ファン
古本屋に行って、偶※[#二の字点、unicode303b]、自分の本が書棚にあるのを見るのは、作家にとってあまり気持のいいものではない。
特にそれが力をこめて書いた作品であると、
(どうして、いつまでも愛読してくれなかったのか)
という不満が一寸、心に起るのはやむをえない。
ウヌボれるなと自分で言いきかせてみるが、これは私だけでなく、すべての作家の気持であろう。
逆に新本屋に行って、たまたま、私の著書を買ってくれている人を目撃すると、非常に嬉しい気のするのも人情であろう。その人の本に悦んでサインをしたい衝動にかられるぐらいである。
逆に、しばらく私の本をとり出して、考えこんで、迷った揚句、また書棚に戻し、その隣にある別の本を買ってしまう読者をみると、
(チェッ)
と舌打ちをするのも当然の話だ。
作家など、聖人でも悟りをひらいた男でもないから、このくらいの感情はゆるしてもらいたい。
いつだったか、こんなことがあった。
Tホテルのティー・ルームでお茶をのんでいたら、一人の青年がつかつかと寄ってきて、
「あの……遠藤さんでしょうか」
と声をかけてきた。
私は自分の読者だと思ったから、平生の仏頂面を捨てて、出来るだけ愛想よく、
「ええ、そうですよ」
「あの……二分ほど、お話していいでしょうか」
「どうぞ、どうぞ」
ファンは大事にせねばならぬ。私はボーイをよび、紅茶をもう一つ、彼のため注文してやったのである。
ところが、この青年、
「遠藤さんは、北杜夫さんをよく御存知だそうですね」
「ええ。よく知っています」
「ぼくは、北さんの大ファンなんです。ですから北さんの話、きかせて下さい。あの人は実生活でもあんなに楽しい人ですか。本をよむと実に魅力的ですねえ」
私のとってやった紅茶を飲みながら北、北と北の話ばかりする。
(チェッ)
真実、私は胸中、舌打ちした。この紅茶代、北にまわしてやろうかと思ったぐらいだ。
「北さんて写真でも魅力的ですね」
「そうですかね」
こちらは次第に仏頂面になっていく。
「あの人のマンボウもの、全部、持っているんです」
「そうですかね」
「実に、品のあるユーモアです」
「へえ。そうですかね」
「じゃ、ぼく、失礼しますけど」
紅茶を飲みおわると彼は礼儀正しく頭をさげて、
「ごちそうさまでした。どうぞ、北さんにお会いになったら、健康に気をつけて、ますます、作品を書いて下さいと伝えてくれませんか」
だれが伝えてやるもんかと、私はムッとした顔で彼を見送っていた。
あとで考えてみると、この青年、私にわざとイヤがらせをしたのかもしれぬ。