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ぐうたら人間学16
日期:2020-10-31 19:36  点击:246
 鬼の眼にも泪
 
 今の若い人には一生、忘れられない思い出の映画などありえないのかもしれない。あの年、あの映画を見たという記憶がその後も何時までも残るというようなことはありえないのかもしれない。
 だが私のような年代の者にとっては戦争中の暗い日々に見た映画、戦争のあとにすべてが解放されたような気分で見た映画の一つ一つが、まるで自分の精神年齢という樹木の年輪を示すもののように心に甦ってくるのである。
 安岡章太郎という作家と一緒に飲んでいると、彼はしばしば立ちあがって仏蘭西語でシャンソンを歌う。シャンソンと言ってもそれは戦後のシャンソンではない。戦争中に幾度も幾度も上映されたルネ・クレールやデュヴィヴィエなどの仏蘭西映画の主題歌なのだ。安岡は仏蘭西語はできないけれど、その主題歌だけはみな原語で暗記している。彼がどのくらい繰りかえして、その映画をむさぼり見たかが、それではっきりとわかる。
 そう、むさぼり見たものだ。私もそうだった……。
 飲屋で、ひくい声で安岡が口ずさむシャンソンを聞いていると、私はその背後に重くひびく軍靴の音を同時に耳にする。昭和十七年から十八年。東京の街はもうすっかり死んだようになっていた。中国での戦争はやがて日米戦争に変り、日本が泥沼のなかでもがいている感じが、我々国民にもよくわかった頃である。
 学校でも勉強らしい勉強はほとんどやってくれなかった。その代り軍事教練と勤労動員での工場の作業が学生たちの日課になっていった。
 東京はいつも灰色の雲に覆われてその雲のなかで鈍い爆音がきこえていた。
 そんな日々、時折、新宿の光音座という映画館でかけられる古い古い仏蘭西とドイツの映画、画面には雨がふり、トーキーの録音はすっかりかすれていたが、それが、何だったろう。『白き処女地』『我等の仲間』『商船テナシチー』『地の果てを行く』『会議は踊る』『夜のタンゴ』——私はまだそれらの題を一つ一つ思い出すと、そのすじやイメージさえ話すことができる。『舞踏会の手帖』にながれたあの音楽を決して忘れたこともない。
 それは私たちにとって手の届かぬ遠い世界だった。にもかかわらず、そこに何となく漂う暗い絶望的な匂いは私たちのその頃の匂いによく似ていた。便所の匂いがどこからか漂い、うしろの映写幕からスクリーンに注ぐ白い光のなかに埃がいっぱい浮きしずみしていた。そして映画を見て外に出ると、家々や店々は窓という窓を暗幕や黒い紙でかくし、やがてくる空襲にそなえていた。私たちもいつか兵隊として入営せねばならぬ日が来ることが痛いほどわかった。
 安岡がひくく口ずさむ仏蘭西映画の主題歌をきくと、それら一つ一つが心に甦ってくる。
 昭和二十五年——戦争が終って五年目に、私は仏蘭西のリヨンの大学に通っていた。まだ日本は戦犯国で平和条約も結ばれておらず、リヨンには日本人は私を含めて三人しかいなかった。私の生活はかなりみじめでかなり孤独だったのは、そんな戦犯国の留学生だからかもしれぬ。
 ある日、そのリヨンの場末の映画館で偶然『舞踏会の手帖』を上映していた。隅の席に坐り——客はほとんどいなかった——画面を見ているうちに、私はどうにもならぬ気分になり泪をながした。映画のせいではない。遠い国で、昔、戦争中にむさぼり見たこのフィルムをまた見られるとは思えなかったからだ。

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