八〇年代世界一周旅行
先日ズボン(パンツではなくズボン。前者は英語で後者はおフランス語、なのに何時からパンツが格好良くなったのかしらん)を裾上げに出したら、普通よりちょっとだけ丈を短く指定したつもりがすっかり七分丈、周りからはさんざん罵倒されましたが計算違いとはいえ悲しくない、だって詰め過ぎた裾は八〇年代、ニューウェイビーの基本なのですもの。
ビバ、八〇年代! モードの潮流が五〇年代から七〇年代までを飽きることなく彷徨《さまよ》おうとも、やっぱり素晴らしきは八〇年代。時代遅れと申されようが、過去への固執と笑われようが、手先のすっぽり隠れる大きめのシャツ、地面を引き摺る祖父の箪笥から引っ張り出してきた外套、ダサダサの黒縁眼鏡、刈り上げ、カラス族、COMME des GARCONS、Yohji-Yamamoto、文化屋雑貨、SHIN & COMPANY ……。これらに勝るものはございませぬ。『アンチ・オイディプス』を小脇に抱え、「蘇州夜曲」を口ずさみつつコピーライターや人類学者をアイドルのように追い掛けた浅はかな日々。嗚呼しかし、そこには確かに一つのパラダイムの転換(笑)が存在したのでした。
たとえばそれはエリック・サティの復権。ラジオから流れ出る音楽の全てが飢えた牝猫のように恋愛を歌い続けることに辟易となっていた頃、家具の音楽に出逢えた悦びを僕は今でも忘れはしません。たとえばそれは根暗ブーム。スポーツが出来る不良の汗臭さが正義である歴史の楔《くさび》を絶ち切り、お勉強の適当に出来るヘンタイよいこの不健全さに価値を与えて頂いたことは、我が生涯のうちで最も幸運な出来事であったといえるでしょう。八〇年代の思想が衰退していき、街がまた熱くつまらない恋愛歌ばかりで埋め尽くされた時、僕はこの世をどれほど憾《うら》んだことか。
思えばそれは「少女」の思想であったのです。現状を打破する理想も気力もなく、個人の嗜好だけに価値をおき、隙間と隙間をしたたかに瞬間移動する都市の野性、絶望のオプチミズムがソリッドに揺らめいていた蜃気楼のようなネオ・ロココ時代。炭酸のようにはじけて消えゆく刹那主義。テーゼもアンチテーゼもなくガジェットだけが真実であった季節。深刻ぶることで安住する先祖返りの九〇年代なんて僕は大嫌いです。さぁ、『月光』でも読みながらペンギンごはんを食べませう。