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正しい乙女になるために43
日期:2020-10-28 18:29  点击:266
 ライオンは起きている
 
 先日東京に行った際、初めて名曲喫茶の殿堂「ライオン」に入りました。渋谷の表通りを脇にそれると辺りはとたんにうらぶれ、小路を少し歩けばまるで閉店した安酒場のような、これがクラシックファンに名を轟《とどろ》かせる歴史的有名店かと思う程に殺伐とした店構えの前に出ます。木製の扉を押して中に入ると、外は明るい日曜日の昼だというのにひんやりと湿り、薄暗く、生気の失せた人を寄せつけない雰囲気が全身を刺します。スピーカー側に向かって据えつけられた二人掛けのテーブル席。スピーカーとプレーヤーはまるで祭壇のように厳かに、そして権威的に中央の壁に鎮座します。流れるはバッハの「マタイ受難曲」。嗚呼、何とこの場にふさわしい選曲でしょう。衣擦れの音を気遣いながら、僕は小さな声でコーヒーを注文します。
 ウエイターが小さなパンフレットをくれました。「皆様のライオンは最良の『コンデンサー』音響装置で輸入盤のステレオ・レコードを演奏いたしております」と時代遅れの名文に、「真の Hi-Fi」「立体音響」と高らかなコピーが添えられ、更に「全館各階ステレオ音響完備。帝都随一を誇る」と威張られてしまいます。やはり名曲喫茶はこうでなくっちゃいけません。クラシックは高尚かつ権威的でなければなりません。親しみやすいクラシックなんて必要ないのです。背筋を伸ばし、こめかみを軽く指で押さえたりして、天地を揺るがすキリストの奇蹟に想いをはせながら、愚かな人民の大量虐殺を夢想しながら、ルートヴィヒ二世にでも、デスラー総統にでもなったかのような選民意識に身を委ねる。それがクラシックの正しい鑑賞方法であり鑑賞の快感なのです。
 中年の婦人が二人、何を間違ったか迷い込んできました。居心地悪そうに回りを見渡していましたが、やがてそんな殊勝な気持ちも忘れて話に興じ始めます。「すいません、もっと静かに音楽が聴きたいんですけど」、首をうなだれながら音を追っていた白髪の紳士客が、丁寧な言葉遣いでぴしゃりといい放ちます。一瞬店内に冷笑が満ち、注意を受けた婦人達はいたたまれなさに身を小さくいたします。素晴らしき哉、ライオン。流石は帝都随一の奢り高き名曲喫茶。我等がライオンよ、永遠なれ!

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