三 太 郎 岬
青函ずいどう工事のための道を三曲がり四曲がり、そのための村、そのための学校などを横に見て岬に突きあたると急に風が強くなる。潮の匂いがきつくなる。
石ころ道の爪先登り、草薙《な》ぎの風、白いクローバー。時によろけて草に手をつきながら誰も言葉を忘れて進む。
ここは津軽半島の北端、風は一方的に海から吹き上げる。耳を削ぐ風の中にその碑はあった。海に背を向けてどっしりと在った。紛れもない師の筆でその文字は朱《あか》く、
青函ずいどう工事のための道を三曲がり四曲がり、そのための村、そのための学校などを横に見て岬に突きあたると急に風が強くなる。潮の匂いがきつくなる。
石ころ道の爪先登り、草薙《な》ぎの風、白いクローバー。時によろけて草に手をつきながら誰も言葉を忘れて進む。
ここは津軽半島の北端、風は一方的に海から吹き上げる。耳を削ぐ風の中にその碑はあった。海に背を向けてどっしりと在った。紛れもない師の筆でその文字は朱《あか》く、
龍飛岬立てば風浪四季を咬む
と読める。はめこみの錦石には川上三太郎。
「先生、来ました」
私は呆《ぼう》と立っていた。強風に少しずつ押されながら、押された分だけ前へ寄って、碑との距離を変えずに立っていた。
「先生は此処がそんなにお好きだったのか」。やむことのない風音の中で、三太郎が見つづけているものは何なのだろう。ふり向けばはるかにかすむ本州の山々。
川上三太郎は無類のさびしがりやであった。だから碑も決して山脈や空や雲を見てはいない。見ているものは人の営み、聴いているのは人の声である筈だ。そしてそれは街や村では聞くことも見ることもできない真実であろう。この岬にしてはじめて叶うこと。師はよい場所を選ばれた。
涙に気づいたのは石の裏へ廻って石に頬を当てたときであった。北風にさらされながら石は人肌のぬくみを持っていたのである。横長の厚みを持った自然石は先生の背中にちがいもなかった。
とつぜんかじわじわかよくわからない。なつかしさがからだ中にひろがって、私は目を閉じたまま師の声を聴いていた。
「さもあらばあれ雨に風に雪にひるむことなくただひとすじの道を新子よ、歩くがよい。私のように少なくとも六十年を、新子よ君は君のひとすじの道をひたすらに歩まねばならぬ。かくありてこそ君の句は光る。白金の固さと艶をもって──」
「私が死んで新子の句が私の手から放れたとき……」
処女句集『新子』の序文の一節である。雨に風に、だけでなく「雪に」ひるむことなく、と私に賜わった言葉通り、この龍飛岬に三太郎は生きて在る。あの足弱の師が足ふんばって立って在《お》わす。
私の往くべき道を今こそ私は見なければならない。私は石から身を起こした。風が私の髪を逆立てた。
「先生、来ました」
私は呆《ぼう》と立っていた。強風に少しずつ押されながら、押された分だけ前へ寄って、碑との距離を変えずに立っていた。
「先生は此処がそんなにお好きだったのか」。やむことのない風音の中で、三太郎が見つづけているものは何なのだろう。ふり向けばはるかにかすむ本州の山々。
川上三太郎は無類のさびしがりやであった。だから碑も決して山脈や空や雲を見てはいない。見ているものは人の営み、聴いているのは人の声である筈だ。そしてそれは街や村では聞くことも見ることもできない真実であろう。この岬にしてはじめて叶うこと。師はよい場所を選ばれた。
涙に気づいたのは石の裏へ廻って石に頬を当てたときであった。北風にさらされながら石は人肌のぬくみを持っていたのである。横長の厚みを持った自然石は先生の背中にちがいもなかった。
とつぜんかじわじわかよくわからない。なつかしさがからだ中にひろがって、私は目を閉じたまま師の声を聴いていた。
「さもあらばあれ雨に風に雪にひるむことなくただひとすじの道を新子よ、歩くがよい。私のように少なくとも六十年を、新子よ君は君のひとすじの道をひたすらに歩まねばならぬ。かくありてこそ君の句は光る。白金の固さと艶をもって──」
「私が死んで新子の句が私の手から放れたとき……」
処女句集『新子』の序文の一節である。雨に風に、だけでなく「雪に」ひるむことなく、と私に賜わった言葉通り、この龍飛岬に三太郎は生きて在る。あの足弱の師が足ふんばって立って在《お》わす。
私の往くべき道を今こそ私は見なければならない。私は石から身を起こした。風が私の髪を逆立てた。
泣いた目がぱらりと乾く北に月
石は男か石は女か歳月か
海に向くわれは悪よと言い切って
石は男か石は女か歳月か
海に向くわれは悪よと言い切って