ポンコツ横丁に哀歓あり
自動車のことはよくわからないのである。妻が�四ツ馬印�と呼ぶ中古ルノーを持っている。阿川弘之の説によるとトタン板を貼《は》りあわせたみたいなシトロエンは坂をあがるときに�ウイ、ウイ、ウイ�といって悲鳴をあげ、調子がよくなると�ノン、ノン、ノン�といって走りだすそうだが、彼女の自慢の�四ツ馬印�もそうである。
ちょっとした坂にさしかかるとすぐにお湯がぐらぐら煮えて、もともとがフランス種だからだろうか、すぐに�ウイ、ウイ、ウイ�とうたいはじめ、ヒュウッと息をつめて、とまってしまう。彼女が腹をたてて用意の水筒から水を入れて熱をさましてやると、�ノン、ノン、ノン�といってよろよろ走りだすが、しばらくいくと、またしても�ウイ、ウイ、ウイ�とうたいはじめる。とまるのに�ウイ�といい、走るのに�ノン�というのだから奇妙である。
一週間ほど教習所にかよってみたことがあるにはあるのだが、暇がなくて、よしてしまった。教習所の若者は、つぎからつぎへおしかける受難志願者たちの蒙昧《もうまい》さにうんざりしているので、もっぱら叱りとばし、ののしることで、まぎらわしている。
彼らの言語生活はきわめて明晰《めいせき》なものであって、もっぱら名詞と動詞現在形だけで構成されている。助手席にすわって、たったひとこと、�右ッ�、�左ッ�と叫ぶだけである。あるいは、�踏むッ!��ひねるッ�、�とまるッ!�、�走るッ!�、�もうちょい�など。右といわれてカッとなった私が、うろうろ左ヘハンドルを切ると、彼はやにわにぐいとひきもどし、�おめえ、バッカじゃねえか�と短い感想をつぶやく。そして、またしても、�右ッ�、�左ッ�である。じつに明快なものだと思った。
聞いてみると、私より十歳も若くて、焼夷弾も知らなければ軍人勅諭も知らない。それでいて旧軍隊の発声法を完全に心得ているのである。ためしに家へつれて来ていっしょにウイスキーを飲んでみたら、アイ・ジョージの歌が大好きだといい、教習所がいかにボロ儲けをしているかといって、ことこまかに説明してくれた。
私が教習所にいかなくなったのは旅をするのと本を読むのとにふけったためだが、その少年の素朴な短い罵倒は、いまでもよくおぼえている。
東北出身の彼は私がおたおたすると、きまっていらだたしげに、
「クラツさ、踏むさ!……」
と叫んだものである。
『第十回全日本自動車ショー』が開催されているので、晴海の会場へいってみた。大小無数のメーカーがつくった自動車の新品がおいてあって、アメリカの女子学生がアルバイトでファッション・ガールとなり、ソバカスだらけの狆《ちん》くしゃ顔でしなをつくって澄ましていた。楽隊が入って、なにやらにぎにぎしく、景気をつけている。出品されているのは消防車からダンプカー、コンクリート・ミキサー、冷凍車、長距離バス、ジープ、起重機をつけたの、荷物を揚げるの、スポーツ・カー、きらびやかな乗用車全種。どこもかしこもキラキラして、ピカピカ光って、輝かしき資本主義の華、日本工業の精力と勤勉と探究心の結晶が、あるいは威風堂々と、あるいは繊細鮮鋭に、肩をそびやかしたり、ネコのように体をのばしたりしていた。ないのは霊柩車とウンコ車だけで、あとはなにからなにまでそろっていた。
静止した�走る兇器�たちはいずれも能率か美かから計算され、設計され、完全にバター臭いのや、バターとミソ汁のまじったのや、種々さまざまであった。あとで専門家に会って聞いてみたら、日本のトラックは性能がいいけれども、乗用車となると、まだまだ外国車にくらべたら大人と子供みたいなところがある、ということだった。毎年ずんずん進歩していることは事実だけれど、道路がわるいのと、基本の鋼材が思わしくないのとで、もっともっと勉強しなければならないだろうという。
ただしそれは一般論であって、たとえばホンダ・スポーツのエンジンのすばらしさと値段の安さは不可解なまでに神秘的であり、またブルーバードはフィンランド政府の一年間のテストでついにフォルクス・ワーゲンをぬくところまでいった、という例外もあるにはあるのだから、十把ひとからげに論ずることはできないが……ということでもあった。
栄光にみちたこの晴海の会場からあまり遠くないところに、墨田区竪川町という町がある。小さな町工場の集った、あまり騒がしくない東京の下町であるが、ここは日本の特産で世界にほかに類がないという技術者たちが暮しているところである。いわゆる自動車解体業者、ポンコツ屋さんたちの町である。
ポンコツ屋さんたちの仕事はなにかというと、くたくたになった自動車を解体して、生かせるパーツをとり、どうにもならない部分はスクラップ業者に払いさげる、つまり、自動車のホルモン屋さんのことである。政府からもらっている鑑札は�古物売買商�である。古本屋や質屋に似た商売なのである。�竪川町�という町名は業者のなかでは日本全国に知られていて、古い自動車のパーツがほしくなった修理業者たちが、北海道から九州まで、日本全国から、ここをたずねてやってくるそうである。竪川町へいけばなんでもあるという評判である。
世界にこの町の類がないというのは、たとえばアメリカだと三年も使えばたちまち車はガチャン、ポンとぶっつぶして熔鉱炉行きで、いまさら古くなった心臓や肝臓を二度のおつとめにだそうというような、こまかいことはしないのである。けれどこの町にはおよそ百軒ほどのホルモン屋が集結し、豪勢に稼ぐということはしないまでもみな相当の暮しを営んでいる。資本主義の華たちを墓場一歩手前のところで食いとめて、チョコマカと、現世へ、解体された内臓を送りかえすということで暮している。自動車の蚤《のみ》の市《いち》である。勤勉で、器用で、浪費せず、計算がこまかい。いかにも日本である。怪物的な東京の足のうらがこの町だ。
ふんぞりかえっているキャデラックも、丈夫で長もちするフォルクス・ワーゲンも、とどのつまりはこの町へやってくる。一台をバラすのには、昔はハンマーとタガネと玄能《げんのう》でやっていたが、いまは酸素やらアセチレンやらを使うから、二時間もあれば充分である。キャデラックも、フォルクス・ワーゲンも、ウンコ車も、霊柩車も、みなさま二時間で正体がなくなる。約三千種ほどのパーツに分解される。そのうちでなにが売れ、なにが売れないかを見わけるのがポンコツ屋の�眼�である。なんでもかんでも婆ァさまみたいにとりこむというわけではない。どの車はどのパーツがいちばんいたみやすくて需要が多いかということを、すばやく見ぬいて、ぬきとらなければならない。
アフリカのハイエナという動物は、ちょっとでも血や病気の匂いがすると、草原をどこまでも見えかくれしつつよこぎって、あとをつけてくるそうだが、この仕事もそれに似ている。急所、弱点、ガン、アキレス腱《けん》というようなものをゴマンとある車について、日頃から参考書と首っぴきで研究し、勉強する。毎年毎年新車がでてパーツが無限に変化するのだから、好奇心と向学心がなければやれない仕事である。
「医者は人の顔を見ただけでどこがわるいかとわかるそうですが、あなたも自動車を見ただけでわかりますか?」
「そうだね。見ただけじゃたよりないことはあるが、のってみりゃわかるな。ピタッとわかるな。レントゲンみたいなもんだ」
「すごいもんだな」
「それで飯を食ってんだからね。だいたい車ってものはオイルだよ。これさえまめにとりかえとりかえして適量適正に配ってりゃ、そうガタはこないんだ。人間の血液とおなじでね。しかしみんながみんなそうしたんじゃ、こちとらは口が干上がるが、そうでねえからやっていける」
「ウンコ車をつぶすのはいやでしょう?」
「そんなことかまっていられるかよ。全然、気にならないね。汚職役人や選挙違反で乳繰《ちちく》りあってた連中をのせた高級車のほうがよっぽど汚ねえよ。そいつらをブッつぶしてやるのは気持がいいな。べつにそれで汚職がへるってわけじゃねえけどよ。なんだってかんだってつぶしてやるんだよ、おれは。わるくねえ気持だな」
「霊柩車はどうです?」
「いやじゃないね。ただ、都の払いさげのやつはヒカリものの飾りがないので安くていけないね。火葬場のロースターをつぶしてやりたいな。あれは金になる。耐熱金属でできてて分厚いからね。そういうのはいいんだ」
タイヤは五百エンからうまくいけば二千エンで売れる。オートラジオには案外使えるものがある。エンジンの九十パーセントはスクラップ屋行きだが、田舎へいって発電用に再生される。山の木材切りだしに使ったり、川原の砂利とりに使ったり、網舟にジープのエンジンをくっつけたりする。ドアは左より右のほうが高く売れるが、これは左側通行でコスリつけることが多いからであろう。ウインドグラスは新品の半値に売れる。フレームは電気炉向き、デフやブレーキは平炉向きと仕分け、さらにそれぞれ特級、一級、と選別される。タンクにのこってたガソリンは頂戴する。ハンドルは、いちばん最後にバラす。エンジンは油まみれになっているので何台分かまとめてバラす……
「昔の車と今の車とくらべてどう?」
「そうよな。昔はタクシーをバラしたら銀貨がでてきたりしたもんだ。十エンで買ったポンコツ車で二エンもの銀貨がでてきたことがある。今の車ではそんなことはまずないね。せちがらくなったのかね。車を売るときに、チクチク調べるんだね。ヨロクというものがなくなってな。面白味は減ったよ」
この町のどの店のおっさんも口を酸《す》っぱくして盗難車をバラすようなうしろ暗いことはしていないのだから、面白半分でそういうことは書かないでくれといった。ある週刊誌が興味本位に書きたてたことがあったので、告訴してやったという。
私はドブさらいの醜聞屋ではないのだから、そういうことはしないと約束して、こういう文章を書きつづっているのだが、よほど傷つけられたのか、彼らの眼のなかにある鋭い警戒心はほぐれようとしなかった。ちゃんと廃車証明というもののついた車しか解体できないことになっているのだから、盗難車をチョコマカと細工してボロ儲けするというようなことは起り得ないのだと、何度となくダメおしして聞かされた。
ただし、事実として東京にはかなりの数の自動車が毎月ぬすまれて行方不明になるということがある。鍵がなくても自動車をうごかすことは簡単なことらしいのだ。電流が通じさえすれば発火するのだから、『光』の銀紙や、体温計の水銀で事足りるという。げんに私は何年か以前に大阪の暗い世界で、ある人物から、水道の蛇口の器具に水銀を入れたのを見せてもらったことがある。数本の体温計で数十万エン、数百万エンの車がうごかせるらしいのである。東京でぬすまれた車のうち、発見されて持主のところにもどるのは約三分の一で、あとの三分の二というものは、行方知れずである。としてみると、東京のどこかには、竪川町でないところで、盗難の新車をバラしてボロ儲けしているもぐりのポンコツ屋があるのではないかと想像できるのである。いったいそれがどこにあるのかということは、まったく未知の謎《なぞ》になっているのであるが……
毎年毎年これだけ自動車がふえてポンコツになるのがふえてくるのだから、竪川町は大いに繁昌《はんじよう》しているかというと、それほどでもないらしい。車が少なくてパーツが不足しているときには、この町は景気がよくなるけれど、それは戦前、外車の輸入が禁止されたときと、戦後の窮乏時代だけで、いまはべつによくもわるくもない状態である。メーカーがサービスに精だしてガソリン・スタンドにもちょっとしたパーツを備えつけるようになったから、ポンコツ屋の入るすきまがだんだんなくなってきたのである。外車も国産車も中古品になると地方へどんどん流れていくから、それらの車のパーツを求めに竪川町へやってくる客も、いきおい、地方から上京する修理業者が多い。
竪川町の解体業者は約百軒ほどあるが、それぞれ得手と不得手がある。外車専門にバラす店もあれば、国産車専門の店もある。その国産車専門店も、トラック、バス、乗用車といったぐあいに、それぞれテーマが店によってわけ持たれている。たがいの手持品を交換しあう|せり《ヽヽ》市の交換会をひらくというようなことをして、無用の競争を避ける工夫をしたこともある。それは必要であり、適切なことでもあった。
しかし積極的な人びとは、これではいけないと考えている。このままではどうしても先細りになってしまうから、なにか新しい、根本的な切開手術が必要だと考えている。一軒一軒の店が、オレがオレがといって我《が》を張っているよりは、いっそ大同団結して、国産車、外国車、全種目の中古パーツのデパートみたいなものをこしらえたらどうだろうか、と相談しあうようになったのである。つまり、自動車のホルモンのスーパー・マーケットをつくろうという考えである。あらゆる業界の中小商店が考えていることを、ここでも考えはじめたのである。
「……若いやつは、アイデアはいいが金がない。年をとったやつは、金はあるけれど腰が重いというわけでね、なかなかうまいぐあいにいきませんなあ。しかしこのままではポンコツ屋がポンコツになってしまうしなあ。むつかしいことですよ」
一人の中年の業者がひそひそとそうつぶやいて、頭をひねっていた。