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沢地の新しいコラムはここで終わっていた。
さほど分量はないと思って読み始めたのだが、読んでみると、結構長かった。蛍子は目をこすりながら、そのコラムの分だけをハードディスクに保存すると、回線を切った。ネットもいいが、長い間やっていると、ひどく目が疲れる。
「太母神」をテーマにしたコラムのはずなのに、なぜ「諏訪信仰」の話などが出てくるのだろうと、はじめの方は、不思議に思いながら読んでいたのだが、諏訪大社下社の女神であるヤサカトメの話に至って、ああそうかと、やっと沢地の意図が理解できた。
今回の話は、「天照大神は女装した男王」とか「ヤマタノオロチは雌」とか「かぐや姫は翼ある蛇」とかいう以前の内容と違って、トンデモ度も低く、わりとすんなり読むことができたのだが、読み終わったあと、蛍子は妙なことに気が付いた。
これを読んだら寝ようと思っていたのに、そのことが気になって、眠気がふっ飛んでしまった。
それは、「諏訪信仰」を支える神官の一派に、神《みわ》という姓が出てきたことである。コラムの中では、この神氏というのは、諏訪大社の主祭神タケミナカタの子孫にあたり、後の諏訪氏であると書かれているのだが……。
蛍子が気になったのは、火呂の双子の姉、葛原日美香《くずはらひみか》の養父になった日の本村の宮司も神姓だったということである。
これは偶然なのだろうか。
諏訪と長野と離れてはいるが、同じ長野県内でもあり、近いといえば近い。諏訪の神氏と日の本村の神氏との間には、なんらかのつながりがあるのかもしれない。たとえば、遠い昔、同じ氏族が分かれたとか……。
しかも共通点は他にもある。
「諏訪信仰」の主祭神であるタケミナカタも、また、「真の諏訪神」であるというミシャグチも、共に「蛇神」であるということだった。
あの鎌倉の高校教師が書いた『奇祭百景』という本によれば、確か、日の本村で祀《まつ》っているのも、「大神」と呼ばれる「蛇神」ではなかったか。
ここから考えても、この両氏が元は同族だったのではないかと推測できた。
そもそも、「神氏」のルーツは、古事記によれば、「三輪《みわ》の大物主の子孫にあたるオオタタネコが祖《おや》」であると書かれている。「三輪の大物主」も「蛇神」であることから考えると、大和にいた蛇神族が、何らかの事情で、信州に移り、さらに諏訪と日の本村に分かれたとも考えられる。
ただし……。
同じ「蛇神」を祀るにしても、その祭りの形態は全く違うようだったが。
日の本村の例祭である「大神祭」の方は、大《おお》日女《ひるめ》という老|巫女《みこ》によって、蛇神の霊が「三人衆」なる三人の若者たちにおろされ、この三人衆が「神」となって、村中の家々を訪問するという、秋田の奇祭「生はげ」にも似た神事のようだった。
とはいえ、共通するところもある。
諏訪の「御頭祭」においては、「蛇神」の霊をおろされるのは、神氏の血筋にあたる男児であるという。しかも、この男児は後に一人になったようだが、当初は、六人いたらしい。複数の「ヨリマシ」に神霊がおろされるという点はよく似ている。
もっとも、大きく違うのは、諏訪信仰では、蛇の霊をおろされた男児が、参詣人《さんけいにん》たちによって打ち殺される存在、古くは、「生き贄」だったらしいということである。
しかし、日の本村の「大神祭」の方には、そのような血腥《ちなまぐさ》い「生き贄」儀式などは……。
そこまで考え、蛍子は、頭をふとよぎった思いつきにぎょっとした。
日の本村の祭りにも、「子供」が神事の主宰になる祭りがあったことを思い出したのだ。確か、七年ごとに行われる大祭の最後を飾る、「一夜《ひとよ》日女《ひるめ》の神事」とかいう神事だった。まだ初潮を見ない十二歳以下の幼い日女(日の本村では、巫女のことをこう呼んでいた)が主役となる祭りだったはずだが……。
蛍子の記憶では、『奇祭百景』という本の日の本村に関する記述には、「一夜日女の神事というのは、七年に一度の大祭の最後に、天界に戻っていく大神に、一夜の妻を捧《ささ》げるという意味で、深夜、幼い日女を神輿《みこし》に乗せ、村の決まったルートを練り歩くというもので、祭りといっても、村人や観光客はその神事を見ることは許されず、神輿の担ぎ手も神官に限られ、日の本神社の関係者の手によって、それは、まるで葬礼のようにひっそりと行われた……」という旨のことが書いてあった。
思えば、この神事の奇怪な「秘密主義」は、諏訪信仰の「秘すべし、秘すべし」と言い伝えられ、その神事の様がけっして外部に漏らされなかったという話と一脈通じるものがある。
そして、なぜそれほどまでに「秘密」にされたのかといえば……。
もしかしたら、と蛍子は思った。
「一夜日女の神事」というのも、大昔は、「生き贄」を捧げる儀式だったのではないだろうか。男児と女児という違いこそあれ、これも「子供」を「生き贄」にする儀式だったのではないか。だからこそ、深夜、こっそりと神官たちの手だけで行われたのだ。葬礼のように、ではない、まさに、それは、まだ幼い子供を蛇神に捧げる「葬礼」そのものだったとしたら……。
むろん、たとえそんなことがあったとしても、諏訪大社の祭り同様、大昔の話だろうが……。
そう思いかけた蛍子の脳裏に、ふいに、伊達浩一から聞いた話が蘇《よみがえ》った。火呂の実母にあたる倉橋日登美の幼い娘、火呂と日美香には異父姉にもあたる春菜という幼女が、昭和五十二年、この「一夜日女」に選ばれたあと、すぐに「病死」したという話を。
伊達は、この幼女の死を「ほんとうに病死だったのか……」と疑っていた。そして、そのことは、日の本村に行ってみれば分かるとも言っていた。
そうだ。あれは、伊達が日の本村に出掛ける前の夜のことだった。
それに……。
伊達浩一が疑惑をもっていたのは、この春菜という幼女のことだけではない。昭和五十二年の夏に起きた、「くらはし」という蕎麦店《そばてん》経営者一家を襲った事件も、これまでそう思われてきたような、住み込み店員による解雇をめぐっての衝動的な犯行ではなく、日の本村の宮司や村長らが共同して企んだ計画殺人だったのではないかと疑っていた。
しかも、この犯罪には、日の本村の出身でもある現大蔵大臣の新庄貴明も一枚|咬《か》んでいたのではないかという。
蛍子としては、そんな話は荒唐無稽《こうとうむけい》すぎて、とても信じられるものではなかったのだが……。
しかし、もし、もしもである。
伊達の疑惑が単なる妄想ではないとしたら。あの日の本村には、何か外部に知られては困るような「秘密」があるとしたら。そして、その「秘密」を伊達が嗅《か》ぎ付けてしまったとしたら……。
伊達を最後に見たのは、日の本村の村長だったというが、村長は本当に伊達浩一を車に乗せて長野駅まで運んだのだろうか。それ以降の伊達の足取りがぷっつりと途絶えており、誰にもその姿を目撃されていないということは……。
伊達が「村を出た」というのは、日の本村の村長や寺の住職がそう言っているにすぎない。もし、彼らが口裏を合わせているのだとしたらどうだろう。
ひょっとしたら、伊達はあの村から出てはいないのではないか。伊達浩一を襲った「予期せぬ出来事」とは、日の本村を出たあとではなく、日の本村にいたときに生じたのではないか。
それに、気になることは他にもあった。
伊達の前にも、この日の本村に興味をもち、調べていた者がいたということだった。しかも、その週刊誌記者だという中年男は、数カ月前に「変死」していた。自宅マンションのベランダから転落死したというのだ。それも、事故なのか自殺なのか判然としないという。
日の本村のことを調べていた男がそろいもそろって、「変死」と「失踪《しつそう》」を遂げているとは……。
気になることはもう一つある。
それは、葛原、いや、神日美香の不可解な態度である。火呂の話では、二人が対面した日、日美香は、「わたしたちはもう会わない方がいい。日の本村のことも実母のことも忘れた方がいい」というようなことを別れ際に言ったというのだ。二十年ぶりで会った双子の妹に向かって言う言葉にしては冷たくよそよそしすぎる気がした。しかし、火呂はそんなことを言い出した姉の様子に「冷たいというより牽制《けんせい》している」ように感じたと言う。
日の本村には何かある。よそ者が近づいてはいけない「何か」が。神家の養女になった日美香はそれを知っているのではないか。だから、妹にはそれに近づかせないために、あえて冷たく突き放すような態度を取ったのではないだろうか。
すべては日の本村に行けば分かるかもしれない……。
ふっとそんな考えが蛍子の頭に浮かんだ。
たとえ、今考えたようなことが妄想にすぎないとしても、村長や寺の住職の証言が真実で、伊達の失踪があの村とは全く無関係だったとしても、あの村に行けば、何かが分かるのではないか。
警察が調べた限りでは、伊達は村を出たあと、まっすぐ東京に帰ると言っていたということだが、本当は、どこかに寄るつもりでいたのかもしれない。
新幹線を利用すれば、長野から東京まで一時間弱で移動できる。そして、その東京から、伊達の自宅まで大した時間はかからない。こんなルートで、本人の意志ででもない限り、大人の男が、どうやったら「失踪」できるというのか。伊達の失踪が東京へ戻るルート上で生じたとはとても思えなかった。
村を出たあと、どこかに立ち寄るつもりでいたことは、村長や住職には言わなくても、村の誰かに話していたかもしれない。誰かがそれを覚えていてくれるかもしれない。直接当たれば、誰かが教えてくれるかもしれない。
そんな藁《わら》をもつかむ思いもあった。
たとえ、それがむなしい結果に終わったとしても、何もしないで手をこまねいているよりはましだ。いつかかってくるかも分からない携帯の着信音をじっと待つよりも……。
それに、有給もだいぶたまっているし、夏から手掛けていた翻訳小説の方も一段落ついて、今なら二、三日休みを取っても会社に迷惑はかからない。行くとしたら今しかない。
日の本村に行こう。
蛍子はそう決心していた。