大鍋も蟹も無力で陽が沈む
詩歌のひとつの常道として、大には小を、重には軽を合わせる行き方がある。同じ傾向の要素を重ねては足がそろってしまい、詩的な可能性が開かれない場合が多いからだ。川柳にはそれとは逆に、同じ傾向をこれでもかと重ねることで行き着くところまで行ってしまうパターンがある。5の「愚直な斧」の句もそうだが、この句も同タイプだと言ってよいだろう。重ねて表現された「無力」さは、句の締めによっても救われることはなく、より深く圧しつけられる。ある種の諦念ととれば、読み手としては安心できるかもしれない。が、句によって剥きだしにされているのは在ることそのものの重みといったもので、読み手としてはそれに圧倒されるよりほかない。