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ぐうたら人間学32
日期:2020-10-31 19:44  点击:308
 世にもふしぎな物語
 
 仏蘭西の新聞に『フランス・ソワール』というのがあって、これは向うに行った日本人なら読んだ方も多いだろう。『フランス・ソワール』はちょうど仏蘭西版『夕刊フジ』とも言うべきだが、第一面から「ママと叫びながら、少女ジャニーヌは水に消えていった」などという活字が大きく出ている点、より大衆的かも知れない。
 仏蘭西に寄るたび、私は飛行場で飛行機を待っている時、ホテルのベッドにひっくり返っている時、この新聞を読むのである。そしてママと叫びながら水に消えた少女ジャニーヌの話に泪ぐみ、映画やブロドウエーの芝居の評を読み、それから広告欄に眼を走らせて「透視術」の女性占師たちの広告を見るのである。
 向うの女性は実にこういうものが好きである。だから『フランス・ソワール』にも占いや透視を職業としている連中の広告が実によく出ている。
 うちの婆アがまだ女子学生の頃、何を思いけん、旅芸人の通訳というアルバイトをして向うに行ったことがあった。そしてある日、人にすすめられてカンヌに近いマントンという町でよく当るという女占師に見てもらい、腰をぬかさんばかりにびっくりしたと言う。なにしろ、
「あなたは今、ホテルに戻ると二通の手紙が来ていますよ。その一通は学校の先生で、内容はこんなことが書いてあります。もう一通は……」
 具体的にそこまで予言され、半信半疑でホテルに戻ってみると、言われた通り、二通の手紙が来ており、その一通は大学の恩師であるS先生の手紙だったというから婆ァ(いや、当時はまだ娘だったて)腰ぬかしたのも無理はない。
 婆アをつれてその後、仏蘭西に行った時、このカンヌの女占師のところに是非たずねていこうと思った。
 と言うのは私は日本の占いなら、たいてい見物していて、ゼイ竹、トランプ占い、ソロバン占い、占星術、人相、手相、たいていはまわってみたのだが、向うのやり方はまだ見たことがなかったからである。
 婆アのふるい記憶をたよってそのマントンという町のあちこちを探しまわった揚句、ようやく女占師の家を探しあてた。女占師は毛糸屋をやっていて、家の扉をあけるとチリン、チリン鈴がなった。
 女占師は婆アをおぼえていた。(あるいは憶えていたふりをしたのかも知れない)婆アは昔、あなたに見てもらって適中また適中、適中しなかったのは亭主運が悪かったことだけだとおベンチャラを言った。
 それで私がまず見てもらうことにした。
 分銅のような金属製の玉に糸をつけたものを、私の両手の上でクルクル廻し、女占師はうなずいたり、溜息をついたりした。それから硝子の板に息を吐きかけさせて、その曇り具合をじっと観察しトランプを卓子の上に並べはじめた。
 こういうやり方は日本のトランプ占いにはないので私は非常に好奇心を刺激された。
「ああ、何という人だろう」
 と彼女はニッコリ笑い、婆アをむいて、
「あんたはいい亭主をえた。いつか大儲けする亭主です。あなたたちがチリーかブラジルで大きな館に住んでいるのが、もう眼に見えるようです。チリーかブラジルですよ」
 私は興奮しノボセ、いつ頃、そうなるかとたずねた。五年か、六年後、と彼女は言った。もしこの予言が本当なら私はブラジルで大成功をするのだ。私はこの女占師に幾度も有難うと言い、婆アと小おどりしながら帰った。あれから五年、いや十年、たったがチリーならぬ塵の陋屋《ろうおく》で相変らず仏頂面をしてブラジルならぬイモジルをすすっているのが私と婆アである。

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