有元利夫──メビウスのロンド
僕達の生まれた国には奥行きがありませんでした。空は月の上で終わり、ちぎれた雲は同じ高さを循環し、時間すらないのでした。三次元でさえない世界に、時間は不必要だったからです。世界には一人の女が住んでいました。女は木製人形のようで、時折箱を開いては中の光を眺め、地面に円を描き、トランプや球を宙に浮かせながら暮らしていました。世界とはそれ以上でもそれ以下でもありませんでした──。
確かに美術史的な見地からすれば、有元利夫は二流の作家なのかもしれません。シュルレアリズムやイコンの剽窃《ひようせつ》で組み合わされたモチーフ。しかし、それこそが彼を完全なる趣味性のスタイリッシュな唯美主義作家たらしめたのでしょう。コンセプトの妙を競いあう現代美術にはうんざりです。新しいこと、オリジナルであることがそんなに大切なことでしょうか。芸術に進歩や真実の探究なんて必要ないのです。有元利夫はバロック音楽を愛し、神秘主義を愛し、術を愛しました。様式化された永久運動のメビウスの宇宙。決して何処へも絡がらない出口なき精神の遊戯。そこにはノスタルジアという安易な逃走では辿り着くことが出来ない、過去への片道切符の意志がありました。彼はマクロに伸びる光が差し込む窓を漆喰で塗り込めてしまいました。あたかも自ら砕いた顔料でキャンバスを丁寧に何度も重ね塗りするかのように……。彼が三八歳の若さで死去したのもそんなことが理由であるような気さえします。
久し振りの回顧展が催されたので、最終日に足を運びました。『ロンド』、『一人の夜』の前に長く佇みます。死んだ作家の展覧会に新作は出てきません。その当り前のことが、彼の場合は何故か嬉しく思えます。作家は少数の優れた作品さえ遺せばそれでいいのです。彼はきっとそんなことも知っていたのでしょう。繰り返される空と雲と女と花吹雪は、それを物語っています。神なきイコン。一見宗教画を想わせる彼の絵の中に、神はいません。スクエアの中に終結する二次元宇宙は幾何学のポエジーが定理を示してくれるのですから、未知を司る神など関係ないのです。小さな荒削りの塑像に眼が止まりました。『古風な女』。なんて素敵なタイトルでしょう。