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蛇神3-8-1
日期:2019-03-25 23:01  点击:240
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 八月三十一日。
 松山空港を出た伊達浩一は、ちょうど発車寸前だった道後《どうご》温泉行きのバスに飛び乗った。
 週刊「スクープ」の元編集長を訪ねたあと、新橋の駅前に古くから住む住人を当たって、倉橋日登美の伯母、秋庭タカ子が、松山の道後温泉近くで「白鷺《しらさぎ》荘」という旅館をやっているという情報を得たのである。
 バスは四十分ほどで道後温泉に到着した。
 四国最大の歓楽温泉街として知られるだけあって、古風な明治風の建物である道後温泉本館を中心に、周囲には、ホテルや旅館、土産物店などがひしめきあい、ゆかた姿で散策する人々の姿があちこちで見かけられた。
「白鷺荘」は、純和風の典型的な老舗《しにせ》旅館だった。フロントに行って、係の者に大女将に会いたい旨を伝えてから、ロビーのソファで待っていると、しばらくして、七十年配の貫禄《かんろく》のある和服姿の女性が現れた。
 秋庭タカ子だった。
「姪御《めいご》さんの倉橋日登美さんのことで伺いたいことがありまして」
 名刺を渡して、そう言うと、秋庭タカ子は、名刺を見ながら、「姪とは二十年以上も会っていないので、わたしに何か聞かれても……」と、やや迷惑そうな表情をした。
「日登美さんが亡くなったのはご存じないんですか?」
 そう聞くと、タカ子は、名刺から顔をあげて、「えっ」というように目を剥《む》いた。
「亡くなったって……いつ?」
「昭和五十三年の九月に……」
 と答えると、
「昭和五十三年……。それじゃ、あの翌年に?」
 タカ子は、呆然《ぼうぜん》と呟《つぶや》くように言った。
「病気ですか? それとも事故か何かで?」
「お産が原因だそうです。ひどい難産だったそうで」
「お産?」
 タカ子は一瞬|怪訝《けげん》そうな顔をしたが、すぐに、「それで、その子供の方は……?」と聞いた。
 子供の方は無事に生まれ、その後、養子に出されて、今は立派に成人しているとだけ伝えると、タカ子はそれ以上のことは関心がないのか、聞こうともせず、「そうですか」と幾分安心したような顔をした。
「実は、このお嬢さんが実母である日登美さんのことを詳しく知りたいと私どもに依頼されてきた次第でして……」
 調査の目的をそうほのめかすと、タカ子の顔にようやく納得したような色が浮かんだ。
「それで……春菜は? 日登美にはもう一人娘がいたはずですが」
 ややあって、思い出したように言った。
 春菜の方も、昭和五十二年の秋に病死したらしいことを告げると、タカ子は、言葉が出ないという顔でしばらく黙っていたが、
「そうだったんですか。日登美も春菜もそんな昔に亡くなっていたんですか。ちっとも知りませんでした……」
 ため息混じりの声で言った。
「……あの事件のあと、日登美さんは母がたの実家である長野県の日の本村に帰られたのですね? その後、日登美さんから何も連絡はなかったのですか?」
 そう聞くと、タカ子は、「一度だけ手紙を貰《もら》った」と答えた。
「日の本村に着いてすぐにくれたんですが、それには元気でやっていると書かれていたので安心していたんです。それっきり、連絡は途絶えてしまい、年賀状を出しても返事が来ないので気にはかけていたのですが、こちらもつい忙しさにかまけて……。まあ、便りがないのは良い便りとも言いますから、てっきり、今もあちらで元気に暮らしているのだとばかり思っていました」
「その手紙というのは保存してありますか」
 そう聞くと、タカ子は頷《うなず》いた。「ちょっと見せて貰えないか」と頼むと、「今、持ってくる」と言って中座し、すぐに手紙を手に戻ってきた。
「そういえば、昨年の秋頃だったと思いますが、やはり日登美のことで、週刊誌の記者という人が訪ねてきましてね。日登美が今どこに住んでいるのか知りたいと言って……」
 タカ子は封書を伊達に渡しながら言った。
 伊達は封書を受け取ると、「拝見します」と断って、中から便せんを取り出した。それを開いて、ざっと目を通してみると、そこには、流麗なペン字で、葬儀のときには何かと世話になったと伯母への礼からはじまって、日の本神社の禰宜《ねぎ》だと名乗る神聖二という男の突然の訪問を受けてから、この男と共に、日の本村に帰るまでのいきさつが事細かに記されていた。
 さらに、新庄貴明のことに触れたくだりでは、「……それで、その神という人が訪ねてみえたあと、新庄さんから電話がありましたので、新庄さんに、このことを打ち明けて相談してみましたところ、そういうことなら一度村へ帰ってみたらどうだとおっしゃるので、ようやく決心がつきました」としか書かれていなかった。
「この新庄さんというのは……?」
 便せんから顔をあげて、かまをかけるように聞いてみると、
「新庄貴明さんですよ、大蔵大臣の」
 秋庭タカ子はすぐにそう言った。
「お知り合いだったんですか」
 驚いたような振りをして、重ねて聞くと、タカ子は大きく頷いた。
「わたしも徹三の葬儀のときに一度お会いしただけで、詳しいことは知らないんですけど、『くらはし』をいつも贔屓《ひいき》にしていてくれたそうです。あの事件のあとも、なんでも、『くらはし』に犯人の少年を紹介したのが新庄さんだったそうで、その責任を感じてか、日登美母娘にはそれはよくしてくださったそうで……」
「新庄氏も日の本村の出身だったということはご存じでしたか?」
 そう聞くと、タカ子ははっとしたような顔になった。
「そうそう。そういえば、そんな話を、あの記者さんから伺って、びっくり仰天したんでございますよ。新庄さんが日の本村の出身で、日登美とは従兄妹《いとこ》同士の間柄だったなんて……」
「日登美さんからは、そのことは何も?」
「聞いてません」
「しかし、だとすると妙ですね。この手紙では、神聖二という男の訪問を受けたあと、日登美さんは、新庄氏に電話で相談したと書いてあります。たとえ、それまで知らなくても、このときに、互いに従兄妹同士であることは分かったはずですが。少なくとも新庄氏の方には」
 そういうと、タカ子も首をかしげた。
「そうですねえ。あの記者さんも同じようなことを言ってましたけれど……」
「あと……これはどういう意味でしょうか」
 伊達はそう言って、日登美の手紙の末尾の方に書かれていた文面を読み上げた。ざっと読んだときに、なんとなく引っ掛かった箇所だった。
「『父のことはまだ何も分かりません。この村では、日女の産んだ子供は、みな『大神の子』とされているそうです……』とありますが、この父というのは、倉橋徹三さんのことでしょうか?」
 そう聞くと、秋庭タカ子はかぶりを振った。
「いいえ、それは、日登美の実の父親のことです」
「実の父親って……日登美さんの父親は徹三さんではなかったんですか」
「違います。徹三が緋佐子さん———日登美の母親ですが———と知り合ったのは、わたしがこちらに嫁いだ後のことなので、詳しいことはわたしも知らないのですが、聞いた話では……」
 そう言って、タカ子は、倉橋徹三と神緋佐子のなれそめを話してくれた。当時、蕎麦《そば》職人として修行中だった徹三が、より良い蕎麦粉を求めてあちこちを旅していた頃、長野の日の本村が蕎麦所であることを聞き付け、訪ねて行ったときに、そこで巫女《みこ》をしていた緋佐子と知り合ったのだという。
「……徹三と緋佐子さんが一緒になったとき———といっても、正式に結婚したわけではなかったんですが———緋佐子さんは既に生まれたばかりの日登美を連れていたそうです。その後、緋佐子さんがすぐに病死したとかで、徹三が日登美を自分の籍に入れて、自分の子として育てたんですよ。日登美はこのことをあの事件が起きるまで全く知らなかったようです。わたしが話すまでは……」

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