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言葉をください35
日期:2020-05-15 13:15  点击:304
ユスラウメの種

二人が塀へとびついた。枝もたわわなユスラウメを廃屋の庭にみつけたのである。車から降りてユスラの枝にとびついているのはミセスK子とH嬢。しかし残念ながら手の届く限りの枝に実はなくて、如何にこの木が通りすがりの人々に愛されているかが知れた。
H嬢が朽木の門扉を開けて「開いたわよう」とのんびりした声を出す。三人が人目も忘れてなだれ込んだのは申すまでもない。私は自分の齢さえ忘れてしまっていたのである。
それほどにユスラウメは美しかった。ルビーの実がたわたわと風に撓《しな》った。空はあくまでも青かった。
たとえ廃屋であっても住宅街のどまんなか。誰に咎《とが》められても仕方がない立場に三人の女は立っていたのである。けれども枝を折るという行為には何のためらいもなかった。
「だってこんなに美しくておいしそうなのですもの」
「いただきまーす、ありがとう」
「たくさん残してあるから近所の人も召しあがってね」
「枝剪《き》りしたほうが来年もたくさん実をつけるのよね」
自分たちが盗んでいるという自覚はあっても、女の倫理はこのように働いてしまう。おそらく男性には信じがたい行為であり考え方であろうと思う。
ユスラウメはほんとにおいしかった。女たちは数粒を口へ放り込んではてのひらの凹みへ器用に種を吐き出した。
十人の男を呑んで九人吐く
 私は自分の句を思い出して、その比較の突飛さに苦笑しながら種の一つを呑み込んだ。
「ああ、いい日だった」
ユスラウメはくったくなく車の後部座席で揺れている。
ミセスK子は麦わらで編んだユスラ籠の話に目を輝かせた。私の思い出の籠は竹製で、赤や緑の色づけがしてあった。いっぱいになるまで取って、こぼさないように遊びの輪の中へ持っていったものだ。みんな無言で食べた食べた。籠がからっぽになってはじめて、顔のクモの巣を笑われたりした幼い日。
ユスラウメは梅桃と書く。たしかに梅と桃のあいのこの味である。さくらんぼ(桜桃)のように長柄の優雅な姿と味には少し劣るが、ぎっしりとしがみついた枝の実は郷愁の味である。
H嬢は枝をかかえてピアノを教えに車を降りた。その頬が梅桃にまけぬくらい美しい。彼女の生徒はユスラウメを喜んでくれるだろうか。「ダメよ、洗ってからね」という若いママの声がきこえる。実は洗われてガラス器に盛られるのではなかろうか。ユスラウメは枝から食べてほしいのだけれど。

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