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蛇神4-3-6
日期:2019-03-26 22:29  点击:296
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「あれが伝さんだよ。おーい、伝さん」
 うちわの男は蛍子にそう言って、殊更に大声を張り上げた。
「伝さん」なる老人は名前を呼ばれると、湯上がりの色艶《いろつや》の良い顔をこちらに向け、にこにこしながら近づいてきた。
「こちらの人があんたに話があるんだとよ」
 うちわの男がうちわで蛍子の方を指しながら言うと、伝さんは、「へえ?」という顔になった。
「俺に何か……?」
 茶菓子の並べられたテーブルの前に腰をおろすと、そこにあった自分のものらしい封を切ったタバコを手にとり、一服つけながら、蛍子の方をやや眩《まぶ》しげに見た。
「ほら、先だって、よそ者にここで缶ビール代借りた話してただろ。そのよそ者がこの人の知り合いかもしれないんだって。それでちょっくら話を聞きたいんだとさ」
 蛍子が話しかける前にそう言ったのは、さっきのマッサージ器の男だった。
「ああ、あれか……」
 伝さんは思い出したように言った。
「いやあ、あの日、湯上がりにむしょうに缶ビールが飲みたくなってさ、そこの自販機で買おうとしたら」
 伝さんは、ややしゃくれた顎《あご》で入り口近くにおいてある自動販売機の方を指し示した。
「手持ちが三〇〇円ほど足りなくてね。それで、たまたま近くにいたその人に借りたんだよ。聞けば、東京の人で日の本寺に泊まってるっていうから、あの寺ならうちからも近いし、昼時にはよく蕎麦《そば》食いに行ったりするから、そのついでに返せばいいやって思ってね……」
「その人というのは、三十代後半くらいの年頃で伊達と名乗っていませんでしたか」
 蛍子がそう聞くと、
「うん。ダテとかタダとかそんな短い名前だったよ。そうだな。年の頃はそのくらいで、うん、そういや、目のここんとこに傷があったな」
 伝さんは自分の片目の縁のあたりを指さして言った。伊達だ。間違いない。蛍子はそう思った。
「やっぱりそれは伊達さんです」
 そう言ってから、伊達とここで会ったのは九月の何日か覚えているかと聞くと、伝さんは、「うーん」と思い出すように額に手をあててしばらく考えていたが、「確か……九月の初めの頃……三日か四日だったような……」とあいまいに呟《つぶや》いた。
 四日ということはありえない。その日の朝に伊達はこの村を出たことになっているのだから。
「三日じゃありませんか」と念を押すと、伝さんは、ようやく思い出したように、
「うんそうだ。あれは三日だ。九月三日だよ」と言った。
「何時頃か覚えていますか」とさらに聞くと、
「けっこうすいてたから、昼過ぎ……一時か二時頃だったかなあ」
「借りたお金を返しに日の本寺に行ったのはいつだったんですか」
「次の日だよ。確か五日まで泊まってるって言ってたからな」
「五日?」
 蛍子は思わず声を張り上げた。
「伊達さんは五日まで滞在するってそう言ってたんですか」
 おかしい。住職の話では、伊達は二日と三日の二泊の予約だったはずだ。そして、その予約通り、四日の朝に出ていったと……。
「うん。そう言ってたよ。だったら、四日の昼頃寺まで返しに行くって言ったんだよ。そうしたら、その伊達とかいう人、三〇〇円くらいわざわざ返しに来なくてもいいとか言ってたんだけど、俺はそういうのは嫌いだからね。一円でも借りたものはきっちり返す主義だからさ。まして、見も知らない人に借りっ放しなんて気色悪くていけねえや。それに、あの寺なら近いし、昼時なら蕎麦食いに行くついでもあるしって言ったら、じゃそういうことでって」
 しかし、約束通り、四日の昼時、寺を訪れてみたが、住職の妻の話では、その客なら朝方既に旅立ったということだった。
「で、そんときは、何か用でもできて、一日早く旅立ったのかなって思ってたんだけどね……」
「それで、伊達さんとはここでどんな話をされたか覚えていますか」
 そう聞いてみると、伝さんは思い出すように、「うーん」と白目をむいていたが、
「ああ、そういや、大神祭の話になって、今年は大祭の年にあたるから、『一夜日女の神事』があるとか、そんなことを話していたら……蛇ノ口の話になったんだよな。蛇ノ口っつうのはここから少し行ったとこにある……」
 伝さんがそう言って説明しようとしたので、それなら知っていると遮り、話の先を促すと、
「んで、その伊達ちゅう人は、蛇ノ口に興味をもったらしくて、これから行ってみるとか言い出してね……」
「これから行ってみる? ここを出たあと、蛇ノ口に行くと言っていたんですか」
「そうだよ。道順とか詳しく聞くからさ。俺は、あそこはご神域だし、底無し沼があって危険だから、よそ者は近づかない方がいいって口酸っぱくして言ったんだけど、行き方教えろってしつこくてさ。で、しょうがないから、教えたわけよ」
 そして、伝さんがもうひとふろ浴びて出てきたときには、既に伊達の姿はなかったという。
 どうやら、あの日、伊達浩一は、蛍子とは逆のコースを辿《たど》ったようだった。白玉温泉館で蛇ノ口のことを聞き、ここを出てから蛇ノ口に向かったに違いない。そして、あのライターを落とした……。
 そう考えれば辻褄《つじつま》が合う。
 ただ、奇妙なのは、伊達が伝さんには「五日まで滞在する」と言っていたことだった。この点をもう一度老人に確認してみた。
「確かに五日って言ったんだよ。だから、四日の午後に金返しに行ったんじゃねえか。四日の朝に帰るって聞いてたら、その日のうちに返しに行ったさ。俺は、今年で六十七だが、人の話を聞き違えるほど耄碌《もうろく》しちゃいねえよ。耳だってまだまだ達者なもんさ」
 伝さんはちょっと気を悪くしたようにそう言った。

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