狐狸庵動物記
私はデパートで猿を手に入れて帰宅したため、家人の猛反対をうけてスゴスゴとそれをデパートに返しにいった男だが、私をして言わせると、なぜ家人たちが動物を嫌いなのかわからんのである。
私は子供の頃、満州の大連に住んでいて両親から雑種の犬を一匹もらって、それを大事に大事にしていた。春、大連の街路をうずめるアカシヤの花のなかを私がランドセル背負って、小学校に行く時、この犬は学校までついて来て、授業中、校庭で寝そべっているのであった。学校から帰る時も彼はノソノソとあとからついてくるのであった。
私は今、二十五の生命を養っているし、二十五の命が私のこの老いた肩にかかっているのである。二十五の命は、私がもし働くのをやめると飢えてしまうのだ。二十五の生命とは、犬三匹、九官鳥一羽、人間家族四人、そしてメダカ十匹、鯉その他七匹の命であり、この二十五の尊い生命を養うべく、今日も狐狸庵は面白くない顔をして机の前に坐るのであります。
私が猿を飼おうと考えたのは、間先生の影響からである。こう書いては間先生に御迷惑かもしれない。なぜなら私は先生に二度しかお目にかかっていないのだから。
先生は京都の大学の研究所に所属される学者である。先生は毎日、リュックサックに南京豆を入れて比叡山にのぼられる。比叡山で先生の顔を知らぬ人は一人もいないだろう。雨の日も雪の日も先生は山にのぼられぬことはないからだ。
この頃はあちらこちらで猿の餌づけをやって観光客にみせるところが多くなり、この比叡山の鋪装道路附近にも、猿があらわれて餌をねだるようであるが、間先生は、
「そういうところでは、猿も気どっているのです」
と始めてお目にかかった時、教えてくださった。猿にも虚栄心や見栄があって、人間がくるとスマしたり、エラぶったり、色々するらしいのである。
「一度、山のなかでスマさぬ猿をごらんなさい」
そこで私は三年前の冬、先生のお供をしてまだ凍み雪の残っている比叡山の山のなかに足をふみ入れた。
谷には森が覆っていて猿など何処にいるのかわからない。
だが、先生がオー、オーとターザンのごとく声をあげられ、その声が山びこになって消え、森にふたたび静寂が戻ってきた時、向うの杉の木にスルスルと黒いものが這いあがり、こちらを凝視しているのがわかった。猿の群れが先生の声をきいて、偵察猿がそれを確認していたのである。
ものの五分もたたぬうちに、私は眼の前の叢から五、六匹の猿が出現するのをみた。そしてそのあとから、出るわ、出るわ、七匹、八匹、十匹、十五匹と親猿、子猿、雲霞のごとく斜面を這いのぼってこちらに来るのである。
まず出現した群れはお猿の主婦連であった。お猿の主婦連であることは彼女たちが片手か背中に、まだ眼の大きな皺くちゃな顔の子猿をだいたり背負ったりしていることで私にもわかった。
お猿の主婦連というと、私は四谷の主婦連のエラーい人から叱られるかも知れないが、しかし猿の世界でも、主婦連はボスをえらぶ上でかなり発言権を持っているそうである。つまりボス猿になるためには、たんに力がつよいだけではだめで、御婦人猿たちに人気があり、その支持をうける必要があるので、主婦連からそっぽ向かれると、ボス選挙にまけるのだ。美濃部さんに秦野さんが負けた理由は、猿の世界でも通用するのさ。
猿知恵という言葉があるが、なかなか、どうして馬鹿にならぬとわかったのはその時である。
間先生の真似をして私も南京豆をまきはじめたが、全部にやれるわけではない。すると背おっていた子猿を両手でかかえて、しきりに私のほうにさしむける母親猿がいる。
「あんた。うちの子供に、おねがい」
と言っているようである。
なんと言っても子猿は可愛いからねえ。うるんだ大きな眼で子猿からじっと見つめられちゃ、こちらも情が出て、一握りの豆を、前にばらまいてやりますがな。
と、今まで子猿を私にさしだしていた母親がやにわにわが子を払いのけて、チャッチャッと自分が食べはじめるのだ。
要するに子猿をオトリに使ったわけである。この頭のよさ。相手の心理をピタリと読んでござる[#「ざる」に傍点]。
彼女を母性愛に欠けているなどと人間として軽蔑してはならん。人間界でも最近、我が子にひどいセッカンする母親がでてきたじゃないか。
周知のように猿に餌をまくとボスを中心とする勢力圏がはっきりわかるのは、動物学者の指摘する通りである。
だがこの時はふしぎにボスは叢のかげからじっと我々を窺っているだけで輩下たちが勝手に豆をひろっていても制裁を加えなかった。
にもかかわらず、群れから十メートルぐらい離れたところに、一、二匹の素寒貧《すかんぴん》の猿がいて、こいつはやけにワメくだけで、決して群れのなかに入ってこない。間先生にうかがうと、この素寒貧は文字通り素寒貧なので仲間に全くバカにされているのだそうである。
あわれになって私がこの素寒貧に豆を放ってやると、群れのなかの二、三匹がものすごい声をだして、奴を追いかけ威嚇して食わせない。そして素寒貧は尾をたれて逃げては、また戻ってくるのである。
尾をたれるというのは猿の場合、私はアカンのでありますという意思表示である。だからボスはいつも旗のように尾をピンと立てているし、このボスに睨まれると輩下のものは尾をさげるのである。
素寒貧の猿はどんな仲間に出あっても尾をたれている。私はアカンのでありますと言っているのだ。
そういえば、彼は他の猿にくらべて体も痩せ、毛の色もよろしくない。うまいものを食っていないからだろう。私は全く彼が可哀相でならなかった。
素寒貧猿のほかに西行法師のような猿もいる。彼は西行法師が世と人の汚濁をすてて世捨人になったように群れからはなれて世捨猿になり、一人でくらしていると間先生は教えてくださった。私はできればこの世捨猿をおとずれ、その御心境をうかがってみたかったのであるが、何処に庵を結ばれているのかわからない。諦めた次第である。
餌づけという観光用の猿寄せ方法がでてから、猿もぐうたらになったと先生は嘆かれていた。外敵と闘いながら餌をさがす必要が少なくなったので、猿グループは今まで必ず持っていた偵察兵をおくことが少なくなった。キャラメルなどをもらうので虫歯の猿もでてきた。
とりわけ群れの中核ともいうべき青年猿たちがだらしなくなり、群れから離れたところで遊びまわって仕方ないそうである。
人間社会でいえば、この連中、トランプの王さまみたいな髪をして、竹|箒《ぼうき》のような外套をきて六本木でゴーゴーをおどっているようなものである。
猿について悲しい思い出がある。
若かった頃、私は中仏のリヨンという都市に留学していた。そのむかし永井荷風がわずかの間、ここに滞在し、『ふらんす物語』を書いたあの街である。
戦後まもない頃で、日本はまだどこの国とも平和条約を結んでいない戦犯国だった。大使館も領事館もなく、仏蘭西に送られたわずかの日本人留学生は頼るものといえば、自分一人きりしかいなかった頃である。
そのリヨンの冬、私はひとりぼっちだった。この街は十一月になると、もう寂しい冬で翌年の四月までほとんど青空をみない。
古綿色の雲が毎日、空を覆って、午後四時頃になるともう町には灯がともり、やがて市をながれるローヌ、ソーヌの二つの河のあたりから霧が這いはじめ、時には一寸さきも見えぬほど町を包んでしまうこともあった。
私は大学の帰り、一人で街のはずれにある「金の頭」という公園によく行った。
森と古い池とのあるこの公園は冬にはほとんど人影を見なかった。裸の樹々はさむざむと銀色にひかり、時折、かわいた鋭い音が森のなかでひびいてくる。
森のなかの公会堂には枯葉が散乱している。夏にはそこに赤や青の豆電球の灯がともり、楽隊がきて音楽を演奏したり、みんながダンスに興ずるのだが、今は一人の姿もみえず、椅子にも屋根にも湿った枯葉がちらばっているだけである。
奥にふるい池があって、そこには半ば泥水に沈んだ舟がつながれていた。私はそこまでくると、いつも手をこすりながら、白い溜息を吐いて道を引きかえすのだった。
ある日、思いきってその池からずっと先まで歩いてみた。斜面のところどころに、すこし汚れた凍み雪がさむく眼にしみた。
そこで私は小さな檻が二つあるのを見たのである。
一つの檻はからで、もう一つの檻には毛のぬけた猿がいた。キャベツの皮が檻のなかに転がっているのをみると、この公園で飼われている猿らしかった。
毛のぬけた猿は私を見ると檻から手をだして唇をふるわせた。そして何ももらえぬとわかると、隅のほうに退いて、そこでうずくまった。森のなかから、また、木のはじけるかわいた鋭い音がきこえた。
その日から私はたびたび、その猿をたずねるようになった。別に何の目的があるわけではない。途中で買ってきたハムをはさんだパンを半分にわりその半分は自分がたべ、あとは猿に与えるだけである。私は寂しかったし、寂しい私の眼には、この友もいない一匹の猿が自分と同じように孤独にうつったのである。お前もさむいだろう、と私は彼がパンを齧るのをみながら呟いた
ものだ。
何度もその猿を見にいくうちに、彼は私が近づくと唇を烈しく震わせるようになった。別に威嚇しているのでもなく、何かを訴えているように唇を震わせるのだ。だが私には彼が何を言いたいのか、もちろんわからなかった。
日本に戻ってからも時々、その冬の公園のことを思いだした。森のなかで枝のわれる鋭い乾いた音や、枯葉のちった公会堂と共に、泥水につかった一隻の舟と、あの猿のことを思いだした。だが、あの猿はなぜ、唇をふるわせていたのだろう。
ある日、私はある動物学者と話をしていた。この公園の思い出を私が語ると、その若い学者は笑いながら教えてくれた。「恋したんですよ。あなたに、その猿は。牝猿は恋をした相手に唇を震わせて愛情を表現するんです」
私は笑った。人間の女に恋されたことの滅多にない私が牝猿に恋されたとは……だが声をたてて笑いながらあの時の私の寂しさと猿の寂しさとを痛いほどまた思いだしていた。