歪みの構造──ディストーションと増幅
どうして馬鹿程フリルのついた、着れば葉牡丹のお化けのようになってしまうお洋服が好きなのか、一行ずつ辞書をひきながら読んでもよく解らないペダンチックな悪筆の小栗虫太郎が好きなのか、ウルトラ・バロックといわれる出鱈目なメキシコの教会美術が好きなのか、どうせならと一番大きな抱えきれぬキティちゃんのぬいぐるみを買ってしまうのか、香りがきつ過ぎて自分で吐気を催してしまうくらい香水をつけ過ぎてしまうのか、ええ、その理由がようやく解りました。
誰だって多少なりとも歪んでいるのです。その歪み方こそが謎を解く鍵。渋谷系とか申される昨今の人達の美意識は、かなり歪んでいらっしゃいますでしょ。自分の好きなものをなかなか素直に好きとはいわず、幾重にも加工した上で、照れながら「悪くない」なんておっしゃる。気持ちは解らぬでもありませんが、僕にはどうもいただけない。そのような歪みは嫌らしいと感じてしまうのです。そのテの歪みはエフェクトにたとえるならディストーション。僕の抱える歪みはもっと素直です。僕の歪みは増幅による歪み。大好きな人と約束をして、約束の時間にはちゃんと間に合うように用意出来ているのに、自分が舞い上がっていることを相手に悟られるのが恥ずかしくて故意に約束の時間に遅れる、というパターンがディストーションの歪みです。一方、約束の時間までに用意は万全、でも嬉し過ぎてドキドキして、一週間前から決めていた服を着てみたものの、もしかするとあっちのほうがいいかも、この髪形じゃ嫌われるかもと冷静さを失ってしまい、結局泣きべそをかきながら何度も着替えを繰り返すうちに、時間に遅れてしまうというのが増幅系の歪みなのです。増幅系の歪みに支配される者は、バレンタインデイについ一キロもあるチョコを作ってしまったり、毎日何枚もの手紙を送りつけてしまったりして、相手に気持ち悪がられてしまいます。要するにバランス感覚が悪いのです。ディストーション系の人はその歪みにより過剰なものを平均値へとバランスよく収拾いたします。
何度辛い想いをしても、増幅系の歪みは治りません。けれど、考えようによってはこちらの歪みのほうが策を弄《ろう》してない分、爽やかだとは思われませんこと? 思われませんよねぇ。生き辛い世の中です。