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蛇神3-9-4
日期:2019-03-25 23:04  点击:247
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「でも、自分的には、この名前、けっこう気に入っているけどね」
 新庄|武《たける》はそう続けた。
「おふくろが一番つけたかった名前なんだって。なんでも、神話の英雄、日本武尊《やまとたけるのみこと》から取ったらしい」
「……ねえ、知ってる?」
 彼女がふいに言った。
「ヤマトタケルって、自分の兄を殺したんだよ」
「うそ? 知らねえよ、そんな話。死んで白鳥とかになったって話なら聞いたことあるけど……」
 武はぎょっとしたような顔で言った。
「うそじゃないわ。古事記にちゃんと書いてあるもの。ヤマトタケルには、大碓命《おおうすのみこと》という双子の兄がいたんだけれど、ある日、トイレで待ち伏せして、この兄の手足を引き裂いて殺したって」
「なんで……殺したんだよ?」
「さあ。動機までは書いてないけれど、一説には、父の景行《けいこう》天皇が兄の方ばかりに目をかけるので嫉妬《しつと》して……とも言われているわ。聖書の中でカインが弟のアベルを殺したようにね」
「……」
「だからこそ、ヤマトタケルはこのあと、父王の命令で、西に東に休む暇も与えられずに、朝廷にまつろわぬ者たちの討伐に行かせられたのよ。つまり、ヤマトタケルの蛮族討伐は兄殺しの罰でもあったってことね」
「でも……ヤマトタケルって英雄なんだろ?」
「結果的に英雄になっただけ。僻地《へきち》に流されて、自分が生きていくためには、その地を支配していた蛮族をやっつけるしかなかったのよ。所詮《しよせん》、英雄なんて、特殊な殺人者に与えられた別名みたいなもの。一人殺せば殺人者だけれど、千人殺せば英雄とも言うでしょ。たとえば、スサノオだって、高天が原にいたときは、殺人をはじめ、さんざん悪いことして、そのせいで天界を追放されて出雲に流されたくらいなんだから。でも、その結果、ヤマタノオロチという怪物を倒して英雄になれた。それに、ヒーローという言葉そのものが、もともとは、大女神ヘラに捧《ささ》げられた男たちという意味のギリシャ語が語源で、母なる神に捧げられた生き贄《にえ》のことを言ったのよ」
「生き贄……?」
「そう。殺人者にして生き贄。これが英雄と言われている者の真の姿」
「ふーん……」
 武は、幾分引いたような表情で彼女の方を見ていたが、
「ま、そんなのは神話の中の話だから」と気を取り直したように呟いた。
「さあ、それはどうかしら。名前というのは個人を識別する単なる記号じゃない。名前に篭《こ》められた言霊《ことだま》がその人の運命を操るということもあるかもよ……。たとえば、あなたも、その名前ゆえにヤマトタケルのような運命を知らず知らず歩くことになるかも……」
「俺が兄貴を殺すとでも?」
「そして、お父さんの跡を継ぐのは、お兄さんではなくて、あなたってことになるかも……」
「ははは。笑っちゃうね。神代の時代なら、兄貴殺しても、せいぜい僻地に流されるくらいで済むかもしれないけど、平成の世に、人殺したら、刑務所行きだよ? 十八歳の誕生日迎えちゃったから、下手すりゃ死刑もありうるし」
「捕まればの話でしょ、それは」
「……でも、どちらにせよ、俺が親父の跡を継ぐということはなさそうだな」
 武は自分の右の掌《てのひら》を見ながら言った。
「なぜ、そう言い切れるの? たとえ、あなたが望まなくても、お兄さんが病気とか事故で亡くなる可能性だってありうるじゃない? そうすれば……」
「俺自身が長生きできないからさ。生命線が途中でぶった切れてるんだよ。ほら」
 武はそう言って、片手を差し出した。なるほど、右手の生命線は太いが異様に短い。断ち切られたような短さだった。
「手相見に言われたことがあるんだ。寿命短いって。ひょっとしたら、二十歳まで生きられないかもしれないって。よぼよぼの爺《じじ》いになるまで長生きしたいとも思わないから、それは別にいいんだけれどさ……何がおかしいんだよ?」
 武は薄気味わるそうに、突然笑い出した女の方を見た。
「なに、笑ってるんだ……?」
「ううん、別に。手相ってけっこう当たるんだなって思って」
「……?」
「そうね。あなたは長くは生きられないかもしれないわね……」
 彼女は蛇のようにじっと少年を見つめながらそう言った。

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