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ずばり東京06
日期:2019-07-26 18:49  点击:265
 
 
    �戦後�がよどむ上野駅
 
 
 上野駅には不思議がある。
 よほどの不思議がある。
 
 便 所
 なにしろ三十数年前につくった駅であるから、絶対数がどうしても足りない。人も交通量も建設当時からくらべると二倍強にふえて、食糧事情もまた複雑豊富になったのに、ここだけ複雑豊富でないから、厄介なのである。
 しじゅう気をつけて掃除するようにしているのだが、つぎからつぎへひっきりなしに客がおしよせてきて、どうしようもない。掃除するほうもいらいらするし、客のほうもいらいらしている。掃除しているさいちゅうにやってきて客がせがむが、こちらは掃除しているのだから、がまんができないようならとなりの婦人便所へいきなさいというと、男に婦人便所へいけというのかといって真ッ蒼な顔して怒りだす人がある。
 落書できないようにと考えたあげく、壁をツルツルのタイルにして扉の内側もツルツルのステンレス張りにした。さすがにこれでは歯がたつまいと考えていたら、わざわざ釘を持ってきていたずらしようという、とんでもない彫金師がでてきた。けれど、板張りのときとくらべてみたらはるかに仕事がやり辛《づら》くなって、絵画と文学は衰微に向った。減らないのはスリで、しじゅう労働の果実をここへおとしてゆく。雲古ではない。金をぬいたあとのハンドバッグや財布や、それもどこで労働してくるのか、すばらしいワニ皮やヘビ皮のものを、惜しげもなくたたきこんで、さっさと去ってゆくのである。月に二コ、三コというような数字ではなく、十コ、二十コというような数字なのである。
 これが雲古や御叱呼《おしつこ》よりはるかに手ごわくて、頑強執拗で、泣きたくなるような故障をひき起す。つまるのである。水がつまって、流れなくなる。竿や鉤《かぎ》でひっかけてあがってくる場合はよろしいがねじれてまがってゆがんでダダをこねられると、どうしようもないのである。手をつっこんでムズとばかりにひっぱりださなければならない。やっとのことで直したと思ったらすぐさまあらわれて、またまたポンポン惜しげもなく労働の果実をたたきこんでゆく。果てることのない苦役である。
 雲古でさらに困るのはホームに停車中の列車で腸を開放する客の多いことである。これが枕木や砂利にころがりおちてしがみつくと、夏の暑い日など、たまったものではない。やっぱり駅の便所の数が少ないからそうなるのだ。線路床をコンクリートにしてホースで一挙に流し去るようにしたいのが一生の念願だと駅長がいった。彼の観察によれば外人のそれはウサギのようにかわいてつつましやかであるが日本人のは神社の綱みたいに太ぶとしく、かつ、憎さげにたくましいという。きっとこれは筋の多い、こなれのわるいものを食べているからではあるまいかというのである。正確で鋭い考察だ。私自身の経験に照らしてみても必要かつ十分な条件をみたした定言だと思う。
 まじめに提案したいと思うのだけれど、ひとつ雲古の大小で現在の日本の生活水準を計ってみたらどうだろう。高度成長、高度成長といっても、高くなったのはビルと物価と雲古の頂だけだというのではしようがないじゃないか。
 たまりかねて行政管理庁長官に現場を見せたら、長官はおうように、おごそかにうなずいて、
「これはいかんね」
 といって、去ったという。
 
 遺失物取扱所
 雨の日には一日に六十本から九十本の傘がおちるそうである。とりにもどってくるのは十人のうちで数えるほどしかなく、たいていが忘れっぱなし、おとしっぱなしである。雨の降る日に傘を忘れるくらいだから、ほかの物となったらきりがない。眼鏡。入歯。ネクタイ。財布。背広。万年筆。手袋。指輪。手荷物。本。およそ体についているものでおとさないものといったらいま現にはいている靴くらいなもので、それ以外はすべておっことして忘れてしまうらしいのだ。金だけでも一年に千五百万エンおちるというのだ。カメラもおちる。時計もおちる。トランジスタ・ラジオもおちる。だいたい東鉄管内だけで、いっさいがっさいを含めたら、金額にしてざっと数億の品と金が一年におとされるというじゃないか。よほどの忘我の狂乱がこの都の住人たちの頭のなかにたちこめている!……
 日付別にした整理戸棚を見せてもらったら、ハンドバッグやら、小包やら、納豆《なつとう》の藁苞《わらづと》やら、なにやらかやらがギッシリとつまったなかに本が二冊あった。ためしに題をのぞいてみたら、石川達三著「望みなきに非ず」、源氏鶏太著「天上大風」であった。
 
 旅行案内所
 金曜と土曜がとくにはげしいのだが、一日にざっと七千人から九千人の人が旅の計画の相談にやってくる。たいていが一泊、二泊の小旅行である。なかにはなんのプランもなく、ぶらりとやってきて私ハドコヘ行クノデショウに類した相談を持ちかけるのもいる。そのような漂う原子とも係員は笑顔で辛抱強く接しなければならないので苦労する。
 相談のしかたは、ちかごろ週刊誌が精密な旅行計画を記事にするので、事前によく調べてくるのが多くなったけれど、男と女をくらべてみると、たいていの場合男のほうがあっさりしていて、コテコテ、ちくちくとこまかいことをたずねるのは女のほうである。新婚旅行の二人組でもそうで、男のほうがいらいらしているのに、女は平気でいつまでもこまかいことをシラミつぶしにたずねるようである。
 変な客といえば、カウンターにおいたハンドバッグなどを眼のまえでゆうゆうとひいてゆくのがいる。客のほうは夢の計画に夢中になっているので気がつかない。相談するときは胸にハンドバッグを抱えこんでくださいとすすめることにしているのだそうである。
 
 援護相談所
 弘済会が開いている応急診療所である。カルテをのぞいてみると骨折、脱臼、腹痛、疲労、宿酔《ふつかよい》などの手当てをうけていく人が多いようである。重病人はちかくの病院へかつぎこむことにしている。駅で産気づいてこの相談所へころがりこみ、病院へ送られて五分後に赤ん坊を生みおとしたというきわどい例もある。
 病人のほかに、青白い螢光灯が剥《む》きだしのコンクリ壁を照らしているこの地下の小部屋にやってくるのは、行方《ゆくえ》を失った人びとである。修学旅行ではぐれた中学生。迷い子の小学生。おびただしい家出の少年少女たち。閉じた炭鉱から上京してきた一文なしの失業者たち。浮浪者。妻から追いだされてさまよい歩いている、老齢でどうはたらきようもなくなった日雇労務者。なにを話しているのか一語も聞きとれない青森弁や鹿児島弁の人たち。四歳と六歳のこども二人をつれて横浜から家出してきた母親。電車賃を貸してくれろとグズる若者の持物を警官立会いでしらべてみたら、鞄が二重底になっていて、凄い七つ道具がずらずらッとでてきた。
 一人の男がやってくる。自動車をとられたという。家へ帰れないという。姓名、住所、年齢などを聞きとる。駅付近の安宿に送りこむ。聞きとった勤務先に電話する。千葉のタクシー会社の運転手で、二台きりしかない自動車の一台を持逃げした男だとわかる。あわてて警官といっしょにかけつけたら男は部屋で寝ころんでテレビを見ていた。
 蒼ざめた盲目の鳥たちにこの部屋は少ないながらも金を貸してやり、故郷へ帰る切符を買ってやり、宿を世話し、身上相談にのったり、ときには結婚話を持ちかけられたりする。
 過労で係員の眼が凹んでいる。
 
 警官詰所
 年間ほぼ七千人の家出人。
 数は毎年減らない。
 年齢が低くなってゆく。
 お山には十五歳の夜の女がいる。
 四月になると毎年あちらこちらから少年少女が集団就職で上京してくるが、これが都の東西南北に散って一カ月もたつと、みんな郷愁に犯されていてもたってもいられなくなって、ふらふらと駅へやってくる。それを狙ってハイエナどもも集ってくる。ツケ屋、附添屋というのは、甘いことをささやいて喫茶店やオシルコ屋などにつれていったあげくに安宿へもぐりこんで膜を蹴やぶってしまうやからである。
 手配師というのはいかさまな土建屋の飯場あたりにたのまれて人狩りに繰りこんでくる不逞《ふてい》のやからで、こうと狙いをつけたら猟犬のようにしつこく、しぶとく、あとをつけてくる。木の芽時の青い郷愁に狂いそそのかされてさまよう少年少女はもちろん、冬の農閑期に八戸、青森あたりから仕事探しに這いだしてきた百姓たちもたぶらかす。いやだ、いやだといって逃げると、なかには便所まで追っかけてきて、いつまでも戸の外で足踏みしつつ待っているのがある。
 帰しても帰してもおなじ少女が三日つづけて山形から家出してくることもある。小さな小さな女の子がよろよろと歩いているので、つかまえてたずねてみると、学校の運動会がいやなので茨城からでてきた小学校四年生だという。どこへゆくつもり、と聞くと、東京の姉さんの家と答える。姉さんの家はどこと聞くと、上野駅をおりてまっすぐいったら犬を飼っている家があって姉さんの家はその家のとなり、などと答えたりする。
 マッチ箱のような詰所のよごれた壁に色紙がかかっている。ここの詰所の主任が書いたものだそうで、毎月いろいろと言葉を変えて書くという。上手だとはいいかねるけれど、一字一字たんねんに筆をはこんで書いている。
 
[#1字下げ]少年よ 孤独になるな
[#1字下げ]桜花のように
[#1字下げ]冬に耐え
[#1字下げ]ともに生き
[#1字下げ]ともに咲け
 
 若い警官と話をしてみると、悲憤慷慨して東京の汚濁をののしり、かつ、その汚濁に甘えて、みんな政治の貧困だといってぬかるみに体を浸してゆく人びとの弱さをもののしった。そして、おれはここ十年間ひそかに宗教を研究しているのだ、ともいった。批評しているだけじゃダメなんだ、誰かがなんとかしてやらなくちゃだめなんだ、ともいった。ここでこうして見ていると人生はついに男と女の世界で、それはオスとメスという意味なのだ、ともいった。
 こないだも北海道からでてきた女があったが、結婚生活十五年で、子供もあるのに、近所の若い衆とできてしまった。夫が山林技師でしじゅう家を留守にするものだから、ついさびしさのあまりそうなってしまったのだと詰所でつぶやく。若い衆はさわっただけではじいてしまうだろうと聞いたら、そのとおりですと答えた。亭主と若い衆とどちらがかわいいのだと聞いたら、はっきりと、亭主ですと答え、でも……と口ごもった。おれ(警官)の姉さんかお母さんぐらいにもなる女がそんなことをいい、うなだれていて、どうしようもないのだ。かわいくもいとしくもないのにその女は若い衆と離れられなくなって、こんなところまで北海道からふらふらとでてきてしまったのだ。こういうのはいったいどうしたらいいのだ。
「……この駅は埃っぽくてなァ。ここに勤めるようになってからみんな鼻毛がのびてしかたない、といってるんだ。そういう造化の妙も知らなくちゃいけないんだよな」
 黙ったきりの私に、若い警官はさいごに、そういうことをつぶやいた。
 
 地下道
 やっぱり何人もの浮浪者が集ってきて、ゴロ寝している。ここだけでなく、上野駅全体がいつ見てもそうなのだが、もはや死語になったという言葉を使うとすると、壁や道や床や小溝やまばたく螢光灯など、いたるところに、�戦後�が蒼黒くよどみ、にじんで、荒《すさ》んでいる。私の記憶をさがすと、そういう言葉になる。この駅にはなにかしら、どこかしら、いつまでも�戦後�がよどんでいるようなのだ。
 
 駅長室
 ときどき奇抜なのが迷いこむ。
 中老の男で、くたびれた背広の胸に旧帝国陸軍の大将の襟章をつけたのがやってきて、いきなり駅長に、
「おう、君が駅長か?」
 と聞くのである。
「ええ、そうですよ」
 と答える。
 男は不動の姿勢をとっていう。
「おれはヤマシタ・チュウジというのだが、このたび秩父宮妃殿下と結婚するはこびになった。畏《おそ》れ多いことだが、ついてはあんた仲人をやってくれんかの?」
 駅長は恐れ入り、
「ハッ。光栄に存じます」
 そういいつつたちあがってじりじりと机をまわり、将軍のそばにぴったりとくっついて、ドアのほうへ体をぐいぐい、ぐいぐいとおしてゆく。将軍がなにかいうたびに、ハッ、ハッと答えながら、ぐいぐい、ぐいぐいと、駅長はおしにおしてゆく。
 岸信介に一億二千万エンのニセ札をやったといってとびこんでくるのもいるそうだ。
 池田総理大臣が青森へ遊説にいこうと思って駅長室で�車中談話�を記者団にとらしていたら、いきなり、�オーイ、池田クン!�と呼びかけてはいってきた男もあった。
 
 上野駅には不思議がある。
 よほどの不思議がある。

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