闘いとして次々に産む蛭子
イザナミとイザナギが最初に生んだ子供である「蛭子」。かたちのないどろどろとした奇形児であったため、海へと流されたという。ここでは語り手はその「蛭子」を「次々に産む」。しかもそれは「闘いとして」だというのだ。ここに込められているのは、あやふやな〈正常〉という基準への攻撃的なまでの違和感である。女性の身体性に引きつけられて、あるいはそれを起点として書かれていて、批評性という言葉で表すにはあまりにも直接的で痛ましいイメージではある。ただしこの句には、不思議にあっけらかんと明るいところもあるように感じる。蛭子の名に「日」や「昼」を読みとる説もあるという。今はまだ「闘い」であるが、身体性や生の解放が夢見られているのかも知れない。