春の病と盆栽少女
だって、春だから仕方がないのです。一体何が気に入らないのか、何がこんなにも心を塞《ふさ》がせるのか、それは君自身にさえ皆目見当がつかないのです。辛い訳でも悲しい訳でもないのに、心は何かを憂いている。いえ、憂いというより何だか恐いのです。何が恐いのかは解りません。只、たまらなく不安なのです。ですから、電話にも出られない。ずっと前から約束していたにも拘らず、外に出る気力がどうしても捻出出来ず、着替えはしたもののそのままベッドの上で時間が経つのをじっと眺めている。悪気はないのです。深く深く、申し訳ないと思っているのです。それなのに、どうしても駄目なのです。
君自身が一番、君のそんな性情を腹立たしく思っているのです。自己嫌悪の海で溺れてしまいそうなのです。それなのに、皆は君のことを我儘だと非難いたします。気紛れなのだと責めます。非道い人になると、君がわざとそんなキャラクターを演じ、周囲を振り回して愉しんでいるのだと推察するのです。君はいい返す術を知りません。けれども、けれども、少しばかりは解って欲しいと切望するのです。自分はこんな資質を改善したく思っていることを。このままではいけないと思っていることを。自己肯定なんてこれっぽっちもしていないことを。
ねぇ、君。もう泣かないで下さい。君はちっとも悪くはないのです。君は春の病に罹《かか》っているだけなのですから。そしてその病は君が生まれつきのもので、努力すれば少しはマシになるやもしれませんが、決して完治するものではないのです。ええ、諦めが肝心です。持病は長いおつきあい、君は君の病を可愛がってあげればよいのです。誰に迷惑をかけようが気にしちゃいけません。世界は皆、歪んでいるでしょ。でも、歪んでいるからこそ素敵なのでしょ。音が歪めば音楽になり、形が歪めば美術になりますでしょ。大切なことは、どれだけ美しく歪めるかということなのです(つまりは盆栽)。醜悪な歪み方をしてはいけません。君は今のまますこやかに歪んで行けばそれでよいのです。
嗚呼、春の病を持つ人よ。僕は病に苦しむ君の蒼白さと真っ赤な喀血《かつけつ》を愛しております。箱庭の宇宙を持つ者だけが盆栽として唯美の存在を全う出来る。安心して益々病み給え。決して僕は君を見限りやしません。