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ぐうたら人間学02
日期:2020-10-31 19:24  点击:272
 迷編集長と迷編集者
 
 三年前、『三田文学』という雑誌の編集長を一年間だけやったことがある。『三田文学』は周知のように慶応義塾をバックにした永井荷風以来の伝統のある雑誌だが、何度も何度も廃刊と復刊をつづけたものの、このところパッとしない状態にあった。憂慮された先輩たちが色々と考えられた末、遠藤、お前、責任をもってやってみろと言われたのだった。
 一年間だけ、という約束で引きうけたものの、編集長などとは名ばかりで第一、部下になる編集員がいない。それに私自身、雑誌編集の経験がない。編集のやり方はある有能な先輩に教えてもらうことにしたが肝心の手足になる部下がいなくてはどうにもならぬ。
 仕方なく三田の大学から、五人の若い学生に手伝ってもらうことにしたが、この後輩たちも割りつけ、校正はもちろん御存知ないし、文学とは縁の遠そうな顔をした連中である。編集長もズブの素人なら、部下もズブの素人。しかし目標は沈滞した『三田文学』の名をふたたび世間に知らせるというのだから随分、心臓のつよい話だった。
 私は学生たちにこう宣言した。
「俺も君たちも雑誌のつくり方は何も知らん。だがいわゆる大雑誌は戦艦や航空母艦と同じで大型だが小マワリがきかぬ。こちらは小型だが小マワリがきく筈だ。その小マワリを最大に生かそう」
 そう言ったものの何が小マワリか、自分でもよくわからない。しかし自信のある顔を学生にはせねばならぬのが迷編集長の辛いところだった。
 私の部下となった五人の学生のなかに気の弱そうな、オドオドしたTという男がいた。私は彼に自信をもたせたいと思い、A氏という癇癪持ちの評論家のところに原稿をたのみに行かせた。
 ところがこの学生は近頃の若い世代にありがちな世間知らずなのか前もってA氏の御都合もうかがわずにノコノコと早朝、氏のお宅の玄関を叩いたのである。
 礼儀作法にキビシいA氏はこの無礼に顔を赤くして怒られた。お怒りになるのは無理もない。何の予告もなしに突然、自宅にやってきて、原稿を書いてくれと言われれば、カッとなさるのは当然である。
「君はだれだ」
「ミ、ミタ文学の者です」
 気の弱いTはA氏の怒ったお顔を見ただけで、もうすっかり狼狽し、混乱してしまった。
「ミタ文学か、ヨタ文学か知らんが、前から[#「前から」に傍点]、何故、電話をしない」
「失礼しましたア」
 Tは悲鳴のような声をあげて一礼すると脱兎のようにA氏の家から走り出た。
 そして——
 そして現代の若者の無礼に腹をたてておられるA氏の家に、五分後に電話をかけたのである。
「ぼく、前から[#「前から」に傍点]、電話してます」
「なに」
「前の米屋さんから電話しています。だから原稿お願いしますッ」
 A氏はあまりのことに笑いだしてしまわれた。Tが冗談ではなく、本気で前から[#「前から」に傍点]電話していると思いこんでいるのが、その声でアリアリとわかったからだ。
「いいよ。いいよ。書くよ。書くよ」
 A氏はつかれたような情けないような声でそう承諾された。
 Tは自分が怪我の功名だったことにその日一日、気づかなかった。私は彼の報告をうけて爆笑したが、ムツかしいA氏の原稿をもらえたのは、たしかにTの思いちがいの結果にちがいない。
『三田文学』のその号は売り切れだった。A氏の人情味ある執筆承諾がその原因の一つだったことは言うまでもない。

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