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「蛇ノ口だと?」
太田久信のだみ声が一層大きくなった。
「おまえ、あそこへ行ったのか」
「……」
「あそこには行ったらいかんといつも言ってるじゃないか!」
「……ぼ、ぼ、ぼくはいやだって言ったんだけど、中村君たちがあそこには大きなカブトムシやクワガタがいるから行こう行こうって……」
直立不動の姿勢で立った少年は半べそをかきながら、ようやくそれだけ言った。
「それで、昆虫を探していて、このライターを見つけたの?」
蛍子は助け舟を出すように少年に尋ねた。
少年は蛍子の方をちらと上目遣いで見ながら頷《うなず》いた。
「蛇ノ口のどのあたり?」
「うーんと、お社のそば……」
少年は蚊のなくような声で答えた。
「お社って?」
そう聞き返すと、
「一夜日命様を祀《まつ》った小さな社があるんです。沼の近くに」
子供に代わって、村長夫人が教えてくれた。
そして、一通り話を聞いてしまうと、
「二度とあそこには行くんじゃないぞ。今度言うことをきかなかったら、ただじゃ済まないからな」
太田の脅すような声を背中に浴びながら子供たちはすごすごと村長夫人に連れられて部屋を出て行った。
「蛇ノ口というのは……?」
日の本寺の住職から、この沼の話はチラと聞いてはいたが、あらためて村長に尋ねると、
「底無し沼なんですよ。ここから少し行ったところにある……」
太田は苦虫をかみつぶしたような顔でそう答えた。
「鏡山の麓《ふもと》にあって、まるで大蛇が口を開いたような形をしているものだから、そう呼ばれているんですがね。底無し沼といっても、本当に底がないわけじゃないんですが、水深は二〇メートル以上はあると言われてましてね、底無しみたいなものです。落ちたらまず助かりません。だから、日ごろから子供たちには絶対にあそこには近づくなと言い聞かせているんですが、全く子供というやつは、行くなといえば行きたがる……」
本当は周囲に侵入禁止の柵《さく》でも張りめぐらした方がいいのだが、あそこは単なる沼ではなく、七年に一度の「一夜日女の神事」を行うご神域でもあるので、それもできない、と太田は半ば愚痴るように言った。
「……子供だけじゃなくて、観光客の中にも時々いるんですよ。立ち入り禁止の札を無視して、面白半分で入り込む輩《やから》が。前にも、数人の若い観光客があそこに入り込んだことがあって、中の一人が沼にはまりそうになったことがあったんです。幸い、一緒にいた仲間に引っ張り出されて助かったが……。あそこは地面と沼の境がはっきりしてないんで、知らない人だとついうっかり踏み込みすぎてズブズブってことになりかねないんです。大人でも危険なんですよ」
「伊達さんのライターがそこに落ちていたということは、彼もそこに行ったということですよね……」
蛍子は手の中のライターを見ながら呟《つぶや》いた。
「そういうことになりますかな」
村長はそっけなくそう言い、
「万が一、あそこで事故でもあったらこちらが困る。特に今年は七年に一度の大祭を控えていますからね。あなたもあそこには絶対に近づかないでください。お願いしますよ」
じろりと蛍子の方を見て、念を押すように言った。