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蛇神4-2-3
日期:2019-03-26 22:18  点击:311
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 日の本寺を出て、あの三差路の所まで戻ると、蛍子は、社の方向に向かった。しばらく行くと、二の鳥居が見えてきた。
 参道前にあった一の鳥居にくらべると、やや小ぶりで造りも新しい。しかし、同じように、大蛇を思わせる不気味な太いしめ縄が張られていた。
 その二の鳥居をくぐり、さらに行くと、周囲に沢山の酒樽《さかだる》を積み重ねた舞殿と拝殿とおぼしき古びた木造の建物が見えてきた。
 例の高校教師、真鍋伊知郎の書いた「奇祭百景」によれば、日の本神社には本殿はなく、拝殿の背後の鏡山という山が御神体であるらしかった。この「鏡山」の「かがみ」というのも、もともとは、蛇の古語である「蛇《かが》」の身という意味で、「蛇身」と書いていたのが、いつのまにか、「鏡」になったのだという。
 どうやら、蛇神を祀《まつ》るこの神社では、背後の山をとぐろを巻いた巨大な蛇に見立て、それを御神体と仰いでいるようだった。
 神社内はしんと静まり返っていた。神郁馬らしき神官の姿を探したが、夕暮れの気配が色濃く漂いはじめた境内には、人の姿はおろか、猫の子一匹いなかった。ただ、周囲の樹林に住む鳥の鳴き声が時折響くだけである。
 蛍子は境内の中を郁馬の姿を求めて歩き回っていたが、ふと、拝殿の背後に、人ひとりがようやく通れるくらいの細道があるのに気づいた。その道の手前には、「関係者以外立ち入り禁止」という立て札がたっていたが、この奥に社務所か何かがあって、そこに神郁馬がいるかもしれないと思い、その立て札を無視して、蛍子はさらに進んだ。
 やや曲がりくねった細道を歩いて行くと、ふいに、前方から、子供の甲高い笑い声と、「はい、もう一度」という優しげな女性の声が聞こえてきた。見ると、杉木立に囲まれた庭のようなところで、白衣に濃紫の袴《はかま》をつけた二十歳代半ばと見られる女性が、三、四歳の幼女を相手に毬《まり》遊びに興じていた。オカッパ頭の幼女の方も白衣に濃紫の袴姿だった。
 どうやら、これが、この村では「日女《ひるめ》」と呼ばれている巫女《みこ》らしい。そういえば、と蛍子は思い出していた。真鍋の本に、「大日女」と呼ばれる老巫女と、「若日女」と呼ばれる巫女たちが、社の裏手にある家屋で、村人とは隔絶された共同生活を営んでいると記されていたことを。
 毬遊びに興じる二人の向こうには、家屋らしき建物が見えた。
「あの、すみません……」
 蛍子は声をかけた。
 赤い毬を手にした女性の方がはっとしたようにこちらを見た。
「どなたですか。ここは一般の参詣者《さんけいしや》が来るところではありません。関係者以外は立ち入り禁止ですよ。立て札があったのをご覧にならなかったのですか」
 白い女雛《めびな》を思わせる優しげな顔に似合わぬ、凜《りん》とした厳しい口調で、若い日女は蛍子を問い詰めた。
「ご、ごめんなさい。ちょっと人を探していたものですから。神郁馬さんという方なんですが……」
 蛍子は慌ててそう言い訳したが、その日女は、問答無用という態度を崩さず、「お帰りください」とだけ言うと、そばにいた幼女の方に駆け寄り、まるで、蛍子の視線からその幼女をかばうような奇妙な仕草を見せた。
 そして、突然毬遊びを中断されて少しぐずったような表情をしている幼女の手を引っ張るようにして、家屋の方向に足早に行ってしまった。
 蛍子は、この若い日女の、ややヒステリックとも見える言動を唖然《あぜん》として見送っていたが、年上の日女に手を引かれながら、自分の方を不思議そうに振り返っていた愛くるしい幼女の顔に、なんとなく見覚えがあるような気がした。
 あの子、どこかで見たような……。
 オカッパ頭に、右|頬《ほお》に、やや目立つ黒子《ほくろ》。
 どこかで見たと思いながらも、どこで見たのか思い出せないまま、蛍子は来た道をすごすごと戻った。
 社に戻っても、やはり、人の気配はなかった。明朝にでも出直そうと、これ以上神郁馬を捜すことをあきらめ、二の鳥居の方に行きかけたときだった。
「ちょっと……」と自分を呼び止めるような男の声を背後に聞いて、蛍子は、思わず足を止めて振り返った。さきほどの社の裏手の細道の方から、竹箒《たけぼうき》を手にした男が息せききった様子で現れた。
 白衣に浅葱《あさぎ》の袴《はかま》をつけた二十歳そこそこの若い男だった。
「僕を探しておられたというのはあなたですか」
 若い男はそう言った。
「神郁馬さん……でしょうか?」
 蛍子が尋ねると、その男は、そうだというように大きく頷《うなず》いた。走ってきたせいか、色白の頬が紅潮している。女のような顔立ちの美青年だった。
「物忌み」と呼ばれる、大日女たちの住居の周辺を掃除していたら、日女の一人に、自分を探している女性がいたと聞かされ、それで慌てて駆けつけてきたのだと、郁馬は言った。
「それで、僕に何か御用でも?」
 蛍子は自分の名を名乗り、伊達浩一の友人であることを打ち明けた。
「伊達さん……」
 伊達の名を聞くと、郁馬は、ややはっとした表情になった。
 蛍子は伊達浩一がこの村を出たきり、いまだに行方不明であることを話した。
「……そうですか。伊達さんの行方はまだ分からないんですか」
 蛍子の話を聞くと、神郁馬も、日の本寺の住職夫妻同様、気の毒そうな顔になった。
「ご住職の話では、九月四日の朝、伊達さんは、神さんの運転する車で長野駅まで送ってもらったということですね。それで、できれば、そのときのことなどを詳しく伺いたいのですが……」
 蛍子がそう言うと、神郁馬は、「そのことなら警察の人が調べに来たときに、全部お話ししましたが……」と、やはり住職同様、少々迷惑そうな様子を見せていたが、「何でもいいんです。どんなささいなことでも」と蛍子が食い下がると、郁馬は、しばらく思案するようにしていたが、「それでは、ここで立ち話も何ですから、うちの方で……」と言い出した。
 聞けば、宮司宅は社から数分の所にあるという。
「ちょっと待っててください」
 郁馬はそう言い残すと、竹箒をもったまま、蛍子の前からいったん姿を消したが、すぐに、手ぶらで戻ってきた。
 

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