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「……信じられないわ、そんな話」
例のバーのカウンターで、伊達から、週刊「スクープ」の元記者だった達川正輝が倉橋日登美のことを調べていた理由を聞かされた蛍子は、すぐにそう言った。
昭和五十二年のあの殺人事件が、新庄貴明を含めた日の本村の連中が仕組んだ計画犯罪だった……?
「確かに、俄《にわか》には信じがたい話なんだが……」
伊達はそう言いながら、背広の懐から封書のようなものを取り出すと、蛍子の前に置いた。
「これを読むと、達川の推理にも一理あるという気がしてきた」
見ると、かなり古い手紙のようで、宛名《あてな》は、「秋庭タカ子様」となっていた。手に取って、裏を返すと、差出人は、「倉橋日登美」となっており、住所は長野県日の本村と書かれていた。
「これは……?」
「倉橋日登美が日の本村に帰ってすぐに伯母宛てに出した手紙だ。村に帰ったいきさつが細かに記されている。秋庭タカ子にその手紙をコピーさせてくれと言ったら、持って行っていいと言ってくれた。自分が持っているより、日登美の遺児が『実母の形見』として持っている方がいいだろうと言って……」
蛍子は、封筒から便せんを取り出すと、それを読み始めた。
伊達は蛍子が手紙を読み終わるまで、二本めの煙草に火をつけて、黙ってふかしていた。
「……ほんと、変だわ」
やがて手紙を読み終わった蛍子は呟いた。
伊達の言う通りだ。確かに変だ。この文面からすると、倉橋日登美は、新庄貴明が自分の従兄であることを全く知らなかったように見える。
「どうして、新庄貴明は倉橋日登美から電話で相談を受けたとき、自分も日の本村の出身だということを打ち明けなかったのかしら……」
「新庄だけじゃない。その神聖二という男にしても、神家の連中にしても、なぜ、神家の長男である新庄のことを日登美に話さなかったんだろうか。それも妙だと思わないか?」
「そうね。手紙には、最初は従兄だと名乗っていた神聖二が、こちらに来て、本当は、母を同じにする兄であることが分かったと書いてあるわ。そこまで分かったなら、当然、新庄のことも自然に分かるはずよね……」
「神家の連中が口裏を合わせて新庄のことはあえて隠した……としか思えないな」
伊達は、喫いきった煙草を灰皿に押し付けながら言った。
「それに、それを読むと、神聖二の訪問を受けた直後に、新庄から電話がかかってきたように書かれている。しかも、新庄は日登美が村へ帰ることを強く勧めたようだ。勘ぐれば、新庄は、弟が日登美を訪ねることを前以て知っており、タイミングを図って電話をしたとも考えられる……つまり、最初から何もかもが計画的だったということだ」
「ねえ、これ、どういうこと?」
ふと妙なことに気づいて、蛍子は言った。
「この最後の方に、『父のことはまだ何も分かりません』云々って書いてあるけれど、日登美は倉橋徹三のことで何か調べていたのかしら?」
「いや、その『父』というのは、倉橋徹三のことではなくて、日登美の実父のことらしい」
「実父って、倉橋徹三は日登美の父親ではなかったの?」
「らしいね。秋庭タカ子の話では……」
伊達はそう言って、タカ子から聞いた話を蛍子に話した。
「週刊『スクープ』の元編集長は、倉橋徹三と神|緋佐子《ひさこ》はしめし併せて駆け落ちしたように言っていたが、事実は少し違うようだ。むしろ、緋佐子の方が徹三を追いかけて村を出たようだ。それに、徹三が日の本村を訪れたとき、既に日登美は生まれていたようだし……。日登美の母親である神緋佐子は日女だった。真鍋さんの話では、日女の生んだ子供はすべて『大神の子』とされるというが、おそらく、父親は、その年の『大神祭』で三人衆を勤めた誰かということになるんだろうね」
「だとしても……」
蛍子は考えながら言った。
「なんだか妙な話ね。神緋佐子は、どうして生まれたばかりの日登美だけを連れて倉橋徹三の元に行ったのかしら。この神聖二という人も緋佐子の子供だったわけでしょう?」
「幼い子供を二人も抱えて行くわけにはいかなかったんだろう。それで、まだ手のかかる乳飲み子の方だけ連れて行ったのかもしれないが……」
「でも、日女の生んだ子供は、日の本神社の宮司《ぐうじ》夫妻の籍に入れられて、大切に育てられるという話なんでしょう? それなのに、なぜ……。日登美が倉橋徹三の子だとでも言うなら一緒に連れて行った理由も分かるのだけれど。そうではないとすると、わざわざ手のかかる乳飲み子を連れて行った理由がわからないわ。生まれたばかりの赤ん坊を手放したくないという母性本能かしら……」
「ひょっとすると」
伊達が何かを思いついたような顔で言った。
「神緋佐子が赤ん坊だった日登美を連れて村から逃げた理由と、日登美が身ごもったまま村から逃げた理由は同じかもしれない……」
「どういうこと?」
「いや、俺《おれ》にもよくは分からない。ふとそんな気がしたんだ。奇しくも、倉橋日登美は母親と同じような運命を辿《たど》ったことになる。これは単なる偶然だったんだろうか。それとも……」
「それとも?」
「この二人の女に同じような行動を取らせた何かが、あの日の本村という村にあったのか。それに、春菜という娘のことも気になる。真鍋さんの話では、この娘は、昭和五十二年の『大神祭』の直後に病死したらしいというが、真鍋さん自身、その話は例の達川という記者から聞いた話にすぎないと言っていた。本当に春菜という幼女は病死したのか。まあ、あとは、あの村に直接行ってみるしかないようだな……」
「日の本村へ行くつもり?」
蛍子が聞くと、伊達は頷いた。
なんとなく嫌な胸騒ぎがした。伊達はこの件に深入りしすぎているのではないか。いや、深入りしようとしているのではないか。達川という記者にしても、この件に深入りしすぎたせいで、命を落とす羽目になったのではないか。
「もうかかわらない方がいいんじゃない?」
そんな言葉が思わず蛍子の口から出かかった。だが、それを口にはしなかった。なぜ、口まで出かかった言葉を呑《の》み込んでしまったのか。
伊達の性格をよく知っていたからだ。伊達はこの件に、仕事を離れた個人的な興味をもってしまったようだ。それは、彼の目の輝きで分かる。ここで、「もうやめろ」と止めたところで、他人の忠告に素直に従うような男ではなかった。自分が納得するまで、とことん、この件に食らいついていくだろう。それに……。
この件にかかわっている限り、こうして、彼と会う口実ができる。既に家庭をもっている昔の恋人と、誰はばかることもなく堂々と会う口実が……。
蛍子の中には、そんな狡《ずる》い思惑もあった。