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ぐうたら人間学18
日期:2020-10-31 19:36  点击:293
 カンニング
 
 今の中学生は父兄同伴でなくても映画に行けるようだが、私の中学の頃は絶対に一人で映画館や劇場に行ってはならぬことになっていた。
 私の出身中学は灘中学——今の灘高である。灘高を卒業したなどというといかにも秀才くさく見えるがとんでもない。当時の灘中は大体、神戸一中に入れなかった落第坊主や阪神の酒屋の息子の入った学校で、その連中のなかで最も劣等生だけで構成されたクラスに私はいたからである。
 私の中学生活は教室で先生の授業をきくためにあるのではなかった。先生の授業をきいても何を言っとられるのか、サッパリわからなかったから、居眠りをするか、教科書の下に春陽堂文庫の江戸川乱歩の本をかくして、『一寸法師』とか『黒蜥蜴』とかをこっそり読んでいるのであった。
 時々、私は先生が黒板をむいておられる間、教室をすばやく逃げだし、校舎の外にある土管のなかにもぐりこむことがあった。その土管は地面の下を学校の外まで出ていて、その出口のまん前に今川焼屋があったからである。私たち悪童は土管を這って、今川焼を買い、またすばやく教室に戻ってくることを英雄的行為と考えていた。
 今考えるとなぜそんな馬鹿げたことをしていたのか、自分でもさっぱりわからんのであるが、とに角、そんなことをやっておったのである。
 ある日、この土管のなかで向うから這ってくる上級生にぶつかった。その上級生は私より前に今川焼をかって戻ってくる途中だった。一人しか這えぬ土管だから、向うが、
「おい、さがれ」
 と言う以上、退らざるをえない。私は仕方なく外に出ると、そこにコワい顔をして教師がたっていた。
「何している」
 私は黙っていた。その時、今度は上級生が袋に入れた今川焼をかかえて、這い出てきた。教師は我々にビンタを三、四発くらわせ、今川焼の袋をとりあげて去っていった。
 ビンタをくうといえば当時の中学教師は実によく生徒にビンタをくわせた。私なども撲られるため学校に行っているようなものだった。「兎に角」を「ウサギにカク」などと読み、習字の時間に墨で幽霊の絵を書き、そしてあとは机でうつ伏して眠っているか、江戸川乱歩の本を読んでいるような私なら教師も呆れ果てて撲りたくもなっただろう。
 私のたのしみは土曜毎、映画に行くことだった。映画に一人で行くことは絶対に禁じられていたし、もし見つかれば謹慎処分にさせられることになっている。教師のほかに県の補導委員という人たちが映画館に行って、中学生が来ないか、眼を光らせているのだ。その危険を犯して映画館に行くのは実にスリルがあった。
 試験の時、カンニングも随分やった。カンニングの道具を作るために前日一日をつぶしている状態で、ゴムの先にカードをつけて、ゴムを腕にはめておき、教師が近づくと手の中のカードを放し、上衣の袖にかくすという道具も作ったが、これは実践不可能だった。
 教師も教師で、わざと教壇で新聞をよんでいる。こちらは相手が新聞を読んでいると思って早速、カンニングをやりはじめる。ところが教師は終了のベルがなると同時に、カンニングをした連中の名を一人一人言う。私らにはその透視術がわからなかった。
 卒業の時、この教師にどうしてわかったのかとたずねると彼は笑いながら言った。
「なに、新聞の真中に小さい穴をあけて、そこから、すべて見ていたのさ」

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