頭 髪
二十七、八歳をすぎた女性に久しぶりに会うたびに、私が口に出す言葉がある。
「おや、驚いた。眼のあたりに……烏《からす》の足跡ができましたね」
と、十人のうち、十人とも嫌な顔をする。嫌な顔をしたって、もう、かまわない。どうせ、この年になると、どんな女も相手にしてくれないのである。
女性にむかって眼尻に烏の足跡ができたという自分の心の裏には、こっちも頭の毛が薄くなってきたというおアイコの感情がある。そして薄くなった頭は現代医学ではどうにも恢復できないという哀しい諦めもある。
考えてみると、もう十年前、わが頭髪のうすくなったことに気づいて愕然としてから、出来るかぎりの手を尽したものだ。養毛剤といわれるものもアレコレ使ってみた。散髪屋にいって卵の黄身で頭も洗ってもらった。しかし何をやっても効果なし。無駄。
すると、今度は同年輩の連中の髪の濃さが妙に気になりはじめた。同じ年頃なのにまだフサフサと髪のある奴はどうも気にくわない。自分より薄くなった男には何とも言えぬ懐かしさを感じる。
理髪店に行くと、この理髪店にはどんな芸能人や俳優が来るかと、それとなくたずねる。そしてその店を利用している芸能人のなかで髪うすき二枚目が、二枚目を維持するため、どんな工作をしているのか、ひそかに主人からききだす。
その結果、俳優のT氏はカツラを使っていること、音楽家で二枚目のA氏も頭の天辺が露出しかかっているのでカメラの位置に気をくばっていることなどを知った。皆、泪ぐましい努力をしているのだ。
だが時折、そんな自分が——つまり髪のうすさに拘泥する自分が甚だ情けなくなる。男子一匹、たかが頭髪のことに心を悩ますなど、まったく意気地ない話ではないか。
その頃のことである。ある日、タクシーに乗って運転手氏と世間話をしていた時、面白い身の上話を聞いた。
「わたしはねえ、恥ずかしい話だが」
とその中年の運転手氏は急にしゃべりはじめた。
「十五年ほど前、今の女房をもらったんですがね。自分の口から言うのも何だが、山本富士子に似たかなりの別嬪でね。自分でもこんな女を女房にしたのが得意なくらいでしたよ」
なるほど、なるほど、そりゃ結構だったじゃないかと言いながら、私は心中、いい歳をして何をノロケてやがると思った。だがこの運転手氏の話はノロケ話ではなかったのである。
「ところが旦那。結婚して十年目ぐらいに突然、女房にびっくりするようなことが起ってね」
ある日、彼の細君の鼻から頬にかけてが、お椀をかぶせたように腫れあがったのである。疔《ちよう》か。瘡《そう》か。はたまた悪性の腫物か。亭主である運転手氏は仰天したが、細君の意外な告白をきいて、更にびっくりしてしまった。
「女房の言うには、わたし、あなたを十五年間ダマしてすみませんでした。わたし、結婚前に自分の鼻が獅子鼻なので、整形手術をしたんです。その手術の時、鼻のなかに入れたものが、今頃になって炎症を起したんです。ダマしてすみませんでした」
今更、文句を言うわけにもいかない。女房は運転手氏につれられて、ふたたび病院に行き鼻に入れた異物をとってもらった。退院してきた時、山本富士子に一寸似ていた彼女の顔はあわれや元の獅子っ鼻に戻っていた。
「それで、どうしました。別れましたか」
私は甚だしく好奇心にかられてたずねた。
「いや、かえってウマく行ってますよ。これが俺の女房の素顔だと思うと、そのほうが気が楽になったね」
運転手氏の最後の言葉はジンときた。その日から私もおのが頭髪の薄くなったことを気にしないようにしたのである。