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言葉をください48
日期:2020-05-15 13:21  点击:319
一杯の珈琲から

買物にも出ず、みみずのように穴の中で物を書いているような女は「不在」なのだと思い知る今日このごろである。
あれよあれよと主婦権を失ってしまった私は、月のうちわずかな大阪ぐらしを誇大宣伝されているらしい。
主婦不在の家へは朝毎に隣家からコーヒーやジュースが届く。ガラスコップ一杯の隣人愛。おいしそうに飲んでいる夫という名の人を見ながら、この人はこの人なりに倖せなのだなと思う。その倖せを眺めている私の遠い距離を改めて思う。
それでもいくら何でもたまには返礼をと、コップと一緒に到来物の菓子などを包んで持たせるのだが、ついぞ一度も隣りの奥さんから声をかけられたことがない。留守のあいだの闇取引をどう言っていいのか相手様も困られるのであろう。私も、コーヒーの礼を言うべきか否かに迷って、お天気のことなどでごまかしてしまう。
留守のあいだ、ではないのだからいっそうややこしい。「毎朝コーヒーをすみません」と礼を言えば「おや、いらしたのですか。それならよけいなお節介でしたねえ」となるであろうし、折角のコーヒーを貰えなくなっては夫という名の人も気の毒である。
居て不在なる女は黙っているのがいちばんよいようだ。なまじっか顔を出しては近所の方たちのリズムも狂うであろう。女房に放ったらかしにされている初老の男ゆえに同情が集まっている。ちゃんと夫婦で暮らしている家へ手盆のコーヒーや一皿のサラダや巻寿しの一本が届くはずはないのだから。
日本各地から私に届けられる名産銘菓、手作りの奈良漬、味噌に至るまで、新鮮なうちにと私はご近所へ配るのだが、それすらも夫の手で持って行きたがる。何しろ彼は主婦なのだから、つきあい一切を自分でしたがるのである。男の人は無愛想だから「これを食べてください」が精いっぱいなのだろう。ご近所では、なぜあの一人ぐらしの男がいろいろな物を全国各地から貰うのかとふしぎに思い、それがまた初老の男の魅力の一つになっているらしい。
何でもいいのだ。好きなようにおやりになればいい。穴部屋へこもって聞いていると(聞こえるのだから仕方がない)実にとんちんかんなやりとりである。私が居ることを夫はひと言も隣人に言わない。「ご不自由ね」とか「お一人だからほんの一皿よ」とか言われて「いやいや十分です、いつもすみませんな」──ゴトゴトと巻寿しを切ってお茶をいれて食べている気配。外は今日も晴なのだろう。
木の根ッこ兎もともと一人ぼち
割箸で背中を掻いているわたし
次々に離婚が叶う笹の舟

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