お化け屋敷をたしかめたい
私は元来、占いとかお化けという馬鹿馬鹿しいものにも興味というか、好奇心があって、もうずっと前に『週刊新潮』の告示板という頁に次のような「お願い」を出したことがある。
「私は日本中に現存している幽霊屋敷とかお化け屋敷(見世物に非ず)をたずねて、実際にそこに幽霊お化けが出てくるのかどうか、この眼でたしかめてみたいのです。御近所にそういう話や噂のある家のあることを御存知の方は恐縮ですが御連絡頂けませんか」
すると読者とは有難いもので全国から二十通ぐらいの手紙が『週刊新潮』の編集部をへて、私に送られてきたのである。
ところが、この手紙に一つ一つ返事を書き、是非、おたずねしてその家を訪れてみたいと言うと、
「その家は二年前とりこわしになって、今はありません」
とか、
「私も祖母に聞いただけで、本当に出るかどうか知りません」
というように話が次第に空気の洩れた風船のように小さくなっていく。
結局——
その二十通ぐらいのなかからまだ真実ありげなのが四通のこった。
その四つは現在もその建物が残っており、その噂が現存している人々に残っているという家である。
たとえば、名古屋の元中村遊廓のなかに、どんな時計も午前零時になるとピタリととまるという空家がある。
私はその家に現在、落語評論家で有名な江国滋さんと真夜中、三十分前に目覚し時計をもってもぐりこんだ。
長い間、空家になっているので家中、腐った畳と埃の匂いが充満している。しかしそれよりもその遊廓だった家の一間一間には、昔そこで遊んだ男と娼婦の臭いのようなものが感じられて、かえって奇妙なすごさ[#「すごさ」に傍点]があった。
懐中電燈一つをたよりにして一室に入り雨戸を一枚あけて十一時四十五分ぐらいから江国さんと持参した目覚し時計を睨めっこしていた。
チク、タク、チク、タク、
本当に噂の通り、零時に時計は停るだろうか。それとも嘘の話だったのだろうか。
その結果は残念ながら、ここでは書けない。
この家やほかの幽霊屋敷について私の実験記録は『蜘蛛・周作恐怖譚』(講談社文庫「怪奇小説集」——編集部注)という拙著に書いたので同じ話を二度繰りかえすわけにはいかんのである。結果を知りたい方はこの本を読んでつかわさい。
しかしあの時の何とも言えぬ好奇心の満足は今もって忘れられなかった。
私は同じような探険をそのほか伊東でもした。熱海でもした。
それで今日、『夕刊フジ』の読者におねがいしたい。
この好奇心つよい男のために、あなたがもし現存しているお化け屋敷、不気味な家、幽霊屋敷を御存知なら教えてくださらんか。私は何をおいても飛んでいき、果してその幽霊屋敷が本物か否かをこの身でたしかめたいのである。そしてその結果をここで書きたいのである。
私はもちろん一人では行かない。さいわいこの欄の担当はYさんという私の大学の後輩にあたる美人記者である。Y嬢も勿論、決然として「幽霊屋敷は本当か、否か」の壮挙に参加してくれるであろう。私は大悦びである。諸君も大悦びである。(Y記者は参加しない。狐狸庵は一人でいけ。デスク記)