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蛇神4-2-8
日期:2019-03-26 22:23  点击:322
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「あの……これは?」
 老住職の豹変《ひようへん》ぶりに、蛍子はやや引き気味になりながらも、あることに気が付き、掛け軸を指さした。
 半人半蛇の大神の像の背後に半ば隠れるようにして、ひっそりと佇《たたず》む女性、というよりも童女の姿が描かれていた。
 やや憂いを含んだ表情で目を閉じ、両手を祈るように前で合わせている。蛇神の猛々《たけだけ》しさとは対照的に、まるで観音|菩薩《ぼさつ》を思わせるような清楚《せいそ》で静かな佇まいだった。
「……それは、一夜日女命《ひとよひるめのみこと》様です。俗に『一夜様』と申し上げ、大神の神妻ですのじゃ」
 そう答えた住職の顔には、いっとき垣間見せた狂信的な色が消えて、元の好々爺めいた表情が戻っていた。
「ああ、これが一夜日女……」
 思わず蛍子はそう呟くと、
「ご存じかの?」
 住職は顔をあげて蛍子の方を見た。
「あ、いえ、さきほど、郁馬さんからちょっと伺ったものですから」
 蛍子はややうろたえて、そう説明した。
「ほう。郁馬さんに……」
「なんでも、大神祭の最後の日に、一夜日女の神事というのがあるとか」
「いやいや、大神祭といっても、毎年行われる例祭ではこの神事はありません。七年に一度の大祭のときだけ行われますのじゃ。今年がちょうどその大祭の年に当たっているのですが……」
 住職はそう言って、この神事の様を簡単に説明してくれた。
 それは、真鍋伊知郎の本に書いてあった説明の域を出ないものだったが、蛍子ははじめて聞くような顔をして聞いたあとで、
「あの……もしかしたら、その一夜日女の神事というのは、古くは、人柱というか生き贄《にえ》の儀式だったのではないでしょうか……?」
 と、おそるおそる尋ねてみた。
 すると、「生き贄などとんでもない」と頭から否定するかと思った住職が、一瞬、鋭いまなざしで蛍子の方を見て、
「郁馬さんがそうおっしゃったのかの?」と聞いた。
「いいえ、そうではありませんが、ふとそんな気がしたもので」
 蛍子は慌てて言った。
「実は、最近、たまたま諏訪の御頭祭のことを書いたものを読んだのですが、そこに、この祭は、昔は、『お公さま』と呼ばれる少年を人柱にする儀式だったというようなことが書かれていたので、土地柄的にも近いこの村の祭りもひょっとしたらと思いまして……」
 そう説明すると、それをじっと吟味するような表情で聞いていた住職は、やや声を潜めるようにして、
「いかにも……昔はそんなことも行われていたような記録がこちらにも残されておりますな」と答えた。
「やっぱりそうだったんですか」
「むろん、遠い昔の話じゃがの。明治よりも遥か昔の……」
 住職はそう念を押して、昔、大祭の最後の夜、一夜日女を乗せた神輿《みこし》は日の本神社を出て、村の決まったルートを練り歩いたあと、鏡山の麓《ふもと》にある「蛇《じや》ノ口《くち》」と呼ばれる底無し沼まで辿《たど》りつくと、神官らの手によって一夜日女はその沼に生きたまま沈められたという話をしてくれた。
 現在では、その名残を留《とど》める儀式として、一夜日女に選ばれた童女の名前を記した藁《わら》人形に、童女の髪と爪《つめ》を切ったものを添えて、「蛇ノ口」に沈めるだけだが、今も、「蛇ノ口」のほとりには、村のために犠牲になった数知れぬ童女たちの霊を弔う小さな社がたっているのだという。
「……あのヤマタノオロチの伝説の中で、毎年きまった時期にヤマタノオロチが現れて、七人いたクシナダヒメの姉たちを一人ずつ食ってしまったという話も、実をいうと、古くから伝わるこの一夜日女の神事を物語り化したものですのじゃ。クシナダヒメもその姉たちも蛇神に仕える日女だったのです。しかも、クシナダヒメは、オロチ退治のあと、助けてくれた須佐之男命の妻になったということから、妙齢の女性のように思われていますが、もともとは、童女ないしは赤子であったともいわれております」
「そういえば」
 蛍子は思い出したというように言った。
「郁馬さんの話では、伊達さんはこの村に倉橋日登美という女性の消息を調べにきたらしいのですが、この人のお嬢さんが一夜日女に選ばれたことがあったとか」
「……春菜様のことですかな」
 住職はやや間をおいて呟《つぶや》くように言った。
「二十年も昔の話ですがな」
「春菜さんは今もこの村に?」
「いや……。春菜様はとうにお亡くなりになりました。一夜日女の大役を無事にお務めになったあと、潔斎の期間中に、ふとした風邪をこじらせて肺炎におなりになってな……」

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