弥生美術館
表参道から千代田線に乗り、根津駅で降りれば言問通り。真っ直ぐに東京大学を目指して緩やかな坂道を上る。大学の塀越しに細い道路を左に折れると、東大弥生門前。閑静な住宅街にひっそりと、その私設美術館はありました。東京を訪れると必ず立ち寄る小さな美術館、高畠華宵終焉の地に設けられた弥生美術館は、華宵の熱烈なファンであり擁護者であった弁護士の鹿野琢見氏によって収集されたコレクションを中心に、様々な企画展が催されているのです。華宵を始め、中原淳一、蕗谷虹児、伊藤彦造や山口将吉郎という大正から昭和にかけての挿絵画家を採り上げる乙女のサブカルチャー的資料館の展示が、その挿絵という性質上、ある種の重厚さに欠けるのはいたしかたないことでしょう。それでも飽かずに僕がここを訪れるのは、館内を充たす「大正ロマン的なるもの」への切ないまでの慈しみの心地よさ故なのです。
入口でスリッパに履き替え(この辺りが私設らしくて素敵です)、三階建ての展示室を散歩します。熱心に見入るというのではなく、『日本少年』や『少女画報』の収められた硝子ケースの間を行き交いながら、遥か昔の抒情を透かしみる透明な空気を吸い込めば、憂いを浮かべたみつあみの少女の心情が身体に浸透してくるような錯覚に襲われます。そう、ここは乙女の為のサンクチュアリなのかもしれません。もはや華宵の描く怜悧《れいり》な貴婦人も、淳一の生んだ利発そうな少女も、窓辺で溜息をつきはしません。当時の読者達より、僕達と過去の印刷物の中に刷り込まれし彼女達との距離は、憧れよりも遥かに遠い。まるきり抽象と化したマヌカン達に懐かしさを感じることもない僕達は、色褪せた古い子供雑誌の中に空虚なロマンチシズムを見つけます。眼を細め、水晶の中に宿る光の行方を確かめるようにしつつ。
二階の渡り廊下を伝って、隣の竹久夢二美術館に廻ります。夢二作詞の『宵待草』が流れています。帰りには入口横のコーナーで華宵の復刻便箋を買いましょう。この便箋は来る度に購入し、大切な人にしか使わないことに決めているのです。また便箋がきれかけた頃、僕はここを訪れることでしょう。帰り道、不忍通りに至るまでのパスタ屋さんに入ってみればことのほか美味しく、「ごきげんよう」と軽やかに別れを告げて、僕はこの日、根津の地を後にしたのでした。