練馬のお百姓大尽
私は杉並区のはずれに住んでいる。都心まで電車で一時間ほどかかる。まだ畑や雑木林のかけらなどがのこっていて空気はわるくないのだけれど、ガスも水道もついていない。莫大なる特別区民税を払っているがそういう有様である。井戸とプロパンガスで用をたしている。水についていうと、いまの東京なら井戸のほうが夏でもかれなくていいのである。酔いざめにもおいしいですしね。
住みついてから六年ほどになるのたが、様子はすっかり変ってしまった。団地アパートが建ち、公団住宅群がおしよせ、モダン小住宅が目白おしにならんで、�文明�が波うつようになった。土地の値段も、五倍、六倍、七倍になったのだろうと思う。家のすぐよこにまだ畑がのこっていて、ときどきどこからかお百姓さんが小型トラックでのりつける。夏ならキュウリ、冬ならキャベツをつくっているようである。こんな高い土地でつくっているのだから、ここらのキャベツは葉っぱに聖徳太子のマークがおしてあり、まるで千エン札でくるんだようなものではあるまいかと私は想像することにしている(あとで練馬のお百姓さんに会ったときにそういうと、大尽たちは声にだして笑い、だれも否定するものはなかった)。
東京へ、東京へと人がおしよせてくるので土地の値がめちゃくちゃに上がり、練馬区のお百姓さんになると、評定資産が一億、二億というような数字になるのがざらにいるのだそうである。この区の農協の預金高は三十五億エンというすごい数字で、もちろん日本一である。土をコソコソひっかいて値の変りやすい野菜などをつくるよりはというので、みんなどんどん転業してゆくのである。農協の会議室に集ってもらった人たちは、ガソリンスタンド、建材業、マーケット、風呂屋、養鶏業などに転業した人たちで、みんな�成功者�であった。七人のうちお百姓さんは三十一歳の若者一人であった。
この人たちはだいたいここ三年か五年のうちに転職した人たちばかりなのであるが、見れば�大尽�とはいっても、身なりは顔とおなじように質実で、着古したジャンパーをひっかけているだけである。道ばたを猫背で歩いているところを見ても、だれもこれが億万長者の大黒さんだとは思いもよるまい。世の中には、えてしてそういうことがあって、ほんとの実力者だとかお金持だとかいうものは、幕をあけて覗いてみたら意外に身なりかまわぬ、やせた、貧相な小男であったというようなことが多いので注意が肝心である。
聞いてみると、大尽たちのある人は、道楽としてハンティングやゴルフにでかけるという。このおんぼろジャンパーの大尽はドイツ製のガスライターで『ホープ』をふかしていた。名刺をもらったらガソリンスタンドの取締役社長となっていた。畑をつぶしてガソリンスタンドをこしらえ、バス、自動車の車庫をつくったという。しかし、その車庫も、�イザとなれば�たちまちもとの畑になるようにと考えてあるのだそうだ。コンクリを剥がして土をよそから持ってきたら、二百万エンぐらいですぐに畑に化けられるのだそうだ。
「……客土《きやくど》するのですから、ホルモン注射をうったみたいなもので、もとよりよくなります。土に力がつくのです」
大尽はそういってゆうゆうと微笑した。その笑いは物心ともの自信から成り立ち、どんなに成算があっても逃げ道を忘れない、丘の頂にたった智将の微笑ともいうべきものらしかった。
これを聞いてほかの大尽たちも微笑し、いっせいに、そうだ、そうだといった。建材業屋もマーケット屋も風呂屋も、みんなおなじことを考えているという。いくら畑を売ったといっても城をすっかり門から裏口まで開いてしまったわけではないのである。その気になればいつでももとの百姓にもどれるように工夫してあるという。みんな口をそろえて、それは�土への愛着�からだといった。つまり、�土�はこの人たちの心のなかの錘《おも》りであり、お守りでもあり、コンクリに対する漠然としてはいるが執拗《しつよう》な不安と不信の解毒剤の役を果しているらしい気配であった。農本主義が東京都内ではそういうものになってゆくということが私にはたいへん興味深かった(……ただ、ざんねんなことに、いつそういう不測の事態、�イザとなれば�という変動がやってくると予想しているのかを私は聞きおとした。きっとそういう予想はなにもないのだろうと思う。独立自営農というものは自由業者の一種であるから、いつも退路を用意しているのだと思う)。
畑のまわりにモダン小住宅が目白おしにひしめきだしたのと化学肥料を使うためとで、東京のお百姓さんたちはとっくに人糞をたたきこむことをやめた。練馬では昔から�ダラゴイ�といって堆肥《たいひ》と人糞を半分ずつまぜあわせたものを畑で使う習慣があったが、もう数年前からなくなった。いまでは衛生局の�ヴァキューム・カー�が農家の庭に入りこんで吸いとってゆき、お百姓さんもサラリーマンの家とおなじように、お金を払って腸の絵具を始末している。�ダラゴイ�まきの重労働はおかみさんの役であったが、いまはそういうことをしなくてもよくなったので、どの農家のおかみさんも老《ふ》けなくてすみ、十年も若くなって、肌の艶がびっくりするほどみずみずしいということである。
宅地と農地の比率は練馬では六十パーセントぐらいではないだろうかという。まだ農地のほうが多いのである。けれど、東京都が膨張すればするだけ、やっぱり農地は減ってゆく。みんな転職してゆくのである。それが�自由競争�だものだから、ガソリンスタンドが儲《もう》かるとなればみんないっせいに畑をガソリンスタンドに変えてしまう。マーケットがいいとなるとマーケットに走る。ブタがいいとなるとブタを飼い、トリがいいとなるといっせいにトリを飼うといったぐあいであった昔の習慣がつづいているのである。
そのために転業しても同業者がやたらにふえて悪競争に苦しめられるということが起ってくる。おたがい相談しあって、おまえは油を売れ、おれは木材を売るというぐあいに協定すればいいのだけれど、なにしろ�東京�と背中合わせになっているような土地柄である。聞いてみたらみんな頭をかいて、そうです、そうです、たしかにそこが弱いところなんですといった。他人を模倣しながら他人をだしぬこうという怠惰な欲張りの気風がぬけないでいるらしい。
駐車場つきのすごい銭湯が練馬にあるというのでいってみた。なるほど畑のなかに鉄筋コンクリ造りの御殿『富士見湯』は、堂々、冬の風と空を制して、すごいものであった。これまたお百姓さんがつくったものであるが、夜になるとマイカー族がぞくぞくとつめかけてきて砂利敷きの駐車場はたちまちいっぱいになってしまうのだそうだ。これが�東京�だ。いちいち二十三エン払って銭湯にやってくる人が、五右衛門風呂をつくるよりは、まず自動鉄箱を買いこむことに頭を痛めるという風情である。
銭湯は私もきらいではないけれど、あれがいいのは湯上りにぶらりぶらりと手拭さげて道を歩いて蜜柑を買おうか、キンツバを買おうか、それとも『寿司善』で一杯だけひっかけていこうかなどと駅前をのろのろと足で迷い歩くところに一つのシックさがあるのだ。そういう散策と瞑想の時間など、いまの君の一日のどこにもないじゃないか。君はただバッタのように暮しているだけじゃないか。車を銭湯にのりつけて、それが洒落になると思っているのか。クルマというものは広大無辺な大陸国の必要悪の産物なのであって、日本では過剰悪である。私の妻は�四ツ馬印�ルノーをときどき走らせるが、十回のうち一回も私はそれにのらない。人の思考は肉体に規制されているのだ。それは手や足や肩から自然にたちのぼってくるものなのである。
しかも、よく眺めてごらんよ。クルマを走らせてうっとりしている男たち女たちの書きちらかす文章がどんなに野暮で、間がぬけて、手|垢《あか》にまみれて、薄汚い、日なたのラムネか、かみさしのチューインガムみたいなものでしかないことか。道具が仕事を裏切る例、これより甚だしいものがない。クルマで銭湯へゆくなどという、そういうあさはかなことは、いいかげんにやめましょうや。
関口君という青年が私の注意をひいた。彼は農協の会議室に集った七人の長者のうち、たった一人のお百姓さんであった。二十一歳のときに父に死なれてから、一人でせっせと畑を耕しているのである。まわりの中年の男たちがみんな才覚をめぐらして油屋や湯屋になってゆくのに彼一人はキャベツをつくっているのである。
畑へつれていってもらうと、彼のキャベツ畑は、まわりがすっかりモダン住宅にとりかこまれて、身うごきならないクサビのようになっていた。化学肥料は年に何度もまくわけではないけれど、まいたときはしばらく匂うから、まわりの住宅の人とは日頃から仲よくしておかなければならない。住宅の人は彼の畑を眺めていて窓から野菜を買う。これはメーカーと消費者との直結で問屋を通さないからおたがいにたいへんぐあいがよくて、額は小さくてもバカにできないのだそうである。
家へつれていってもらうと、雑木の木立のなかにある典型的な藁《わら》ぶきの農家で、土間でお茶を飲んで話しあっていると、これが�東京都内�であるとはとても思えなくなってくるのである。ときどき大都市周辺の農家が土地を売った金で�アパート農家�といわれるモダン住宅を建てたりすることがあるが、彼は目もくれないらしい。
わけを聞いてみると、そんな金があれば土や野菜そのものに、また、土や野菜の研究にそそぎこみたいところであると答えた。一冊のよれよれになったノートをとりだして、いろいろと説明してくれた。
それは日記で、もう十年ちかくもかかさずにつけている。このノートのおかげでいろいろなことがわかるようになった。たとえば野菜がほぼ三年を周期として値の上がり下がりをくりかえしているというようなことである。ある年、キャベツが当ったとする。すると、みんな翌年もキャベツをつくる。翌年、キャベツは過剰生産で値が下がる。つぎの年はみんなつくらなくなる。だからその年キャベツの値が上がる。こういうことが三年を周期としてくりかえされているということがよくわかった。そこで彼は毎年みんなの逆手、逆手をねらって野菜をつくるようになった。
春になると川越あたりまでオート三輪をとばして、遠出をする。街道を走りながら両側の畑を見れば、百姓たちがその年なにをつくろうとしているかということが一目でわかる。そこで家へ帰ってくると今年はなにに力を入れたらよいかということが、たやすく考えられる。
「……私の畑にすごい値がついているということは知ってるが、そんなことを考えるとモノはつくれないんだ。畑仕事をしてるときはてんで頭に浮んだことがないね」
「みんなどんどん転業したい人は転業していったらいいんだよ。私だって転業したくなりゃするよ。だけど私は畑仕事が好きなんだ。だれにも頭をさげずに暮せるしね。いいことが多いんです。だから転業なんて考えたことないな」
「このあたりの百姓は明治からずっと練馬大根をつくってタクアン漬つくって軍に納めて稼いできたんです。ミリタリズムの|匂い《ヽヽ》はここでつけたんだね。戦後はドサクサにまぎれて闇で儲けた。戦後が終ると土地が値上りしてまた儲けた。いいことばっかりなんだ」
「このあたりは土がいいし、水がいいし、東京という大市場がすぐ裏にあるしで、ほんとに恵まれてんだ。百姓のことを生産者っていうけれど、私にいわせれば、加工者ってところですよ。土を加工するだけの手間なんだ。そう思うな」
「百姓してるとたしかに人はよくなる。ほかのことを考えてられないからね。けれどね、これにも欠点はあるんです。人とのつきあいがわるくなるんです。天狗になるんです。天上天下《てんじようてんげ》 唯我独尊《ゆいがどくそん》ってのかな。人を人とも思わなくなるんだな。その点は注意しないといけないね」
「私はこのあたりでいちばん年齢《とし》が下なんだけれど、いまとなってみると、そういう最後衛が最前衛になってしまった感じですよ」
ネオンやジャズや映画や料理店やらがひしめく�東京�のなかで彼はそういうものを歯牙《しが》にもかけず、ゆうゆうと爽やかなる自信にみちみちてキャベツをつくっていた。金をドカドカ手に入れようと思えば、ほかの人たちとおなじようにいくらでも手に入れられるのに、彼はそうはしなかった。
そうしなかったのは先祖への忠義立てからではなく、土から離れることの不安に縛られたからではなく、また、もっともっと値上りを待とうという打算からでもなかった。ほかの職業では味わうことのできないものを味わいたいばかりにそうしなかったのである。しかも彼は着実に考え、冷静に計算し、巧みにうごく。�変人�や�奇人�などにある個性主義の狂熱から畑にしがみついているのでもなかった。反逆と自由が、彼のなかでは精密な自己観察の結果からたくみな均衡をとって定着することができたもののようである。
私はこの人の生きかたが好きだ。
腐蝕していない正気の珍しい人を見た、というような気がする。
東京練馬区のお百姓さんは日本全国を見わたしてベスト・ワンなのだそうだ。ここのお百姓さんの悩みといえば、何事につけてトップを切っているために、だれの真似をしたらいいのかわからない、という悩みぐらいのものではないかというのである。日本全国の農村がこのあたりのお百姓さんとおなじ水準に達することを目標にしている。いつ、そういうふうになるかは、まだわからない。関口君は歩きつづけてやまないだろうから、水準はますますあがりつづけるだろう。