ガスは正しく使いましょう
この間、私の大学時代の先輩が盲腸炎にかかって手術をした。
早速、見舞いに行くと、先輩は手術を終えたわりには意外に血色のいい顔で寝ていたが、
「まア、聞いてくれや」
私の顔を見ると言った。
「俺がなぜ、盲腸炎になったか、知っているか」
「いえ、わかりません」
「実はな、年末に知りあいの若い夫婦二組と年甲斐もなくスキーに出かけたんや」
一昨年からよせばよいのに若い者にまじってスキーを始めたこの先輩は今年も二十代の若者夫婦と一緒に草津のほうに滑りにいった。
スキー場ではとも角、宿に戻ると若者夫婦の二組はベタベタとする。「ムネヤ」などと新妻が亭主の名を猫のように甘ったれて呼ぶ。先輩にはそれが気にくわない。ヤケ酒を飲んで、
「もう寝よう」
と言うことになったが、スキー場の宿は雑魚寝でこの若者夫婦二組と一緒に枕を並べることになった。
「諸君」
寝巻に着かえてから先輩は彼等に断った。
「はなはだ、失礼だが、私は夜間、布団のなかで大きなオナラをすることがある。もし左様な事態となった時、無礼をおゆるし頂きたい」
しかし新妻たちはゲンナリした顔をして、
「イヤだなあ。そんなの」
と溜息をついた。
溜息をつかれて見ると、心のなかで出もの、はれもの、所きらわずと呟いても、何となく遠慮がちな気分になる。そのまま寝床に入って夜半、眼がさめた。
眼がさめたのは言うまでもない。オナラをしたい衝動にかられたからである。
これが我が家ならば細君が横にいようがいまいが思い切り、豪快なのを一発ぶちかますところだが、他人の夫婦二組のいるところでは何となく気がひける。まして、
「イヤだなあ。そんなの」
と言われた手前、衝動にまかせて自由に放屁できない気持だった。
可哀相に——この先輩は我慢した。我慢すればするほど、腹はふくれて耐えがたい。
そっと、かすかに出してみた。しかし、それで腹中の痛みが去ったわけではない。一晩放屁を我慢してまんじりともせず、夜をあかした。
「それで、帰京したら翌々日から盲腸が痛みはじめたんや」
先輩は情けない顔をしてそう告白した。ガスの圧力はこわい。腹中のガスは盲腸を圧迫し、それをねじまげ、炎症を起させたのだ。
「ガスを馬鹿にしてはいけませんぜ、先輩」
と私は忠告した。
私は自分で運転しないで秘書にやってもらっている。時々、居眠りをしていると、突然、車のスピードがガクンと増し、その直後、車内がプーンと臭くなることがある。私はこの現象をこう思う。私が居眠りをしているのをいいことに、秘書が音なしの屁をポンポンとやったのだ。ロケットの原理で、車はそのポンポン・ガスで速度を一時的にます。しかし臭いは車内に残る。ガスはおそろしいとそんな時、つくづく思う。