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蛇神4-4-1
日期:2019-03-26 22:31  点击:337
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 十月十三日、火曜日。午後九時すぎ。
 喜屋武蛍子が、「DAY AND NIGHT」の扉を開けると、カウンターには既に先客の姿があった。伊達かほりだった。
 前日、日の本村から帰ってくると、今回のことを報告するために、伊達かほりに連絡を取ってみた。すると、彼女の方から、この店で会うことを提案してきたのである。子供たちは実家に預けてくるという。
「……主人のライターが見つかったとか?」
 蛍子がスツールに座って、いつものカクテルを注文するや否や、伊達かほりは待ち切れないといった様子で尋ねてきた。
 電話でライターのことだけは伝えてあった。
「ええ。これなんですけど」
 蛍子はビジネスバッグに入れてきた例の古ぼけたライターを取り出し、それをかほりに見せた。
「間違いありません、これ、主人のものです」
 かほりはそのライターを手に取って調べるように見つめていたが、すぐに顔をあげて、きっぱりと言った。
「これが、その蛇ノ口とかいう沼の近くで見つかったのですか」
 かほりはライターを手にしたまま、蛍子の方を見て聞いた。
「ええ、そうらしいんです」
 蛍子は、村長宅を訪ねたときに、たまたまそのライターを目にしたいきさつを話した。そして、自分が知り得た日の本村での伊達の足取りについても……。
「……それで、一つ確認したいことがあるんです。伊達さんは出掛ける前に何日に戻ってくると言っていたのでしょうか。四日ですか、それとも五日と?」
 おおかたの報告を終えて、そう聞いてもみると、かほりは、
「それが……」と口ごもり、困惑したような顔になった。
「はっきりとは言わなかったんです。何日とは。二、三日泊まってくると言っただけで」
 かほりはそう言いかけ、「でも変だわ……」と独り言のように呟《つぶや》いた。
「変って?」
 蛍子が聞きとがめると、
「いえ、あの……もし、このライターをなくしたことに気づいたら、あの人のことだから、滞在を延ばしてでも探すんじゃないかと思ったものですから」
 かほりは考えこむような顔でそう言った。
「というのは、実をいうと、前にも同じようなことがあったんです」
「同じようなこと?」
「三年前のことなんですが……」
 伊達かほりはそう言って、新婚旅行のときの話をした。新婚旅行は、かほりの希望でハワイに行ったというのだが、日本に帰るという最後の日、それまで宿泊していたホテルをチェックアウトして、ホノルル空港に向かうタクシーの中で、伊達はライターをなくしたことに気づいたというのである。
「……たぶん、ホテルの部屋に置き忘れてきたんだって言って、タクシーの運転手さんにホテルまで戻ってくれって言い出したんです。でも、飛行機の時間が迫っていたし、ここでホテルに引き返していたら、予約しておいた便に間に合わなくなるかもしれないから、やめてってわたしは言ったんです。あんな古ぼけたライターなんかどうでもいいじゃないって。そうしたら……」
 伊達は血相かえて怒り出し、「あれはただの古ぼけたライターじゃない。亡父の形見だ。飛行機なんか次の便でもいい」と言い、かほりが止めるのもきかず、半ば強引にホテルに戻ってしまったのだという。
「……幸い、ホテルの人に言ったら、すぐにライターを見つけてきてくれて、乗るはずだった便にもぎりぎりで間に合ったんですけれど……」
 かほりは続けた。
「だから、今度の場合も、一日くらい滞在を延ばしても、自分で探しに行ったんじゃないかって気がするです。わたしには二、三日滞在してくるって言ってたくらいですから、四日に帰るつもりだったとしても、一日くらいなら延ばす余裕はあったはずです」
「それもそうですね……」
 蛍子はそう呟き、二人の女をしばし沈黙が支配した。
「それで」
 口を挟んだのは、それまで黙ってシェーカーを振っていた老マスターだった。このマスターが客同士の会話に口を挟むのは珍しいのだが、話題が息子のようにも思っていた伊達のことでは、マスターとしても他人《ひと》ごとと聞き流すわけにはいかないのだろう。
「九月三日に日の本寺に泊まっていた大久保という人とは連絡が取れたのですか」
 マスターはそう言って蛍子の方を見た。
「あ、ええ、それは……」
 蛍子ははっとしたように言った。
「こちらに戻ってきて、すぐに宿帳に記されていた番号に電話してみたんですが」
 千葉県|館山《たてやま》市在住の大久保松太郎と浅子は、蛍子の予想した通り、夫の方が今年会社を定年退職して、隠居暮らしをはじめたばかりの初老の夫婦だった。
 事情を説明して話を聞くと、善光寺参りと戸隠観光を終えたところで帰る予定でいたのだが、そのとき世話になったタクシーの運転手から、戸隠から少し行った所にある日の本村の寺の住職が蕎麦《そば》打ちの名人だという話を聞き、夫婦そろって大の蕎麦好きだったことから、予定を急遽《きゆうきよ》変更して、日の本村まで足を延ばしたのだということだった。
「……でも、大久保さんの話では、お二人が日の本村に着いたのは九月三日の夕方頃だったらしく、伊達さんとは話はおろか顔を合わせることさえなかったというんです」
「そうですか。では、何の収穫もなかったわけですね……」
 マスターががっかりしたように言った。
「ただ、同じ寺に泊まりながら、全く顔を合わせなかったというのは、考えてみると、ちょっとおかしいんです」
 蛍子はすぐに言った。
「おかしいというと?」
「あの寺は、旅館というよりも民宿風になっていて、食事は部屋に運んでくれるのではなくて、泊まり客が決まった時間に食堂に集まって一斉にとる形になっているようなんです。大久保夫妻が寺に着いたとき、ちょうど夕食がはじまる頃だったというのですが……」
 住職の妻の話では、夕方外出先から帰ってきた伊達は、ライターを蛇ノ口まで取りに行こうとして止められ、そのまま寺に残って夕食をとったということだった。
「……それなのに、大久保さんの話では、食堂には自分たちしかいなかったというんです。ただ、もう一人分の膳《ぜん》だけは出ていたし、宿帳にも名前があったので、住職の奥さんに、他にも泊まり客がいるのかと聞いたら、昨日から男性が一人で泊まっているんだが、まだ出掛けたきりで帰って来ないと言ったというんです。結局、お二人が食事を終えて部屋に引き上げるまで、手付かずの膳がそのままになっていたそうです」
「手付かずの膳がそのまま……」
 マスターは眉《まゆ》を寄せて考えこむような表情で呟いた。
「しかも、翌朝、午前八時の朝食のときも食堂には伊達さんの姿はなかったというんです。今度は膳も出ていなかったので、もう一人の泊まり客というのは、もう旅立ったのか、あるいは、朝食もとらずにまだ寝ているのかと思ったそうです。でも、住職の話では、伊達さんが寺を出たのは四日の午前九時頃だということでしたから、もう旅立ったということはありえないんです。ということは、朝食もとらずに寝ていたということになるのですが……」
「それは妙ですね。うっかり寝過ごしたとしても、膳は用意されるでしょうからね。膳がなかったということは、前日に伊達さんが朝食はいらないと言っておいたということになりますね。だから、膳は最初から用意されなかった……」
 マスターが独り言のように言った。
「でもそんなこと考えられません」
 そう言ったのは伊達かほりだった。
「主人は朝食はしっかりとる方です。たとえ寝過ごしても、トーストの一枚くらいは必ず食べてから出掛けていました。それに、わたしの知っている限りでは、一緒に旅行に行って、ホテルや旅館の朝食をとらなかったことなんて一度もありません」
「わたしもそのへんが腑《ふ》に落ちないので、大久保さんから話を聞いたあと、日の本寺にすぐに電話して、住職夫人にその点を問い合わせてみたんです。そうしたら、もう一カ月以上も前のことなのでよく覚えていない、伊達さんが九月三日の夜夕食をとったというのは自分の記憶違いだったかもしれないと迷惑そうに言われて、今忙しいからと一方的に切られてしまったんです。わたしのような素人ではこれ以上の追求は無理みたいです。警察がもっと本腰をいれて調べてくれたらと思うんですが……。あれから警察の方からは何も?」
 蛍子は伊達かほりに聞いた。
 かほりは力なく首を横に振った。
「警察では、事件というより、主人が自分の意志で姿をくらましたのではないかと考えているようです。夫婦仲のことや借金のこととかしつこく聞かれましたから……」
 かほりはやや憤慨したような口調で言った。
「借金? 伊達さんには借金があったんですか」
 蛍子が聞くと、
「ええ。事務所を開くときの資金や今のマンションを買うときの資金やら何やらで。でも、仕事の方は順調そうだったし、借金といっても、返済のめどはついていましたし、それに、いざとなったら、実家の父も援助してくれるはずです。だから、そんなことに悩んで失踪《しつそう》するわけがないんです。でも、警察の人は、家出人の中にはそういうケースもあるからと。まるで家出人扱いなんです」
 かほりは悔しそうに言った。
 遺体が発見されるとか血のついた遺留品が見つかるなどの明確な事件性が見られない限り、この手の失踪に対する警察の対応なんてこんなものだろうと、蛍子は思った。
 実際、館山の大久保松太郎の所には警察からは何の問い合わせもないようだった。当時、同じ寺に宿泊していた大久保夫妻のことは宿帳から確認できたはずだから、調べる気さえあれば、とっくに問い合わせの電話くらいあってもいいはずだった。
 それがいまだにないということは、ただの行方不明ということで、捜査の方法もかなりおざなりだったに違いない。
「でも、喜屋武さんから伺ったこと、明日にでも警察の人に話してみます。もしかしたら、警察でも不審に思って、もう一度調べ直してくれるかもしれません」
 伊達かほりは、少し希望をもったような顔でそう言った。

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