農家を買い取り、晴耕雨読の毎日を過ごしているのだという。
 三十分ほどそんな世間話をしていると、ようやく、野良着に手ぬぐいを首に巻き付けた小池が戻ってきた。
「ほう、探偵社の方ですか……」
 伊達が渡した名刺を一目見るなり、首に巻いた手ぬぐいで真っ黒に日焼けした顔を丹念に拭《ぬぐ》いながら、小池は言った。
 その姿は、どこから見ても、農夫然としていて、とても数カ月前までは、マスコミ関係の仕事についていた人物には見えなかった。
「……で、私に何か?」
「実は、以前、週刊『スクープ』の編集部にいた達川正輝さんのことで伺いたいことがありまして」
 そう言うと、小池の赤銅色の額にやや不機嫌そうな皺《しわ》が刻まれた。
「ああ、達川……」
 口の中で呟くように言う。
「達川さんが亡くなったのはご存じですか」
 重ねて聞くと、小池は渋い表情のまま頷《うなず》いた。
「テレビのニュースで知りました」
「編集部で聞いた話では、達川さんが退職する前、彼が持ち込んだネタのことで小池さんと対立したことがあったとか。できれば、そのへんの話を詳しくお聞かせ願えないかと……」
「達川君は、やはり、自殺だったんですかね?」
 小池は、縁側に座り、妻が運んできたスイカの一切れを手に取りながら、逆に聞き返した。
「ニュースでは、自殺らしいとか言っていたが……」
 独り言のように言う。
「そのへんはまだなんとも……。聞くところによると、達川さんが持ち込んだネタというのは、大蔵大臣の新庄貴明氏に関わるものだったとか?」
 伊達は小池の質問をさりげなくかわして、話を続けた。
「そのネタというのは、女性がらみですか。それとも汚職がらみ?」
 そうではないことは知っていたが、あえてそう言ってみると、小池はかぶりを振って、
「いや、殺人事件ですよ。それも二十年も昔の……」と言った。
「殺人?」
 伊達は驚く振りをした。
「あの新庄氏が殺人事件に関わっていたと?」
「関わるといっても、犯人の少年を被害者に紹介したというだけの話なんですが」
 そう言って、小池は、ようやく重たい口を開いて、昭和五十二年の夏に起きた蕎麦屋一家惨殺事件について話してくれた。
 当時、時の大蔵大臣でもあり舅《しゆうと》でもあった新庄信人の秘書をしていた新庄貴明は、『隠れた名店』という評判を得ていた、その『くらはし』という蕎麦屋の常連であったのだという。
「……ちょうど古い知り合いから、高校を中退してぶらぶらしている息子の就職口を頼まれていたこともあって、新庄氏は、この少年——矢部稔を『くらはし』に紹介したんですな。
 矢部は雇われて半年くらいは、蕎麦職人になるための修行におとなしく甘んじていたんですが、そのうち、だんだん、仕事を怠けるようになり、店主に対する態度も反抗的になっていった。そして、ある夜、ついに未成年のくせに酒を飲んで来たということから店主の倉橋秀雄と口論になり、その場で解雇を言い渡されてしまった。悲劇はこの夜、起こったんです……」
 その夜、一家が寝静まった後、台所から包丁を持ち出した矢部は、まず、二階に寝ていた倉橋秀雄をめった刺しにして殺し、さらに、一階で寝ていた秀雄の舅にあたる徹三と五歳になる秀雄の長男も同様にして殺害した。
 凶行当時、たまたま風呂《ふろ》に入っていた秀雄の妻の日登美と、二階で寝ていた三歳の春菜という娘だけが凶刃を免れたのだという。
「……五歳の幼児をも惨殺するという凶悪事件であったことから、犯人の矢部は、未成年であったにもかかわらず、懲役刑を言い渡されたんです。ただ、この刑期にしても、事件後、矢部がすぐに自首して素直に捜査に協力し、当初から深い反省の意を表していたということや、酒に酔っての衝動的犯行だったということで、かなり情状酌量されたものだったようです。服役中も模範囚だったということで、定められた刑期よりも早く出所したらしいのですが……」
「新庄氏がその事件に関わったというのは、たんに犯人の少年を紹介したというだけですか……?」
 それだけでは、「スクープ」というほどのネタではないような気がするが、と思いながら、伊達がそう聞くと、小池は猪首《いくび》を振って、
「達川はそうではないと思っていたようです」
「そうではないとは?」
「一見、解雇をめぐっての衝動殺人であったかのように片付けられてしまったが、あの事件には裏がある。すべては最初から仕組まれた計画殺人だったのではないかと言うんですよ」
「計画殺人?」
 驚いたように伊達は聞き返した。
「矢部稔が、衝動殺人を装って、計画的に店主一家を殺害したということですか?」
「いや、矢部が……というより、矢部の背後にいた人物が、ですな」
「どういうことです? 矢部が主犯ではなかったとでも?」
「そうです。矢部稔は、いわゆる『鉄砲玉』にすぎなかった。あの事件には、もっと隠された動機があり、矢部の背後には、真犯人ともいうべき黒幕がいたのだと」
「まさか、その黒幕というのが……新庄貴明だとでも?」
 まるで古いタイプの社会派ミステリーにでも出てきそうな話だなと思いながら、伊達は言った。
 しかし、小池の返事は予想とは違ったものだった。
「達川の話では、新庄貴明もその一人だというのですよ」
「その一人? その一人とはどういうことです?」
「つまり……その」
 小池は言いにくそうに口ごもりながら言った。
「あの事件は、村ぐるみの犯罪だというのです」
「村ぐるみ?」
「新庄の生まれ故郷である長野県の日の本村の……村長や神社の宮司《ぐうじ》を含めた村ぐるみの犯罪だったというのですよ」

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