また逢う日まで 北海道の旅
網走刑務所は近づくにつれてますますやさしい灯になった。私はほっとした。
網走刑務所は近づくにつれてますますやさしい灯になった。私はほっとした。
死刑囚の手記わたくしに無期の刑
人は誰しも無期の刑を背負って生きているのではあるまいか。
刑務所の人が働く農場の道は桜並木になっていて、春の華《はな》やぎを想わせる。受刑者たちもこの下で望郷の歌をうたうのだろうか。
「アバシリ」と耳にするだに暗かった印象がうそのようである。
網走で一泊したバスはまたオホーツク沿いに走りに走って、憧れの宗谷岬に着いた。雨は晴れて夕空が美しい。
「北の端に立ったのだわ!」
日本最北端を示す三角錐の塔の前で写真を撮った。髪が逆立つ風である。
バスはそこから稚内市内へ入り、急カーブをくねくねと登って見晴らしの丘に停まった。かの有名な「氷雪の門」である。
「北の島を還してください」
像は両の手を哀願の形に受けて訴えつづける。その北の島は昏れなずむ海に姿こそ見せなかったが、島と本土の相呼応する声はびんびん耳に響く思いだった。
映画に出たタロウ・ジロウの犬も待っていてくれて、皆「ほうほう」と振り返りつつ坂を降りてその日は稚内泊。
この小さな昔の木賃宿風の旅館が今回の旅の圧巻だったのは皮肉である。
阿寒はふつうのホテル。網走は喧噪《けんそう》はなはだしい観光旅館。そしてこの稚内は木賃宿に分宿といったあんばいのバラエティーがたのしい。稚内の宿は四畳半か六畳ごとに襖《ふすま》で区切ってあって、窓を開ければ潮の香ふんぷん。正に、流れ流れて北の果てといった感じ。そして、何よりもとれとれの海の幸がうれしいのである。ホテル、ホテルにうんざりの私はここに来てやっと北の宿に枕した思いだった。
稚内の夜が明けると人々の顔に早くも帰心が兆しているのにおどろいた。
ここからは帰路になるのだが、最後の宿が札幌とあって、もう半分帰った気持ちなのであろう。
バスはサロベツ原野、留萌、滝川と、次第に人家を増やしながら、大都会札幌に入る。
スレート葺《ぶき》の屋根の多彩なこと。そして各戸の煙突が北海道を思わせるだけで、都会のビルはいずこも同じ。車の洪水も全国同じ。
カニ食いに走る人、ラーメンへ連なる人、北海道さいごの夜はいつ果てるともしれぬ大さよならパーティーであった。
さようなら北海道よ。
きっとまた来ます。元気でお元気で。
刑務所の人が働く農場の道は桜並木になっていて、春の華《はな》やぎを想わせる。受刑者たちもこの下で望郷の歌をうたうのだろうか。
「アバシリ」と耳にするだに暗かった印象がうそのようである。
網走で一泊したバスはまたオホーツク沿いに走りに走って、憧れの宗谷岬に着いた。雨は晴れて夕空が美しい。
「北の端に立ったのだわ!」
日本最北端を示す三角錐の塔の前で写真を撮った。髪が逆立つ風である。
バスはそこから稚内市内へ入り、急カーブをくねくねと登って見晴らしの丘に停まった。かの有名な「氷雪の門」である。
「北の島を還してください」
像は両の手を哀願の形に受けて訴えつづける。その北の島は昏れなずむ海に姿こそ見せなかったが、島と本土の相呼応する声はびんびん耳に響く思いだった。
映画に出たタロウ・ジロウの犬も待っていてくれて、皆「ほうほう」と振り返りつつ坂を降りてその日は稚内泊。
この小さな昔の木賃宿風の旅館が今回の旅の圧巻だったのは皮肉である。
阿寒はふつうのホテル。網走は喧噪《けんそう》はなはだしい観光旅館。そしてこの稚内は木賃宿に分宿といったあんばいのバラエティーがたのしい。稚内の宿は四畳半か六畳ごとに襖《ふすま》で区切ってあって、窓を開ければ潮の香ふんぷん。正に、流れ流れて北の果てといった感じ。そして、何よりもとれとれの海の幸がうれしいのである。ホテル、ホテルにうんざりの私はここに来てやっと北の宿に枕した思いだった。
稚内の夜が明けると人々の顔に早くも帰心が兆しているのにおどろいた。
ここからは帰路になるのだが、最後の宿が札幌とあって、もう半分帰った気持ちなのであろう。
バスはサロベツ原野、留萌、滝川と、次第に人家を増やしながら、大都会札幌に入る。
スレート葺《ぶき》の屋根の多彩なこと。そして各戸の煙突が北海道を思わせるだけで、都会のビルはいずこも同じ。車の洪水も全国同じ。
カニ食いに走る人、ラーメンへ連なる人、北海道さいごの夜はいつ果てるともしれぬ大さよならパーティーであった。
さようなら北海道よ。
きっとまた来ます。元気でお元気で。