恋愛に優しいサイコロジー
「理想の男性はハンサムで背が高くてスマートで、お金持ちで包容力があって私だけを愛してくれる優しい人」と云っていた人が、いざとなるとハンサムでも背が高くもスマートでもなく、おまけにさほどお金持ちでもなく包容力もありそうにない人と結婚したりなさいます。彼女達は口を揃えてこう云います。「タイプじゃなかったんだけど、彼、とても優しかったから」。嗚呼、何と愚かしい台詞でしょう。彼女達は自分が高邁《こうまい》な理想に破れ、安易な妥協を選択したことを認めようとはせず、「優しさ」という免罪符の下に全てを正当化しようとするのです(男性も同様ですが……)。
一体、好きな女のコに対して優しくない男のコなんて存在するのでしょうか。どれだけ無能な男のコだって、優しさくらいは溢れんばかりに持っているものです。逆にいえば無能な男のコは「優しさ」を武器にするより術を持たず、「彼の長所は優しさです」と紹介される男のコは、それ即ち無能ということに他なりません。「彼、優しいから」と言訳するくらいなら、潔く「私は理想に破れ、優しさしか取柄のないこんなカスを選んでしまいました。無念です」と、敗北宣言するべきでしょう。本来の欲望を糊塗《こと》して互いに妥協し、まるで傷を舐めあうように寄り添うカップルの醜悪さは、この世の大罪です。「地球に優しく」するのはエコロジー運動ですが、自然は僕達に余り優しくありません。だからこそ、自然は素晴らしいのです。火山は噴火し、津波は荒れ狂う。その意地悪な姿は実に魅力的であり、服従への好奇心を喚起させます。おだやかな湖でも落ちれば溺れるし、涼しげな風は病原菌を運びます。優しさの欠片さえもありはしません。
僕達はたとえ傲慢だと罵られようが、理想の恋人と理想の結婚をしなければなりません。理想を忘れた恋愛感情は、只の性欲です。「優しさ」は未来への前進も進化も拒否します。「優しさ」は現状を維持しようとする保守的な恐怖心を内包します。互いに気の抜けない丁々発止の恋愛こそが、恋愛を文化へと昇華させます。故に恋愛は文学となり音楽となり、僕達を感動へと誘うのです。恋愛に安らぎなんて求めてはなりません。さあ、闘うのです。何となく押し切られて始まった安易な恋愛を捨て去り、叶わぬ怒濤の恋愛へと戦車の如く突き進むのです。貴方の夢みるハンサムで背が高くてスマートで、お金持ちで包容力があって貴方だけを愛してくれて、ついでに優しさも若干持った王子様は、深い森の向こうで貴方が来るのを待ちあぐねている筈です。