無 題
僕達は残酷を愛さねばなりません。そう、この世界は柔らかなもので満ち溢れているから、素肌にそのまま纏えばもうその絹の感触を手放せなくなってしまうから、僕達はいつでもそれを捨て去ることが出来るよう訓練しておかねばならぬのです。嗚呼、君を絶望の果てに追いやりながらも、それでもまだ僕は自身をいたわり続けている。己を蔑み嘔吐しつつ、それでも小賢しく明日を夢みる。フロイトは生の根源を性欲と定義いたしましたが、それは間違い。生の根源は飽くなきナルシシズムにあるのです。愛する者がいなくなった時、ねぇ、一体何を憐れんで涙を流したのでしょう。その人のことを想いながら、頭を地になすりつけ気が触れんばかりに赦しを乞いつつ、救われたいのは自分自身。忌まわしき生存本能よ。たとえこの身を自らの手で葬りさったとしても、お前は真っ赤な舌を出す。恥じるがいい、ナイーヴと讃えられることを。獣のタフな筋肉の思考にのみ狭き門は開かれるのです。
涙が人の為に流されないのなら、僕達は泣いたぶんだけ自分を嘲《あざけ》らねばなりません。それが最低の礼節というもの。花のさかりに死んだ人の上に墓石をのせぬと誓ったその舌の根の乾かぬうちに、初恋を謳歌する者に悲劇はありえぬ。情熱はコントにしかなりませぬ。〈愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません。……ハイ、ではみなさん、ハイ、ご一緒に──テムポ正しく、握手をしませう。〉
大切なもの程ゴルゴタの丘で茨の冠を被せ罵倒する。ナルシシズムはカリカチュアされることでしか美しくなれません。カリカチュアするのがどうしても叶わぬほど柔らかなものがあるのなら、それは決して誰にも気づかれてはならないのです。隠しておかねばならないのです。永遠を口ずさみつつこの手で捨てた幾つかの永遠を、センチメンタルに語る嫌らしさだけは持ちたくありません。僕達には同情する権利がない。ロマンチシズムにその身を捧げたのなら、ナルシシズムの檻で厚顔な遊戯を続けるというのなら、鞭と嘲笑を自らにそして世界に浴びせ、痙攣《けいれん》的なアクロバットを繰り返すことだけが唯一の術《すべ》なのです。残酷の肌を刺す淋しさのみが僕達を気高く屹立《きつりつ》させるのです。
──しかし、何故、切なさをこれほどまでに繰り返さねばならぬのか。