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言葉をください42
日期:2020-05-15 13:18  点击:282
風の細みち

A青年が設計してくれた家はラセン階段がついていて明り窓があって、どこからも光と風が入ってくる仕組みになっていた。狭い町中の店舗につながる住居としてはこれ以上の空間利用は考えられないという真心の設計。
私は喜び勇んで大工さんを呼んだ。そして、二十分も経たないうちに私の白亜の家は雲散霧消してしまったのである。私はこのときほど「お金が欲しい」と思ったことはない。わずか五十万円のプラスができないためにラセン階段は空の彼方へとび去ってしまった。予算百五十万円、十五年前の増築の話なのだからケタまちがいではないのである。A青年の設計では二百万円が必要だった。
二月という大工さんの暇な季節にトンカンは始まった。雪の多い年で、屋根も柱も取りこわされた裸の水道は毎朝凍りついた。店があり裏に両親の住む離れ屋がある、その中間に二階家を建てようというのだから。しかも両隣りはこぶし一つ入らぬ壁に接していた。
四苦八苦の家が建った。古い二階とつなぎ合わせて六畳四間、階下はキッチンと三畳とバス・トイレ。家具を置くとまっすぐは歩けない蟹歩きの家になったが、とにかく建った。
家というものは住んでみないとわからないものだ。二階をかぶせたばっかりに、今まで見えていた空が見えない。朝から朝まで電灯をつけっぱなしで、私は三畳の穴のもぐらになってしまったのである。夜やら昼やらわからない。その上に「風が通る道」もふさがれたことに気がついた。
三年経ち五年経ち、十年経ったころ、私は身にも心にも酸欠が限度に来たことを思い知った。光が欲しかった。わずかでも風の通る道が欲しい。巌窟王はキッチンの窓の金網をむしり取り、離れ屋にかけ渡してある波板プラスチックをめりめりと剥ぎ取った。
サーッと風が入って来て方尺ながら青空が見えた、そのうれしさ。風呂場の窓も全開にした。私は蘇生した思いだった。
ところが三日程家を留守にして戻ってみると、窓という窓は元通りふさがれて新しい金網が張ってあった。波板もしかり。私が剥ぐ、家人がふさぐ、この無言の戦さは何度くり返されたのだろう。私は、外から戻っての家の匂いまでがイヤになった。
「二階は明るいのだからそこで書け」
そうはいかない身のつらさ。もぐらの穴の三畳は家の要である。店へもキッチンへも離れ屋へもアンテナを張りめぐらせての「私の仕事」であってみれば──。
私はできるだけ光を外に求めるしかない。風とも外で逢うことにした。余談ながらA青年は縁あって私の娘と結婚したが、穴ぐらへは年に一度も足を向けたがらない。
外は晴だろうと思い死んでゆく

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