お犬さまの天国
江戸時代にはさまざまな日銭稼ぎの方法があったらしくて、人を食った手口のものには笑わせられる。
�庄助しょ�というのもその一つである。これは竹箒《たけぼうき》を持って店のまえを掃いて歩いた。いちいちきれいに掃除するわけではなく、なにもしないでお金をもらうのはわるいだろうというので掃除する恰好《かつこう》だけしてみせたのだという。「庄助しょ。掃除をしょ。朝から晩まで掃除をしょ。掃除をしょ」とうたってまわった。
�すたすた坊主�はすこし骨が折れる。冬の寒い日に素ッ裸になり、縄の鉢巻しめて、扇やら錫杖《しやくじよう》やら幣《へい》やらを持って、家から家へ踊り歩いたのだそうである。「すたすたや、すたすたすたすた坊主の来るときは、世の中よいと申します。とこまかせてよいとこなり。お見世も繁昌でよいとこなり。旦那もおまめでよいとこなり。とこまかせてよいとこなり」……さんざんいいことばかりを唱えて、一文、二文をかそけくかすめて歩いた。
�猫のノミとろう�は奇抜である。犬の皮一枚を肩にして、ぶらり、家を出ると、都を大声で「猫のノミとろう、猫のノミとろう」と呼んで歩く。注文の家があると入りこんで猫のノミをとる。お湯をぐらぐらわかしてもらって、犬の皮をチャポリとつける。熱くなったところをひきあげて、猫の体をすっぽりとくるむ。ノミはうろたえて、目がまわり、息がつまるはずである。床屋で蒸《む》しタオルを顔にかぶされたようなものだ。ノミはたまりかねて猫からはなれ犬の皮にしがみつく。そこで頃あいを見てパッと剥《は》がし、指にツバつけて、よろよろしているところを一匹、一匹とりおさえるのである。
(……着想は非凡なものだったけれど、これは永続きしなかったようである。『織留』のなかで西鶴もいまはなくなった商売だといって惜しんでいる)
ところで。
どの町角にたっても災厄が手足をはやして人間にとびついてくるのじゃあるまいかと思いたくなるようなこの都だが、犬にとってはすばらしい住み心地のする町である。犬の学校もあれば犬の病院もあり、美容院もあれば服屋もあり薬屋もあれば墓場もあるというぐあいである。目薬もあれば、チューインガムも売っている。靴もあれば、レインコートも売っている。人間にはない系譜監査院までできているのだ。
水道橋にある『社団法人 日本シェパード犬登録協会』というところへいくと、シェパードの血統証明書をいくつとなく見せられた。これがくらくらするくらい完璧《かんぺき》精緻なもので、曾曾曾祖父、五代前までさかのぼって両親の名やら性格やらが書きこんであるのだ。いくらかぞえても私などは祖父《じい》さんからさき指が折れない。御先祖さまはどこの石やら、草やら、まったく暗黒の混沌なのである。犬の血統証明書を見て、オッ、ホッ、ホと口すぼめて笑った。
なにか精のつくものでも食べよう。
練馬区関町にある犬の学校へいってみた。『入校規則書』をもらった。授業料がでている。大型犬、中型犬、小型犬で、それぞれ料金がちがうが、大型犬で月に一万五千エン、小型犬で一万エンである。猟犬は軽井沢へつれていって仕込むので、一万五千エンである。だいたい一頭で三カ月かかるから、最低卒業するまでに三万エンいる。学校まで犬を運ぶ運賃は別で、病気になったときの薬代も別ということになっている。
ちょうど十数頭の生徒が個室のオリのなかに入っていたが、聞いてみると、授業は一頭一頭についてするのであって、そこらあたりの大学とはちがうのである。頭のよい犬にはよいように、わるい犬はわるい犬でそれにあわせて、一頭一頭、親しくみっちりと仕込む。語学も日本語のほかに飼主の希望によって英語、ドイツ語、スペイン語、なんでも教える。『よしよし』。『グッド』。『グート』。『ブエノ』。飼主がわからないようでは困るから、卒業に際してはカタカナでルビをふった『命令語集』という小冊子をつける。
意外なことを聞いた。日本には約二十万人の盲人がいるらしいのだが、盲導犬は全国でたったの三頭しかいないのだそうだ。東京には一頭もいないという。これはどうしてかというと、盲導犬を仕込むには一年から一年半ぐらいの時間がかかるが、盲人でその費用を払える人がいないのである。そのため、二十万人の盲人は、毎日、ツエでコツコツと手さぐりしつつ町を歩いているのである。盲導犬になると犬は気まま自由に歩けないし、訓練がつらいから、動物愛護の精神に反して残酷であるのでやめたほうがいいといった�愛犬家�もいるそうだ。
この学校では、いちいち飼主の家へでかけて授業する�出張訓練�もするし、また、飼主が旅行にでるようなときはそのあいだずっと犬を預かって世話をしてやる。また夏になると、『夏期軽井沢教室』といって、犬を軽井沢につれていってやる。そのためわざわざ軽井沢に別荘を建て、電話をひいた。これはためしにやってみたのだがたいへん人気がよくて、客の数はふえるいっぽうで、毎年どうしても欠かせない行事となった。人間は夏の大東京でスモッグと汗にまみれてあえぎ、満員電車でつぶされそうになり、ダムが干上がって水も飲めず風呂にも入れず、いつ橋がおちるか、いつガス管が爆発するかとびくびくキョロキョロしながら暮しているが、犬は軽井沢でゆうゆうとバカンスである。
なにか精のつくものでも食べよう。
田園調布の駅前にある日本一だという犬猫病院へいったら、どこかのお屋敷の雑種犬が奥様と女中に付添われ、診察台によこたわって、紫外線治療をしていた。皮膚病にいいのだそうだ。ぼんやり見ていると、白い診察衣を着た助手がブラシで犬をこすり、奥様は女中に千エン札をわたし、それを女中が助手にわたした。十五分間で千八百エンであった。
「……犬は肉食獣で、歯も消化器官も、みな肉食用にできていますから、米や野菜などはよくありませんね。肉ならロースでもヒレでも、なんでもいいですが、魚はカニ、タコ、シャコ、イカなど、お避けになったほうがいいです。むしろ白身の魚をおすすめしたいところですね。白身の魚、トリのささ身、赤身の肉、こういうのがいいのです。もちろん野生の犬ならネズミが完全食になってるんですから、ネズミのなかにある栄養分をとってさえいたらいいというわけです」
三十八年間にざっと二十五万頭の犬を診察してきたという院長の佐治さんはにこやかに、おだやかに、円満に、経験と知恵の爽やかさにみちみちたまなざしでそういった。
なにか精のつくものでも食べよう!……
日本橋の犬屋へいったら、首輪や皮|紐《ひも》のほかに、つぎのようなものを売っていた。目薬。心臓薬。皮膚病薬。駆虫薬。整腸消化剤。下痢止め。総合ビタミン剤。高単位ビタミンE剤(注射用。錠剤)。石鹸(液体。固型。粉末)。チューインガム。肉の缶詰。牛乳にまぜるコーンフレークみたいなもの。靴。帽子。白木屋の二階の婦人服売場のすみに、�ドッグ・ウェア・コーナー�というものがあって、ここには犬のタウンウェア、犬のネグリジェ、犬のレインコートなどを売っている。
「……なにがいちばんよく売れるの?」
聞いてみたら、売子嬢が、
「そうでございますね。やはりレインコートなどが多うございますね。ネグリジェなども室内着としてよろこばれるようでございますよ」
「たくさん売れるの?」
「ええ。千エンからございますが、お一人で一度に八千エン、九千エンとお買上げになる方もいらっしゃいます」
十一月十一日には十一匹の犬を集めて、午前十一時十一分十一秒にこの百貨店では犬のファッション・ショーをしたのだそうだ。トニー谷が司会し、エリックなど喜劇役者も出演した。
このような華麗豪奢な生涯を楽しんだ犬が死ぬと、電話一本で渋谷から家畜専門の葬儀屋さんがかけつけてきて、府中にある家畜専門の墓地へはこんでゆく。『多磨犬猫霊園』というのである。
これはこの畜生たちにそそがれた人間の狂想の情熱のさいごの広場ともいうべきもので、約四千坪ほどの面積がことごとく犬の墓のために費消されている。土葬もするし、火葬もする。火葬炉もあれば、納骨堂もあり、礼拝堂もあり、休憩室やら、駐車場などもある。春と秋の彼岸の中日には礼拝堂で施餓鬼《せがき》供養もする。葬式は神式、仏式、アーメン、なんでもお望みにあわせる。
花が捧げられ、香が焚《た》かれる。無数の塔婆《とうば》が林立するなかに、犬の写真を焼付けた大理石のすばらしい墓石もまじっていたりする。チコ。ポンポンちゃん。タム。ドリス。メコ。ピース。ベル。ベリー。スーちゃん。婦美子。ストロンボリ。この下にいなづまおこる宵やあらん。あの世は平和か。思い出しては涙なり。おまえはほんとにめんこかった。安らかにおねんねなさいね。さようなら。花誘う常なき風をしるべにて……
子供のない老夫婦が子供がわりに愛していた犬が死んだのでお詣りにやってくる。赤ン坊のときに屋根からおっこちそうになったところを助けられた娘さんが命日ごとにやってくる。子供がわりに愛していた犬が死に、その犬を愛していた妻が死に、今度はいよいよ自分の番だよと墓標へ告げにやってくる老人もある。今度の妻は犬を愛してくれるかどうかわからないが再婚することになったので許してくれと別れを告げにやってくる男もある。土葬してもあきらめきれないで何日かたってからやってきて掘起し、すでにとけかけた犬の耳から毛を鋏《はさみ》でつみとってゆく女もある。
卒塔婆のまえにしゃがみこんだまま三時間も小声でひそひそひそひそと話しつづけた女もある。犬が死んだときは気が狂ったようにとりみだして墓場へやってくるが、葬式をすませるとそれっきり二度とあらわれない人もある。そうかと思うと貧相でお粗末な塔婆を一本建てたきりなのに命日ごとに何年にもわたってお詣りにやってくる人もある。また、一匹の犬が死んだために百七十人もの弔問者が自家用車をつらねて焼香にやってくるということすらあるという。出張旅行先の九州からわざわざ飛行機でかけつけてくる外人もいるという。
私は猫が好きである。シャム猫やペルシャ猫を飼ったことはないけれど、いつも駄猫を飼って観察にふけることとしている。よくよく猫を観察すれば人間の女を事新しく観察する必要がいらないのではあるまいかと思うほどである。媚《こ》びと傲慢《ごうまん》の精妙きわまる結合。これほど人間の暮しの芯にまでもぐりこみながらこれほど人間の支配を拒む、役たたずの怠けもの、憎さも憎し、かわいさもかわいしという、絶妙な、平凡きわまる生きものはほかに類がない。
猫好きと犬好きとのあいだには昔から議論で妥協の成りたつ余地がないのであるけれども、私もまた、猫好きの一人として、犬の忠誠心をかねてよりバカにしているのである。眼によどむ一抹の蒙昧《もうまい》さがどうも気にさわっていけないと思いこんでいる。
しかし、私の漠然とした予感では、犬好きも猫好きも、どこか病むか傷ついているかという点では完全に一致しているのではないかと思う。どこか人まじわりのできない病巣を心に持つ人が犬や猫をかわいがるのではないかと思う。犬や猫をとおして人は結局のところ自分をいつくしんでいるのである。動物愛護協会のスローガンは、動物愛と人間愛を日なたのサイダーみたいに甘ったるく訴え、主張しているが、私は信じない。
犬や猫に温かくて人間には冷たいという人間を何人となく見てきた。犬や猫に向う感情はとどのつまり自分に向けられているのであって、他者には流れてゆかないのではないかと思う。だから、他者との連帯という考えにたつヒューマニズムと動物愛とは関係がないと思うのである。擬人化なしに動物小説を書くのがほとんど不可能だという事実がこの自己愛を説明している。ソレとコレとは別々に話さなければいけない(……にもかかわらず動物小説は文学のすばらしい魅力にあふれた一つの沃野《よくや》であるが)。
私は牡猫�石頭�、またの名�プチ�、またの名�グラン・プチ�、またまたの名�鉄板古ダヌキ�のために、目薬も買わず、レインコートも買ってやらず、軽井沢の夏期教室にもいかしてやらない。彼は風である。好む方向に吹く。吹くものは吹くままにまかせるよりほかない。たとえキャベツ畑であろうと、溝であろうと、ゴミ箱であろうと。しかし、この傲慢で気まぐれで薄汚い蕩児《とうじ》が便所の小窓から私の部屋へ甘え声で帰ってくるとき、狂える病者の一人として私はおなじ深夜にニャオウッとだらしなく鳴いて挨拶に答えるのである。
読者諸兄姉よ。
犬猫墓地に林立せる数千、数万の卒塔婆、墓石は何事をか語れる。碑表の寄進主名を見よ。あるはおべんちゃら八百に囲まれたる映画俳優なり。映画女優なり。あるは嘘に明け嘘に暮れる政治家なり。あるは首を洗いあう資本家なり。あるはお子様だましの小説などを書きつづるパルプ文士なり。あるは市井の無名の人びとなり。浮気亭主を持つ女房の悲嘆なり。定年退職して蒼き砂の孤独をかこつ老人の憂愁なり。いたいけなき幼女の慟哭《どうこく》なり。人びとことごとく病めるには非ずや。おびえり。警戒せり。こわばれり。慄《ふる》えり。ここは偽善と憂いの畑なり。人情|びにいる《ヽヽヽヽ》の膜より薄く不透明なる世に我人ともに愛想をつかせる人びと犬を愛せり。その愛、人への愛を超せり。本末を誤つも甚だしきこと言語道断なりといえども、笑止笑止と叫びつつ人びと狂奔してとめどなきなり。避暑に行く犬あれば炭山で飛散する人あり。かそけき声あって無益無明に呟く。
ナニカ精ノツクモノデモ食ベヨウ!……