遺失物・八十七万個
この号が今年(六三年)の最終号になるので、シメククリにふさわしいような題材はないものかとさがした結果、飯田橋の「遺失物収容所」(正確には警視庁総務部会計課遺失物係というおそろしく長い名前だが)へいくこととなった。
いままでに私が行った国では、イスラエルがいちばん小さい。総面積が四国ほどしかなく、人口は二百万である。それでも国連に席を持ち、空港には完全ジェットの長距離旅客機を持っている。東京の人口は一千万なのだから、人口だけからみると、立派な独立国を五つもかかえこんでいることになる。
この一千万の人間がじっとしているのならべつだが、世界一のあわただしさで、血相変えて、右に左に、東西南北へ走りまわるのであるから、その体からはじつにさまざまなものが遠心分離機にかけたみたいにとび散るのである。とび散ったものはネコババされたり、交番にとどけられたりするが、とどけられただけでもその数字はちょっと想像を絶するものがある。
傘…………九万九千本
銭入れ……九万二千個
衣 類……六万着
風呂敷……四万八千枚
本…………三万五千冊
帽 子……三万三千個
万年筆……二万八千本
時 計……二万七千個
弁当箱……二万一千個
眼 鏡……一万四千個
そのほか、カメラ、食品、玩具、靴、装身具、なかには携帯禁止のドスや日本刀やピストルなども含めると、東京じゅうの百貨店という百貨店をひっくりかえしたみたいな光景となるのである(この数字は六二年のもので、六三年のはまだ集計されていない。毎年一割ぐらいふえるというから、もっと大きな数字がでるだろう)。
「落シマシタ」といってとどけられるのが物品だけで四十七万点、現金ではじつに五億五千万エンというとほうもない数字である。そして、いっぽう「拾イマシタ」といってとどけられるのは物品で八十七万点、現金で二億八千万エンである。拾った現金が落した現金の半分ぐらいにしかならないが、この差、二億七千万エンは、ああらふしぎ、どこに消えたのでしょう?……
東京の空気はどういうわけか物を蒸発させやすい性質を持っているが、それでは、物をおとしたときにあきらめてしまわずにとどけた場合、どれくらいが手もとにもどってくるものであろうか。これも数字がでていて、現金では一億五千八百万エンが、おとした人のところにもどされている。五十六パーセントである。約半数がもどっている。蒸発したのが二億七千万エンで、拾われたのが二億八千万エンである。してみると東京では性悪説と性善説がほぼ同じくらいの強さで対面しているわけである。正直な人の数は、|想像するよりは《ヽヽヽヽヽヽヽ》たくさんであるようだ。すくなくとも私にはちょっと意外であった。おとしたらさいごだと私は固く固く思いこんで暮してきたのである。いまこれを書きながらも、そう思っているのであるが……
駅でいうと池袋、新宿、渋谷、上野あたりがいちばんよくおちるから用心しなければいけない。中央区、台東区も多い。件数がいちばん多いのは、私鉄や国電が入り乱れる池袋界隈で、現金がいちばん多いのは銀座、築地、新宿、渋谷界隈である。ちょっと離れたところでは立川駅も摩擦が多いから、注意しなければいけない。
だいたい統計でいくと、東京都内では、雨の日であると一日に傘だけで六百本がおち、なにやかや含めると、年間通じて一分間に一・四件、たえまなしにどこかで、なにかが、人体から逃走しつつあるというのである。収容所では法令によって届け出があってから六カ月と二週間はちゃんと整理して保管しておくが、それが切れると拾った人に権利があるとしてそれぞれの届け出者にわたす。国鉄構内で拾われた物は国鉄のものになる。私鉄の場合には社長のものになる。
収容所の薄暗い、裸壁の、荒《すさ》んだ廊下には、何百本となくコウモリ傘がつめこまれていて、おびただしい数の傘の柄には、「五島昇」と判コをおした板きれがついていた。みんな、かれがおとしたのかと聞いてみると、いや、そうではなくて、みんな東急の駅や電車のなかでおちたものだという。
五島昇はこんなにボロ傘をもらってどうするつもりだろうと聞いてみると、社内で競売するか古物商に払下げるかするのだろうという。この収容所でも引取手のない物たちは、収容期限が切れると、年に二回ほど古物売買許可商を呼んで公開、競売するそうである。
飯田橋にあるこの収容所は、もとはなんでも少年保護院かなにかであったらしく、ひどく壁が厚いのである。荒涼としていて、壁は剥げるままだし、窓はやぶれている。廊下、部屋、棚、階段、いたるところに人体から逃亡した物たちがおしあいへしあいひしめいていて、歩くのにも体をよこにしなければ歩けないほどである。物たちはすべて日付札をつけられて日付順に並べられ、つめこまれている。乾いたような、湿ったような、汗くさいような、カビくさいような異臭がたちこめている。
コウモリ傘。唐傘。男物。女物。ビニール傘。木綿傘。子供傘。財布。定期入れ。ドル入れ。蟇口《がまぐち》。巾着《きんちやく》。腹巻。背広。ズボン。チョッキ。パンツ。シュミーズ。ストッキング。靴下。足袋。腰巻。ステテコ。和服。浴衣。お召し。裾模様。羽織。ビニールの風呂敷。木綿の風呂敷。唐草模様の風呂敷。アブストラクト模様の風呂敷。本。本。本。本。本。本。本。帽子。中折れ。鳥打。ベレ。正ちゃん。ハンティング・ベレ。最新式万年筆。最古式万年筆。セルロイド製。プラスチック製。金属製。パーカー。パイロット。無銘。万年筆。万年筆。万年筆。万年筆。時計。セイコー。ロレックス。時計。時計。弁当箱。大きいの。小さいの。四角いの。平べったいの。丸いの。楕円形の。アルミ製。折畳式。眼鏡。プラスチック製。セルロイド製。ベッコウ製。フォックス。ロイド。ふちなし。角型。下駄。靴。カメラ。カメラ。カメラ。ドス。匕首。日本刀。ゴボウ剣。ヨーヨー。がらがら。キューピーちゃん。ダッコちゃん。クマさん。コブタちゃん。名物なんとかせんべい。水戸納豆。名物なんとか饅頭。一升瓶。ポケット瓶。缶詰ビール。納豆。ウニ。塩辛。ずうううううッと見ていくと、廊下には電気洗濯機や、扇風機や、パチンコ台や、それからオートバイが数台、裏出口のコンクリートの床にはマグロが一本、ごろりとひっくりかえっていた。
物たちよ
八十七万個よ
きみたちは
手もなく足もないのに
鳥より速くとぶ
キツネより速く人から逃げる
大いなる都の
こそこそする影
舌うちと
ため息を生む
ちょこまかした叛逆者よ
きみたちは
人に使われるために生れ
人の隙《すき》をねらって逃げた
恋の法悦
手形の戦慄《せんりつ》
タイムレコーダーの冷笑
月賦の白い歯
飲み屋のツケと
ママさんの横顔の恐怖
満員電車の行方《ゆくえ》知らぬ憎悪
エロ漢の指の意地汚さ
がみがみ女房のあさましさ
とろ作《さく》亭主のやけくそ酔い
小便垂れの赤ン坊
こましゃくれた小学生
参考書に夢中の中学生
受験勉強に狂う高校生
世わたり、酒ぐせ
閥を指折り数える大学生
めくら判|捺《お》す会社員、官吏
しかめつらの偉いさん
あめりか一辺倒の村政治屋
靴底ほどに面《つら》の皮厚い大御所
そのけちんぼの権妻《ごんさい》ども
権力にゴマするいんてり茶坊主
おお
物たちよ
ちょこまかした叛逆児よ
きみたちは
私たちをだしぬいた
駅で、道で
便所で、喫茶店で
露地裏で
赤坂で、池袋で
だしぬいた
駈けて、運ばれて
集って
八十七万個
しかし
きみたちの
この衰えは何であろう
廊下で、階段で
小部屋の木棚で
鉄扉で守られた小部屋の
小さな
幾つものひきだしのなかで
段ボール箱のなかで
傘よ
カメラよ
靴よ
時計よ
ユニヴァーサルよ
ローヤル・スイスよ
ダイヤよ、ヒスイよ
きみたちは
ことごとく蒼《あお》ざめている
乾き
褪《あ》せている
皺《しわ》だらけになり
眼を閉じている
息をとめている
止まり
錆《さ》び
こわばっている
時価六十万エンの
ダイヤをちりばめた
ロレックスも
ここの裸壁の裸電灯の下では
いろ失った廃《すた》れ物としか
見えぬ
きみたちは死んだのだ
人の体から離れた瞬間に
死んだのだ
叛逆の光輝は
その瞬間にしかなかった
人の薄暗い皺だらけの脳膜に
泡のように浮んでは消える
その思惟《しい》の影よりも
きみたちの命は脆《もろ》く
はかない
おお
八十七万個の
きみたち
物よ
唐傘よ、毛糸の胴巻よ
ダッコちゃん
ついにきみたちは
人を離れては生きられない!
影のような
きみたちの
朽ちた憂愁の堆積
薄暗い廊下を、天井まで山積する大小無数の物たちをかきわけて一階から二階へと、ぐるぐる、カタツムリの殻のなかを歩くようにして歩いてゆくと、一つの小さな部屋のまえで案内の係員の人がたちどまった。
「ここは何です?」
「イハイがあるんです」
「イハイって?……」
「ホトケですよ。イコツもあるんです」
「オコツをおとすのもいるんですか?」
「いますよ。わざとおき忘れていくんじゃないでしょうかね。持って帰るのがめんどうなんじゃないかと思いますね」
「よくあるんですか?」
「ちょいちょいありますよ」
窓のない、まっ暗な小部屋のなかに入ると、線香の匂いが鼻にきた。よくよく眼をこすって、すかし見た。コンクリート壁をちょうど仏壇ぐらいの大きさにくりぬいて、段がつくってある。おやと思ってすかし見ると、その段のうえにいくつもの位牌や遺骨の箱がならんでいた。そのまえにはちゃんと造花が二輪左右にたててあって皿にはリンゴやカキなどがきれいに盛ってあった。
よれよれの制服は着ているけれどきれいにひげを剃った一人の中年の係員がやってきた。手に茶碗を持っている。見ていると老人は暗いなかで器用に仏壇の茶碗に半分だけ自分の茶碗から茶を半分そそいだ。なにをしているのだと聞くと、時間がきたから自分のお茶を半分ホトケにやったのだと答えた。午前と午後に一回ずつ読経をしてお茶をかえるのがわたしの役だと、老人は暗がりのなかで笑って説明し、よごれた廊下へでていった。
係員の人が笑って説明した。
「これもみんな遺失物ですよ」
「造花もですか?」
「そうです。おとしもので間にあわせたんです」
「果物もですか?」
「果物もです。位牌も、果物も、造花も、みんなおとしもののなかからとって間にあわせたんです。私が死んでもこんなに果物はあげてもらえないですよ。ここへきたほうがホトケさんはぜいたくできます」
「この遺骨や位牌はこれからどうなるんですか?」
「行先がわかりませんから、拾った地区の係官のところへもどってそれから係官はその区の無縁墓地へ持ってゆくんです」
「六カ月と二週間たってからですか?」
「そうです」
ふたたび私たちは乾いたようなカビくさいような物たちの死臭のたちこめる廊下へでて、田ンぼの畦《あぜ》道のような細い隙を傘をかきわけつつ出口ヘもどってゆくのである。あなたは安心してよろしいのである。肉親にどんなにあなたの骨が厄介がられて満員電車のすみっこに捨てられても、この小さな暗い部屋のなかで少なくともあなたは造花と果物と茶を眺めることはできるのである。
さようなら。
一九六三年。