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ぐうたら人間学14
日期:2020-10-31 19:35  点击:227
 夫婦愛こまやかな
 
返す/″\下《しも》くだしを指し候て少し大便 おり候ように致したく候。ただし大便いく日《か》ほどおり候や、目出たき左右《そう》待ち申し候……大便に少しおり候わばよく候わん。下くだし、少し指し候わんや。かしく
[#ここで字下げ終わり]
 
 これは秀吉が天正十三年の頃、妻のねね[#「ねね」に傍点]に送った手紙である。ねね[#「ねね」に傍点]というのは、この前、信長が秀吉の夫婦喧嘩の仲裁に入って手紙を書いたその当人である。
 文中の下くだし[#「下くだし」に傍点]とは何か。言うまでもなく下剤のことだ。秀吉が妻の便秘を心配して下くだしをもっと使えと遠くから書いた手紙で、私は亭主が女房に送った手紙のなかでも、最も情愛こまやかなものとして第一等だと思うのである。我々ならば、カミさんが糞づまりになっても知らぬ顔。旅行さきから秀吉のように「下剤を使って、少しウンコが出るようにしなさい。ウンコが少し出れば良くなるぞ。かしく」
 などという手紙などアホ臭くて、とても出せるものではない。
 ねね[#「ねね」に傍点]は秀吉の死後も諸将が慕うほどの心がけよき婦人だったらしいが、悲しや、便秘に苦しんでいたことは、計らずもこの秀吉の手紙で発見されたのである。(ヤハリ学問研究ハ大切ダ)ねね[#「ねね」に傍点]のように便秘にくるしむ女性はかなり多い。私も知っている女優さんなどで、少し痩せがたの人に、
「あなたは、ロケなどに出られると、便秘で悩むでしょう」
 と言うと、たいてい顔を赤らめて、
「ええ」
 とうなずく。
 ひどい女性になると三日も四日も便の出ない人がいるそうだ。そういう女性に出会うと、私は昔、若い頃は、いかに美貌の人でもお腹のあたりがマックロに糞だらけのような気がしてゲンナリしたものであるが、今は少しは人生がわかってきたのか、それもよしよし[#「よしよし」に傍点]という心境になってきた。
 フロイトの説によるとケチは便秘症だそうだ。(断っておくが、逆は必ずしも真ならず、便秘症、必ずしもケチではない)それはケチな女性ほど、自分の所有物を、手ばなしたくないという無意識の本能があり、自らのウンコまで体外に出したがらないからである。便秘症の女の五十パーセントはケチだから、こういう女性と交際しても、決して自分のハンドバッグから財布をだして、こちらに酒をのませてくれるということはない。
 しかし糞づまりというのは実にくるしいものだ。
 終戦後まもなく、東京八重洲口にあった公衆トイレに入っていたら、隣から、猛獣映画の夜の録音のようなうなり声が聞えてきた。その男は私がいるのを知らず、自分一人だけだと思って声をだしたのであろうが、いや、はや、呻くような、唸るような声で、揚句の果て、壁を叩いているのである。横で聞いている私もきがきではなく、ひたすら、彼[#「彼」に傍点]の御安産を祈っていたのであるが、やがて遂に御出産らしい悦ばしい音がきこえた。
 どういう御仁かと先に出て、手を洗っていると、なんと、ドアを開けて出てきたのは男ではなく、モンペをはいた妙齢の女性だった。非常にスマして、全く何もなかったように立ち去っていった。これだから女はおそろしい。
 秀吉のことを書いていたら、また話がおちてしまったな。水は低きにおのずと流れると言うが、全く身の不徳の至すところ情けない話である。今後二度と品のない話は書かない。お許しをこう次第だ。

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