新宿─その二つの顔
午前8時すぎ。
よごれた氷のような冬空のしたをサラリーマンの軍団が長い、黒い列となっていそぎ足に行進している。みんなてんでんばらばらに、しかしわき目もふらずに歩いてゆく。地下鉄の階段へいっせいにぞろぞろ、ぞろぞろとおりてゆく。チャップリンの『モダン・タイムス』の冒頭の光景にそっくりじゃないか。柵《さく》のなかを追いたてられて走ってゆくヒツジの行進にそっくりじゃないか。ひまな学者があらためてどう叫んだところで、この軍団の足は一歩もとまらない。
地下でも地上でも苦痛が氾濫《はんらん》している。定員百五十人ぐらいの電車に六百人もつめこむというのである。そして国電は二分間隔で発着する。この運転表がすでに奇蹟であって、世界のどこにもないのである。一日の乗降人員が約百万人、ホームからホームヘの乗換え人員が約二百万人、しめて三百万人の潮騒《しおさい》である。しかも毎年十万人ぐらいずつふえる。いま副都心計画で駅を大改築の工事中であるが、副都心が数年後にできたときには、乗降客の数がいまの二倍くらいになっていると想像されるので、またまた何かの大手術をしなければいけない。ポチャッ、ジュウッ。焼石に水。
いままで駅員たちはホームをあちらこちらへ走ってはみだした客をウンツクツッとうめきながらおしこんでいたのであったけれど、六四年冬からは、かさなる大事故発生で�安全第一�のモットーをさらに確認、発展させることとなった。�はぎとり�ということをはじめたのである。ドアのところで針にひっかかったハゼのようにもがいている客を見わけて、状況によって、おしこむか、はぎとるかをきめる。「どういう人をおしこんで、どういう人をはぎとるんですか?」
「それはですね、足を見てきめることにしたんです。足がホームのほうにあるか、電車のほうにあるかで、きめるんです。足が片方でもホームにのっていたら、はぎとるんです」
いまの泰平ムードは元禄時代であろうか、文化文政であろうかと堀田善衛と話しあったことがあるけれど、�はぎとり�などという言葉があるところを見ると、戦国乱世なのかも知れない。阿川弘之の説では交通戦争で死ぬ人の数が、いまはちょうど日清戦争の戦死者とおなじであるという。してみると、このあとに日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争と、まだまだすごいのがひかえているのだから、よくよく用心しておかなければいけない。
新宿駅ではまだ事故が起ったことがないけれど、なぜ事故が起らないのか、それが不思議なくらいであるという感想を駅長から聞かされた。また、今後きっとここで事故が起るであろうし、それは鶴見事故などよりもっと悲惨なものになるかも知れないという感想も聞かせられた。国鉄総裁が現場見学にやってきて肝《きも》をつぶしてそういった。駅長は責任ばかり負わされてなんの権限も持たされていないから、事故が起ればたちまちクビにされてしまうでしょうな。踏切警手からコツコツとこの道を歩きつづけて新宿駅長になったというこの人は、気の毒なことにすっかりやせて、乾いて、小さくなっていた。
時差通勤はもちろんだけれど学生たちの時差通学をもっともっと強化しなければいけない。貨物をやめて旅客専用駅にしなければいけない。駅長は吐息をつきつつさまざまな計画を指折り数えるのだけれど、憂愁が骨までしみこんで、眼はぼんやりとしていた。
ホームにたって日清戦争の戦場を眺めていると、人間ガ機械ヲ走ラセテイルノダとも機械ガ人間ヲ走ラセテイルノダとも、どちらにも見えてくる。おしこまれる人、はぎとられる人、血まなこで階段をかけあがってくる人、車掌、駅長、みんなが必死の知恵と体力を発揮している。どうしてこうまでしなければいけないのかと思うが、とにかくそうしなければ生きられないのでそうしている。電車がドアをしめて駅をでてゆくとき長方形の鉄の箱はふくらんで楕円形になっている。缶詰のイワシのようにつめこまれたなかでも新聞や本を立読みしている人がいるので、感嘆する。
正午。
女の軍団がやってくる。おかみさんたちが商店街や百貨店の特売場で、果敢にして執拗なる戦いを挑む。
午後4時。
中学生、高校生、大学生たちがやってくる。黒の詰襟服を着た彼らが大群をなしてのろのろと行方知れず歩いているところはカラスの群れにそっくりである。ニキビから血を流し、フケの粉をまきちらし、青い、しつこい、粘っこい体臭をたてて彼らは歩きまわり、ストリップの看板など見てニタリと笑ったり、ギョロリと眼を光らせたりすると、お化けである。
夜の8時。
いつも私はこの町で遊んでいるのだけれど、とんカツ屋と朝鮮料理屋がどの町よりも多いように思う。いちいち数えたわけではないのだが、とにかく、無数の飲食店のなかでこの二つはあちらこちらに目だつような気がする。私が好きだからとくに目につくのかしらと思って、二、三の人に聞いてみたら、みんな、そうだ、そうだ、そういわれればそのとおりだとうなずいた。そしてこれにつけ加えていうと、新宿にはトルコ風呂と※[#温泉マーク]旅館が、ちょうどおなじくらいある。
自動車のことはよく知らないけれど、この二つの事実をつないでみると、新宿はオイル・タンクでイグニッション(点火)の町だということになってくる。とんカツや朝鮮料理をしこたまつめこんで満タンとなると、顔をテラテラ光らせてたちあがり、旅館へいって鍵を借りる。ドアをしめたら、とたんに発火してエンジンがうごきだす。ピストンがいそがしくはためきはじめる。一ツ目小僧がでてきて、エッサッサノ、エッサッサ。雲か雨かの大いそがし。純愛あれば、濁愛あり、七転八起あれば、一発必中あり、世之介の曾孫あれば、サド侯爵のまがいものあり。ごらんよ、どの旅館の屋根からも虹《にじ》がたっているようではないか。そしてその虹はいずれも汗と湯気と光輝を放っているようなぐあいではないか。幾条も幾条もの虹のなかでオヤ、ずいぶんたくさんが途中で折れて、曲って、消えてしまっている。昼間あんまり働きすぎて頭を使いすぎたんだね。あの虹のしたでは、どういう弁解の言葉が毛布のなかでつぶやかれているのだろう。そういう人にかぎって、日頃、おごそかな、重々しい、いやらしい、たいくつで美しい言葉をオチョボ口して吐きちらかしているのじゃあるまいか。
朝のさびしい顔をした軍団が夜になると三々五々解体してもどってくる。そして、ここを給油地として、めいめいの甲羅にあわせて穴にもぐりこむと、二時間か三時間ほどはしゃいですごす。銀座界隈ですでにワン・ラウンド終ったのが意気揚々と、あるいは心身|朦朧《もうろう》となって、セカンド・ラウンドをやりにやってくる。ここでは気取りや虚飾や思わせぶりがなにもいらないので、人びとは思いのままに思いのままを口走るのである。じっと注意してごらん。いかに世の中には活字にならないで流れてゆく言葉の数の多いことか。小説家や批評家や歴史学者や社会科学者たちがそれぞれ群れごとに集る飲み屋が無数にあるが、そこへいって耳を傾けたら、あなたはびっくりするだろうと思う。そういう人たちが文字に書いて発表する意見とはまるでウラハラな、まったく正反対な意見をここらではしじゅう熱中して平気で吐いている光景にぶつかる。
そして、不思議でもなんでもないのだが、そういう人が翌朝になってペンをとったら昨夜のことはけろりと忘れてまったく反対のことを書くのだ。私は数知れずそういう場面に出会ったので、いまはもう、なにも信用できないという心境にある。酒瓶のなかに真実はあるようだし、ないようだし、酒瓶のそとにも真実はあるようだし、ないようだし、なにがなにやらわからない。
この時刻になると新宿は穴と裂けめと叫び声と匂いとにみたされる。あらゆる穴はネオンで輝いて、赤や青の血を流し、閃《ひらめ》く。魚の焼ける匂い、汁の煮える匂い、肉の焦げる音、油のはぜるさざめき。人は叫ぶ。吠える。舌うちする。感嘆する。ののしる。お世辞をならべる。にらむ。だまる。パチンコ屋はどよめき、キャバレーは鍋釜たたいたみたいな騒ぎで壁が揺れ、薬局では肝臓薬と風流|如意《によい》袋がとぶように売れる。若者は少女にガンをトバし、エロ漢がゆきずりの女のお尻を撫でて相好《そうごう》くずす。屋台のチャルメラ。自動車のブレーキの孤独な叫び。救世軍の太鼓。うめきつづけるジューク・ボックスのまえで、若者たちが指を鳴らしつつコンブの影のゆれるように、ゆらゆらといつまでも踊っている。
夜の12時。
バー、居酒屋、ナイト・クラブ、キャバレー、無数の穴から這いだした女や男たちが金魚の大群のあふれたように舗道にあふれてタクシーを呼びたてている。
夜の2時。
気がついたら私はいつのまにか悪名高き花園街の一軒のゲイ・バーのカウンターにもたれて若いコンニャクたちをからかっていた。彼ら、いや、彼女らは、電灯も壁も真ッ赤に飾り、まるで透明な血の池のなかに浸ったみたいにしてくねくねと体をよじらせたり、ひょいとレコードのジャズにあわせてステップを踏んでみたり、いやァん、素敵、御機嫌ねえ、ハイ、イイエなどといったりした。なにがなにやらわからないので、私もとつぜん、オモチロイッ! と口走ったりしている。彼女らの眼は薄くひらかれてどこを見ているのか見当のつけようがないみたいだけれど、どうやら一目で客の正体を見ぬいてしまう鋭さが閃くように思える。純正オトコの私はあっさりとあしらわれた。
「あたしたちって、十七、八歳が迷いなのよね。ほんと。みんなそういうの。危険な曲り角。そこを無事にすぎたら、なんてことなかったんだと思うけど、でもねえ、もうダメ」
「君も十七で狂ったのか?」
「そうなのよ。相手は学校の先生なの。まんまと頂かれちゃったの。くやしいわ。テなこといってうれしいくせに。あら、お兄さんのマフラー、いいじゃん。絵描きさんかしら、こちら」
「痔《じ》のほうはいいのかね?」
「いやァん、お下劣。ワセリンを使ってますの。ここでも競争がはげしくて大変だわ。体がもとでですものね。気を使うことが多くって、ほんとに衰えるわヨ。新宿だけで五十軒近くもゲイ・バーがあるっていうんですもの。ラーメンだけじゃとてもがんばれないわ」
しんみりとシナをつくってみせたところが、鼻ペチャ、出歯、薄眉毛、いっそ野良着で肥えタゴかついでるほうがお似合いなのに、なに思いけん、この子、指にまがいの金指輪二つもはめて、とつぜん口笛ヒュウッ、聖者がみんな行進すると英語でひとくさり、投げ唄。そうしてうっとりつぶやくようは、サッチモッテ御機嫌ネェ。買う客のつらが見てやりたいというような化けものであるが、この道にもやっぱり美食趣味と悪食趣味があることは、私、サン・ジェルマン・デ・プレの高名なキャフェ�ドゥ・マゴ�の二階で、ある夜ふけ、とくと観察したことであったので、ヒキガエルのつぶれたのがでてこようと、アスパラガスに真紅のシャツ着せたような美少年がでてこようと、もうおどろかない。ギリシャの昔からやっていることであってみれば、善とも悪とも糾弾する気は毛のさきほども起ってこない。なにが善でなにが悪なのかもよくわからない私である。やりたければやりたいうちにやりたいことをやりなさい。けれど体だけは大事にしなさいよ。
朝の4時。
あちらこちら飲み歩いて、どうやらなにかのお目こぼしで月に七百件は下らないというこの地区の刑事事件になにもひっかからず、刺されもしなければガンづけられもしないで、よろよろと、四流どころのハウスにころがりこむ。玄関口で四、五人の若者が旅館のおっさんをつかまえて吠えていた。
「よオッ、よオッ。いつも八百エンなのに今日は千五百エンてのはどういうことだあ」
「いいから、いいから、兄さん静かにしなさいよ。ね。これは私がわるいんじゃない。社会が要求してるんだからさ」
「池田がわるいッてのかよ」
「そう、そう。そういうこと」
「池田を殺せっていうのかよ」
「ま、ま、夜なかだからさ、そう意気ばらないで」
若者を送りこんだあとで空室へ私もダンゴをこねるみたいにして送りこまれ、千五百エン払ってベッドヘとびこんだ。寝ようと思って眼を閉じると、ベニヤ板張りの壁ごしに、聞えるわ、聞えるわ、いびき、舌うち、寝返り、歯ぎしり、ぼそぼそ声、そして、またしても、雲か雨か。精がでるなあと感心させられる。
夢うつつになってつめたい壁にしがみつくようにして寝入りこむうちに、やがて夜があけたのか、どこかの部屋で若い女の声が、いらだたしげに、ネエ、アナタ、モウ起キナサイヨッタラ、結婚シタラコンナ自由許サナイワヨ、すさまじいことを真正面から叫んでいるのを聞いた。
午前8時。
よきサマリア人《びと》の会社員の軍団がふたたび黙々とヒツジの歩みを歩んでゆく。バタ屋のおじさん、おばさんが塵芥《じんかい》の車をひいてゆく。屋台でラーメンをすする少女がある。革ジャンパーのポケットに両手をつっこんで少女に狙《ねら》いをつける少年が、もう、人影少ない舗道にキノコのようにたっている。夜の影とも、朝の影とも、私には判断がつかない。日が始る。新しい狂乱が、正気のうちにざわめきの背を起してはじめられる。